やなぎ じろう「喪章」を読む

オダ 暁

やなぎ じろう「喪章」

眠っていたのだろうか、気がつくと私の目の前に若い女がひとり立っていた。女は私を鏡の前に引っ張って行って、憂いのある声で慰めるように言うのだ「ようくご覧なさい。これが貴方の真実なの」。


鏡の中には、黒っぽい背広を着た白骨が、首のあたりに今朝締めた覚えのある、水玉模様のネクタイを垂らして立っていた。私はカタカタ指の骨が鳴るのを気にしながら、そのネクタイを外して、鏡の中を見つめた。


すると私の左の腕にかけた女の白い手が、まるで喪章のように見えた。それは悲しみの象徴の色だった。砂漠の焼けた砂の色だった。私にふさわしい美しい白の喪章であった。ふいに悲しみがからっぽのはずだった胸を襲った。それから長い時間泣いていたのに涙は流れなかった。女は私の眼だった暗い穴を、のぞきこむようにして「悲しいの?」とやさしく尋ねた。私はそれには答えないで、胸の肋骨がきしんで妙な音をたてるのを、聞いていた。


どこかで海鳴りの音がして、潮の匂いに包まれていた女の記憶が甦った。私は女に聞いてみた。「ねえ、僕たち前に愛しあってたの?」女は黙ったまま笑うと、私のもう片方の腕にも白い喪章を、やさしく巻きつけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る