第91話.瑞姫からの贈り物

 

「依依姉さ……」

「瑞姫様」


 向かいに座る仙翠が、言いさした瑞姫を軽く睨みつけた。


「依依兄さま!」


 これなら文句ないだろう、というように笑顔で言い直す瑞姫だが、問題大ありだ。


「瑞姫様。一介の武官をそのように呼んではなりません」

「でも……」


 瑞姫は不満そうだが、仙翠を追従するように依依も言う。


「今後は依依とお呼びください、瑞姫様」


 依依としても悪目立ちするのは避けたい。ただでさえ、後宮に忍び込んだ件は瑞姫への想いが暴走してのことだと周囲から誤解されているのだ。誤解が広まり続けたら、皇太后から逃げるのも困難になる。


(瑞姫様は皇太后陛下が私と自分を婚姻させようとしてる、なんて知らないんだろうけど……)


 もちろん、こうしている今も注目を集めている。一介の武官が皇妹に呼びつけられるなんてことは滅多にあり得ないのだ。

 瑞姫を護衛する牛鳥豚なんて、「さすがおれらの大哥! すごすぎ!」みたいな目を向けてきている。振り返らずとも、暑苦しい視線だけで依依には分かる。


「……じゃあ、依依」

「はい、それで大丈夫です」


 呼びにくそうにしている瑞姫に、依依は頷いてみせる。


「どうですか、馬車の乗り心地は」

「えっと……良くもなく、悪くもなく、ですね」


 右に左に揺れる瑞姫からは、正直な感想が返ってくる。


 天気が安定するだろう日取りを選んでいるので、悪路というわけではないが、離れた温泉宮まで石畳が敷いてあるはずもない。速度はのんびりとしたものだが、ときどき車輪がごつごつとした石を踏んだりもするので、快適とは言いがたいだろう。


 しかし瑞姫の顔色はいい。化粧の効果もあるのだろうが、それだけではない。

 鴆毒の症状が改善されてから、彼女の体調は順調に回復してきている。温泉宮での休養も、よく作用するはずだ。


「気分が悪くなったときは、すぐお知らせくださいね」

「ありがとうございます、依依」


 呼び方を変えても、丁寧な言葉遣いは抜けないようだ。


「純花姉さまは一緒に来られなくて、残念です」


 本当に残念そうに瑞姫が呟くので、「そうですね」と依依も深く頷いてしまう。

 依依と温泉に行きたい! と熱く燃えていた純花だが、それだけではないのだと依依も理解している。瑞姫と一緒に旅行したい、という気持ちがそこには大いに含まれていたはずだ。


 純花の友人になってほしい、と瑞姫に頼んだのは依依だ。しかしそれはきっかけでしかない。二人が仲良くなり、後宮内を共に出歩いたりする関係になったのは、お互いに歩み寄る心があったからだ。

 林杏や明梅は純花の味方だが、友にはなれない。純花にとって瑞姫は、気心の知れた初めての友だちといえる。


「でもきっと、今後も機会があるはずですから」


 励ますように依依はそう伝える。


「ええ、そうですね。そのときが楽しみです」


 瑞姫がはにかむ。


「今回は、悔しがる純花姉さまにお土産話を持ち帰ることにします。それと依依」

「はい?」


 瑞姫はおもむろに、依依に向かって右手を出してきた。


「本当は出発前にお渡ししたかったのですが……これ、わたしからの贈り物です。帯飾りに仕立てましたので、肌身離さず身につけていただけたら嬉しいです」

「わ、きれいですね」


 その帯飾りに、依依は感心の吐息をこぼした。特に組紐の先端で揺れる深緑色の玉飾りが美しく、目を惹く。


「でも、どうして急に?」

「それはもちろん、大兄さまと小兄さまを焚きつけるために」

「え?」

「……ではなくて」


 こほんこほん、と咳払いする瑞姫。


「普段からお世話になっているお礼です。……受け取って、くださいませんか?」


(う……)


 潤んだ目で見つめられて、依依は返事に窮する。

 理由もなく高価な贈り物は受け取れない。しかし断っては失礼に当たるのも、また事実である。


 依依は改めて、瑞姫の手の中で揺れる帯飾りを見やる。他に余計な装飾がついていない素朴な品なので、動きを阻害することもなさそうだ。


「それでは、ありがたく頂戴します」


 依依が答えると、瑞姫は嬉しそうにした。

 そこで、耐えかねたように仙翠が口を開く。


「瑞姫様、やはりこれはあまりにも……」

「それでは依依、また後ほど」

「あ、はい」


 取って付けたように微笑んだ瑞姫が、そそくさと垂れ絹の中に引っ込んでしまう。もちろん、彼女と共に仙翠の姿も見えなくなった。


(仙翠さん、何か言いかけてたけど)


 呼び止めては失礼に当たるので、依依は小首を傾げつつ馬車の傍を離れることにした。



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