第7話.乱闘の試験

 


 ――会話の途中だが、先手必勝。


 銅鑼の残響の止む前に、既に依依は動き出していた。


 大変残念ながら、相手が尼僧だろうとこの場では容赦できない。

 木刀を不慣れに握っていただけの、女の頭を真正面からぶっ叩く。


「てや!」

「うごっ」


 ばしいん! とわざと鋭く音を鳴らせたのは、他の女たちの戦意を削ぐためだ。

 音によって人は痛みを連想する。この瞬間、自身が殴られたように感じた者は少なくないはずだ。


 声を上げて呻く女の、その横っ面もついでにはたく。

 木刀で叩かれたとは思えない衝撃を受け、女が卒倒する。


 全員ではないが、一部始終を目撃した女たちには動揺が走っていた。

 しかしその隙を見逃してやる依依ではない。


 腰を低くしてさらに突撃。


「はぁッ!」


 狼狽えるばかりで立ち尽くす他の女の胴を、脇を、抉るような正確さで打ち抜いていく。

 というのも、依依を含めた全員がまとっているのは薄っぺらい道衣。身を守るにはまったく適していない。


「なっ、なんだあいつ……!?」

「動きが速すぎて目に追えねえぞ!」


 木刀を手に縦横無尽に駆ける依依に、誰もついては来られない。


「こいつ、ただ者じゃねぇ!」

「お前らも手を貸せ! まずこいつから片づけるぞ!」


 中には少し頭を使ったらしく、わらわらと徒党を組んで襲いかかってくる者たちも居たのだが――倒れるひとりを素早く盾に使えば、誤ってしばらく叩き続けていた。


 あっという間に仲間割れである。


 乱闘によって砂埃が舞い、演習場は茶色く煙る。

 その中を依依は身軽さを利点に動き回っては、敵を探してうろつく女や、虚空に木刀を振り回す女に向かって死角からの痛打を放つ。


 鮮やかな身のこなしに、それ自体が武具のように容赦なく振るわれるしなやかな手足。

 しかし裾から覗く手首は細く、薄い道衣の下、熱を帯びた華奢な肢体の輪郭は浮かび上がるかのようだった。


 意志の強い赤銅色の瞳は、次なる標的を求めて爛々と輝き――そんな依依の姿を、壁際に控える男たちは驚愕と、それだけではない感情を滲ませて息を呑んで見守る。

 試験に興味などなく、欠伸をかみ殺すのに懸命だった彼らの目を、踊る依依があっという間に釘付けにする。


 しかし依依本人はといえば、一向に気分が乗らずにいる。

 なぜならこの試験の趣味の悪さに、不愉快なものを感じていたからだ。


(だって、全員のやる気を奪わなきゃならないんだもの)


 攻撃したところで、結局は木刀での打撃。

 脳が揺れても、数分も経てば何人でも立ち上がってくるのだ。

 であれば精神的に、徹底的に叩きのめして、彼らの立ち上がる気力そのものを奪わねばならない。

 これはかなり骨が折れることだし、無駄に痛い思いをする人間が増えるだけなのだが。


 視線をやれば、この試験内容を命じた張本人である宇静ユージンは、椅子の肘かけにもたれて偉そうに座っていて。


 彼はひとりずつの器量を推し量るのが手間だからと、こんな荒っぽい手段を取ったのではないだろうか。

 そう思うと、むかっとした。


(命じたあなたは、高みの見物なのね)


 むかっとしたので、余計に木刀を持つ手に力が籠る。



 ――そうして、次に銅鑼が鳴らされたとき。



 宇静の部下たちに大きなざわめきが走った。

 その場に立っているのが、たったひとりだったからだ。


 息も弾ませず、木刀を下げた依依――その背後には屍のように、伸された受験者たちが山のように積み上がっていた。


 ざわめく彼らだったが、宇静は動揺を見せない。


 過去に例のない試験結果であるのは事実だ。

 しかし大して面白くもなさそうに演習場を見下ろし、「まるで猿だ」と宇静は呟く。

 宇静と依依の視線がかち合う。それだけで、誰かが生唾を呑み込んだ。



「女のような顔をしているお前が、勝ち残るとはな」

「女のような顔というなら、試験官様もそうでは?」



 言うまでもないことだが、空気が一気に底冷えた。


 春先だというのに凍えるような冷気を感じたのだろう。

 どうにか立ち上がろうとしていた受験者たちは、ひとり、またひとりと再び倒れていく。

 本当に気を失ったわけではなく、単純に巻き込まれたくなかったのだ。そしてその判断は正しかった。


「……なんだと?」


 宇静が立ち上がった。

 しかし本当のことを言ったまでだと、依依は堂々と正面から彼の目を見返した。

 赤銅色の瞳が一切揺らがないと見て取ると、宇静は目を眇める。


「も、申し訳ございませんっ」


 そこに割って入ったのが、先ほどまで宇静の後ろに立っていた部下のひとりである。

 お喋りしていた依依を注意した男だ。ちょびっとした髭を生やした中年男は演習場までずかずか入ってくると、依依の頭を掴もうとした。


「こら貴様、平伏しろ! 頭を下げてお詫びせぬか!」

「いやです。思ったことを言ったまでですから」

「それが悪いと言っているのだ! つ、捕まらんし……! おぬし、小猿か何かか!?」

「故郷ではそう呼ばれていたかもしれません」


 ひょいひょいと、踊るように身を躱す依依。

 明らかに肥満気味の男は、その間に息が上がってしまった。

 偉そうにしていた彼は汗を流しているというのに、依依はなんでもなさそうに肩を竦めている。


 その両者の様子が、どうにもおかしく――倒れ伏していた他の受験者たちがげらげらと笑い出した。


「ふざけおって……! 何を笑っている!?」

タイ、見苦しいぞ。下がれ」


 泰と呼ばれた中年男が、ぐぬぬと歯軋りしながら宇静の後ろへと戻る。

 それを依依が呆れた目で見送っていると。


「山から紛れ込んできた小猿は体力が有り余っているらしいな。俺が相手をしてやろう」


(えっ)


 腕組みをしていた宇静が、おもむろにそんな言葉を言い放った。


 周りの部下は慌てているが、彼は意に介さない。

 依依を見下ろす双眸には一切の温度がなく、視線そのものが人を斬る刃のようである。


 だが依依はといえば、ぱっと顔を輝かせていた。


 将軍なのだから、宇静こそこの場で最も強い人物なのだろう。

 強者との手合わせであれば望むところだ、と恐れ戦くどころか喜色を浮かべている依依に、宇静が眉間に皺を寄せた。


 だが彼は、その理由を理解が追いついていないものと察し、続けざまに提案をする。

 腰に差した鞘に手を添えての言葉は、ほとんど脅迫と同義だっただろうが。


「木刀はお気に召さないようだからな。真剣での勝負でどうだ」

「もちろん構いませんが。……あっ!」

「……どうした? 今さら命乞いか?」


 ふっ、と馬鹿にするように宇静が笑った直後だった。



 ――きゅるるる、と緊張感のない音がした。



 依依が痩せた腹部に手を添えて、悩ましげな溜め息を吐く。


「お腹が空きました。勝負は昼餉のあとでもいいでしょうか?」

「…………」


 思わず宇静は、得体の知れないものを見る目を依依に向けていたのだった。



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