魔法少女エミル(すまん、中身はオッサンなんだ)

原幌平晴

魔法少女、誕生

第1話 オッサン、美少女になる

「ボクと契約して魔法少女になってよ!」


 ちょこん、と目の前で「お座り」しているのは、金色の猫のような生物。つぶらな瞳で見つめてくる。


「……いや俺、オッサンだから」


 昨今の在宅勤務で運動不足に拍車がかかり、最近は腹が出て来てるし。身なりを気にしなくなったからか、頭髪が寂しくなってるし。

 誰がどう見ても、オッサンだっての。


 なんでこんなものが現れたのか。

 ……もう二年近く在宅で一人暮らしだから、おかしくなったのかもしれんわな。


「それより、画面の前からどいてくれ。仕事にならないじゃないか」


 謎生物は「こてん」と首を傾げてる。なんつうか、幻覚にしては妙にくっきりしてる。そのせいで画面が見えない。

 実力行使でどけようとしたが、伸ばした両手からするりと逃れ、また「お座り」で画面を遮る。


 時刻は夕方。今月の作業報告書を書いているところだ。これをメールで送らないと給料が振り込まれない。フリーランスの辛いところだ。

 何より、時間が遅くなると近所のスーパーの総菜コーナーが売り切れてしまう。売り切れ前の値下げ札が貼られる瞬間を逃してはならない。


「魔法少女になってくれたら、どくよ」


 何度つかもうとしても、ウナギのようにするすると逃げやがる。なので、つい言ってしまった。


「ああもう! なってやるから、そこをどけ!」


 すると、謎生物は歯をむき出してニカッと笑った。

 チェシャ猫みたいに。


「ありがとう」


 そう言うと、奴は俺の胸に飛び込んで来た。

 ……いや、抱っこじゃない。文字通り、胸のぜい肉を突き抜けて体の中へ入った行きやがった。


「あぅ……」


 どくん、と心臓が変な音を立てたと思ったら、そのまま俺は意識を失ってしまった。


* * * *


 ……気が付くと、俺は仰向けに寝ていた。目を開こうとしても、瞼がネバついた感じで開かない。


 やべ。また酒飲んで寝落ちしたのか。


 目を閉じたまま起き上がる。寝落ちにしては体が軽い。腹筋だけで、すっと起き上がれた。引っ付いている瞼をゴシゴシやると、何とか開くことができた。


 なんだこれ。真っ白だ。


 あたりは白一色の世界。前も左右も上も真っ白。

 アパートの部屋の中なのに、濃霧? もしかして火災とか?


 ……いや、別に焦げ臭くもないし、息が苦しいとも感じない。


 そして、顔を左右に振った時に違和感があった。何かがぱさぱさと肩や首筋に触れる。まるで頭から布でも被ってるみたいに。

 つかんで目の前に持ってくると――


 ……白髪?


 銀色で艶のある細い糸の束。引っ張ると頭皮に軽い痛みが走るから、確かに自分の髪の毛だ。


 薄くなってきてはいたけれど、まさかいきなり総白髪だなんて……


 どうなってんだ!? 一体、何が起こってやがる?

 そうつぶやいたつもりが――


「どゆこと? 一体、何が起こってるの?」


 自分の口から発せられたのに、自分の声ではない。まさに「鈴を転がすような」と言うしかない軽やかな声で、口調まで子供っぽくなってる。

 いや、そもそも違和感と言ったら、姿勢がおかしい。

 俺は起き上がった後、胡坐あぐらをかいたはずだ。なのに、正座をする感じで、しかもお尻が地面……なのか床なのか分からんが、そこにペタンと付いている。両脚はその左右に。


 あれだ。女性がやるペタンコ座り。体の硬い俺には絶対に無理な座り方だ。

 それをごく自然にしている、と言うことは。

 意を決して、視線を下に向ける。


「あるし……ない……」


 認めざるを得ない。高いトーンの声でつぶやいたとおり。

 目に映るのは、裸の膨らみかけた胸と……何もないつるんとした股間。


 Oh……マイ・サン。わが愚息よ、一体どこへ行ってしまったのか。


 トイレで用を足す時とか、夜の自家発電の時とか、人生の友、連れ合い、パートナーだったソレは、消え去っていた。

 喪失感が心をさいなむ。


 うつむいたまま固まってると、目の前のささやかな双丘の間から、あの金色の謎生物がニュッと顔を突き出した。そして、チェシャ猫の笑顔。


「気が付いたみたいだね。じゃあ、状況を説明するよ」


 相変わらず、俺の意思とか都合とか、まるっと無視して話しを進める気だな、コイツは。


 仕方がない。少女の身体で全裸待機だ。


 ニュルン、と胸から出て来た謎生物は、俺の前で「お座り」する。


「まずは、新しい自分の顔を見てもらおうかな」


 そう言うと、ヤツの正面に楕円形の鏡が現れた。縦長で、やたら凝った金細工で縁取りされてる。


 ああ……うん。現実逃避で余計なところに注目しているだけだ。

 肝心の、鏡に映し出された姿。予想通りと言うか、想像以上と言うか、完璧な美少女だ。すっと通った鼻筋、小さい口にピンク色の唇。

 そして、紅玉のような色の瞳。

 歳の頃は十三か十四ってところか。真っ白の背景に、腰まで届く銀髪の輝きだけが輪郭を示していた。


 そして、顔には戸惑いの表情が。なんというか、もの凄く庇護欲をそそられる姿だ。

 なのだが……。


 ――これが俺だって? 嘘だろ? 中身はオッサンなのに!


「――これが私? 嘘でしょう? 中身は中年の男性なのに!」


 出たよ。違和感だらけの声と口調が、まさしく俺の口から。


「可愛くなったでしょ。折角、魔法少女になるんだもの。見た目は重要だよね」


 なぜか腕組みしてのドヤ顔。


 いや……ポイントはそこじゃないってば。

 大体、なんでオッサンの俺なんだ? 世の中には魔法少女に憧れる女の子がいくらでもいるだろうに?


「だって、か弱い女の子に魔物と戦わせるなんて無理だもの」


 あれ? 言葉に出さなくても通じた? もしかして心を読むの、コイツ。


「それにね、魂を別な肉体いれものに移すには、それだけの強度が必要なんだ。キミの魂の耐久性は、あの世界でピカイチだったんだ。おめでとう」


 何が「おめでとう」だ!

 ……いや待てよ、いまとんでもない事を聞いた気がするぞ。


「そんな……魂を移すって、私の元の身体はどうなっちゃったんですか?」


 思わず口を突いて言葉が出た。相変わらず、なよっとした女言葉で。怒鳴りつけるつもりだったのに。


「こうなってるよ」


 さらっとそう答えると、ヤツは鏡に前足を載せた。すると、映っていた美少女(俺)が消えて、アパートの俺の部屋が映った。

 そこには、パソコンに向かって突っ伏している俺の姿が。白目を剥いて、口から泡を吹いている。


「これって……まさか!」


 か細い声が俺の口からこぼれる。


「もちろん、死んでるよ」


 コイツ、絶対コロス!

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