第11話:ウォルトン家のメイド3
苦笑いを浮かべるソフィアと一緒に部屋の模様替えを進めていくと、不意にコンコンッと扉がノックされる。部屋に入ってきたのは、レオン殿下だった。
会議室で一方的に見た時とは違い、今回はかなり距離が近い。気づいてもらえるかもしれないと思うと、一気に緊張感が高まってくる。
しかし、グレースが空気を呼んでくれるはずもなく、レオン殿下に抱きついた。
「ダーリンが来るなんて珍しいわね。もしかしてぇ~、私のこと、食べたくなっちゃった?」
やかましいわ、とレオン殿下の代わりに突っ込みたい。ベタベタと体を押し付けるグレースのお色気攻撃に腹が立ってくる。
しかし、レオン殿下がグレースに手を付けることはなかった。部屋の模様替えしている光景を見て、ソフィアを確認し……そして、私と目が合う。
「………」
「………」
表情は変わらないし、すぐに目線が離れた。残念ながら、気づいているようには思えない。
ソフィアでもわからなかったくらいだし、僅かに顔を合わせた程度では気づかないかもしれない。グレースに気づかれることだけは避けたいし、焦らずに見守っていた方がいいだろう。
それに、今はベタベタとくっつくグレースをどうにかしてほしい。
「ダーリンも堅いわね。メイドたちの前では、お手つきもできないのかな? 少しくらい味見してもいいんじゃない?」
そう言ったグレースが顔を近づけるが、レオン殿下は顔の向きを変えて拒んだ。
「……離れろ」
「もう。まだダメだなんて、意地っ張りね。その方が堕ちたときに面白そうだけど」
グレースみたいな裏表の激しい女性に、レオン殿下が恋に落ちることはない。そう安心できるくらいには彼女を拒んでいるため、正直ホッとしている。
険しい表情ばかり浮かべる私とは違い、ルックスだけでいえば、圧倒的にグレースの方が可愛い。だから、本当はレオン殿下の心が奪われていないか心配だった。
でも、仮にも私は元婚約者だ。レオン殿下の顔を見れば、本当に毛嫌いしていることくらいはすぐにわかる。
「今日の会議でも、君は随分と不評だった。どれほどローズレイ――」
「シーッ。人前で言わない約束じゃなかった?」
やっぱり何か弱みを握られているに違いない。レオン殿下の唇を人差し指で防ぐグレースは、珍しく真剣な表情をしていた。
もしかしたら、レオン殿下は私の存在に気づいてくれたのかな。だから、わざとグレースに反発して、意思表示をしてくれたのかもしれない。
あまりサボっていると怪しまれるので、私は二人の会話に集中して、部屋の模様替えを進めていく。
「ここに来た要件を言う。本当にシャルロットを呼ぶつもりか?」
「ダーリンの誕生日パーティーのこと?」
「他に何かあるか?」
来週末、レオン殿下の誕生日パーティーがあるのは知っている。元々二人で招待客を選んでいたし、すでに招待状も出した後だ。
よって、ローズレイ派に近しい貴族たちが集まる。そんな場所でレオン殿下とグレースがイチャイチャしようものなら、色々と歯止めが利かなくなるかもしれない。
私を晒しものにするのなら、なおさらのこと。ローズレイ派の貴族たちから冷静な思考を奪い尽くし、確実に勝利するための策略なのだろう。
「元婚約者にも祝う権利くらいを与えてあげるの。優しいでしょ?」
「いい性格をしているな。さすがに来ないと思うが」
「あの女なら来るわよ。ローズレイ家は逃げるという言葉知らないおバカさんだもの。うふふふ」
不本意だが、グレースの言う通り、逃げるという選択肢はない。欠席をしようものなら、この腐った聖女に負け犬だと永遠に言われることになる。そんな思いは耐えられない。
それに……その場で士気を高めることができれば、ローズレイ派も息を吹き返すはずだから。
「それより、ダーリン。さっきはいけないことを言おうとしたでしょう? ほら、ごめんなさいのチューは?」
このクソ女……! と思っているうちに、グレースはレオン殿下の首に手を回す。
が、その瞬間、助け舟が来るようにコンコンッと部屋がノックされたことで、レオン殿下は解放された。
救世主とも言えるその人物は、私も王妃教育でお世話になった人物、ナタリー・ウルハルト。地獄のメイド長、ロジリー・ウルハルトの双子の姉である。
「あら、レオン殿下もいらしたのですね。残念ながら、グレース公爵令嬢は王妃教育の時間になります」
「構わない。俺の用も済んだところだ」
「あっ、待って。ダーリン、まだやることが……」
そそくさと立ち去るレオン殿下をグレースが追いかけようとしたとき、ナタリーが立ちはだかった。
グレースが猛烈に嫌な顔を作るのは、すでにナタリーの王妃教育が始まっているからに違いない。
「あらあら。喜びの感情が表に出ていますわよ、グレース公爵令嬢?」
「ええ、王妃教育の時間が楽しみなので。本日も勉強させていただきますね」
早くも二人の間に亀裂が入っているとわかった瞬間である。
でも、地獄のメイド長と呼ばれるロジリーとは違い、ナタリーは優しい人だ。仏の教育者と呼ばれているほどで、とても丁寧に教えてくれる。
細かいところまで指摘するから、ちょっとしつこいイメージがあり、私よりも遥かにネチネチしているけれど。
ニコやかな笑みを浮かべたナタリーが一足先に部屋を離れると、グレースの怒りが爆発していた。
握り拳をワナワナと震わせる姿は、私も初めて見る。これが腹黒聖女の本性だ。
「あのクソババア……!」
グレースは陰口が酷いということを覚えておこう。
ただ、ロジリーが神出鬼没なことを考えると、ナタリーにその言葉を言うのは自殺行為なわけであって――。
「素敵なあだ名をつけていただきましたわね」
ギラリッと光る瞳を持ったナタリーが、顔を覗かせた。
「私は何も言ってないわ。あそこのメイドが変なことを言ってましたの」
私のせいにしないでほしい。ナタリーの瞳にロックオンされた以上、逃れられないんだから。
「グレース公爵令嬢は厳しい王妃教育がお好みのようですね。ゴタゴタ言わないで、早く来なさい」
「……ひゃい」
しゅーんとなったグレースは、雷に怯える子猫のようになっていた。
仏の教育者と呼ばれるナタリーの逆鱗に触れた彼女が受ける王妃教育、それはもう、想像もしたくないほど厳しいものになるだろう。
口は災いの元ね。良い気味だわ。
私は口にすることはないと思うけれど、王城内でババアという単語は封印しようと思った。
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