2021/11/19.docx 「滝常」(仮題)
羨増 健介
とある集落の方に取材をした時のことのお話
「初めまして、伊藤と申します。本日は宜しくお願い致します」
「佐織田サキと申します。本日はどうも、よく来てくださいましたねぇ」
今日お話を兼ねてから伺うことになっていた佐織田氏は、手を叩きながら大喜びでこちらのことを迎えてくれた。
「どうぞこちら、つまらないものですが」「いえいえ」と羊羹の入った紙袋を渡すと、あれよあれよと玄関先から居間へと案内される。
「ささ……お座りになって」
「ありがとうございます。では……」と腰を落とす。
しかし、広い居間だな……。
『次のニュースです。今朝、声優ユニットの……――』
「今日は、よろしくお願いしますね……」
「こちらこそ」
ちゃぶ台を囲んで、テレビ音を消音にしてから、佐織田氏との世間話は始まった。
今日佐織田氏の家にお邪魔した理由はただひとつ。
埼玉県の南部地域の一部に根付いていたとされる「農業共同体」のことを調べるためだ。そのために地元に帰って来たのだ。
佐織田氏はおっとりとした口調ながらも「あっはっは」とか「うふふ」と笑いを交えながらお話を進める方で、兎に角語尾に棘が無い方だった。
その姿に、なんだかほっこりとしてしまう。
出されたお茶を少しずつ啜り「世間話」を重ねていると、頭上の鳩時計がカチカチ……と軋む音を鳴らしながら、「クルル……ポッ」と間抜けな音を出した。
「あら、もうこんな時間」
釣られてもう一度時計を見やると、時刻は昼の時間を迎えようとしていた。
「なにかお食べになりますか」と言われて「いえ、お構いなく」とお断りを入れる。いやいや、そこまでご厄介になるワケには――
「ぐぁごらぎゅるるるるうるるん……」
始発で大学前駅を出発し、なんやかんやで在来線を乗り継いで来たのはいいが、ここ数時間にお茶しか飲んでなかったことを思い出した。
その誘惑に耐えかねたのか、腹の虫もぐう、と音を出して「ね」を上げた。もう駄目だ我慢できない。何か食わせてくれと。
「あは、なんか面白い音が鳴ったねぇ……」
「お、お恥ずかしながら」
「それじゃあ……ちょっと待っててね」そう言ってからとてて、と台所へと向かう。カチッと音が鳴ったと思ったら、すぐに高い音が鳴り出した。
(あぁ、やかんの音か――)
「あ、テレビの音上げてもいいからね~」
「あっ、すいません」
『次のニュースです。レインボーブリッジ前の警察の検問を強行突破した大型トラックが暴走し、追跡したパトカーを東京湾に落とす――という事件がありました』
「うわ」
昼のニュース、のっけから物騒だな……。
『昨夜11時頃の出来事でしたが、その後トラックはスリップし転倒。中からは大量の「赤いきつね」と「緑のたぬき」が――』
正座を崩し胡坐になってから、じっとテレビ画面を見つめる。
「……――」
ここ最近はずっとスマホとかPCとか生徒さんの論文とにらめっこだったし、なんかこう――緩やかに時間が流れてくってのを肌で体感するのも。
「なんか……」
久しぶりだな。
「どっちがいいかい?」
「…………――――」
そのときに出されたものが「赤と緑」のマルちゃんだったことは、今でもよく覚えている。折角なので、ここは是非ともお言葉に甘えることにしたことも。
僕は「緑」を、佐織田氏は「赤」を手に取った。
「では、いただきます」
「おかわりもあるからねぇ……」と言いながら、両手を合わせ、いただきます。と手を合わせる。誰かと食事をするってのも久しぶり――
「いただきます……」
ずずず……とつゆを少し啜って、いざ――出汁が程よく浸かった「おかき」に手を伸ばす。後入れしてもらったサクサクのおかきは、きつねの甘煮に匹敵する。
「はぁ……」
あったかい。うまい。染みる……。
鰹だしの甘さも丁度良くって、これはもう「This is 最高に丁度良い」。語彙力が絶賛低下しているが、11月に差し掛かってだいぶ寒くなってきた頃合いだから、こういうあったかい食べ物が、染みる――いや。
「沁みる……」
きつねの佐織田氏は、きつねのおあげの上には粉末スープの小さな山ができあがっていた。ゆっくりと甘煮を沈み込ませると、じわっと広がる鰹だしの海。その海は大海ではないけれど、美味くて濃くていい海だ。
見ているだけで、たまらん。
今度、真似しよ……。
「わぷっ」
「あはは、湯気で眼鏡さん。真っ白だねぇ……」
あはは、と笑って佐織田氏は目の前の麺を口にする。ずずっ、と麺を吸い込んでから、うまい、美味い。とコトダマを呟きながら、あっという間にかっ込んでしまう。
眼鏡を外すとやや視界がボヤけるが、しっかりと目の前のかき揚げとにらめっこしてから、僕も蕎麦と対峙することにした。
「あーっ……」
「……――ふぅ」
最後のひとくちを口に運び、ゆっくりとプラの器を口元へと寄せる。くいっ、くいっと脂が滴った出汁の大海原が喉元を通るたびに、息が荒くなってしまう。
「ぷはぁ……――」
「ごちそうさまでした。美味しかったです」
「はい、お粗末様でした」と空の容器をゴミ箱にポイっと捨ててから、「よっこいしょ……」と腰を落とした。
さて、話の続きだ――――
世間話から1975年に発売された「マルちゃんのカップうどんきつね」へと話が移った後、話は「本題」へと差し掛かった。
高度成長期も終わり、日本経済ではいわゆる安定期位置とされる時代――1977年に一人の財閥の娘が「滝常」という小さな集落を興した。
当時、埼玉県のX市で家族4人で慎ましく生活していた佐織田さん一家は、突然舞い込んで来たそのプロジェクトに参加することになった。「農業やりませんか?」と誘われたそうだ。それがことの始まりだったらしい。
丁度その翌年、1978年の8月に「赤いきつね」が産声を上げる。その2年後、1980年8月には「緑のたぬき」が発売された。街中にはでかい看板もあったそうだ。
「……――」
1978年の8月から佐織田さん一家は「農業共同体」に参画した。
プロジェクトは順調だったという。所定の労働時間を畑仕事や養鶏に勤しみ、仕事が終わった後は、村のみんなで食卓を囲む。
そんな生活だったそうな。
農村の軌道が乗ったのは二年目からで、最初の一年は「滝常」から缶詰めやノンフライ麵が支給されていた。
そんな中、二年目の年の瀬に支給されたのが、緑のたぬきだった。
村は家族であり、兄弟であり、運命共同体である。
酒や正月の準備をしながら、夜には大きなちゃぶ台を居間に皆で持ち寄って一緒に「緑のたぬき」と正月を迎えたという。
最初は不自由もあったものの、令嬢の言う「東京」へ頼ることも無く、なんとか自分たち、滝常のわたしたちで解決しよう、と野菜の直売を三年目から行うことになった。
そして、令嬢は「滝常」の市街地再開発事業へと事を進めようとするのだが――
「ここでひとつ、問題が起こっちゃったんだよぉ……」
直売の売上金額の取り分に関して「お上さん」と一部住民との猛烈な抗争に発展してしまい、XX市において1994年度末まで「滝常」は事実上の事業休止とした上で、その間に事業の再構築を図ることとしているため国庫補助を中止することになる。
そして翌年、「農業共同体」および滝常は廃村と相成り、合併されることもなく、家屋も取り壊しになった。
つまりは、ひとつのできごとで「滝常」はバラバラになってしまった。
それに伴い「農業共同体」というプロジェクトは崩壊の一途を辿ることになってしまい、その後令嬢は行方不明になったという。
「それでね……」
行方不明になった令嬢は、後に滝常の空き家で衰弱状態で発見され、あわや衰弱死の一歩手前だったそうだ。
マスコミが押し寄せ「拉致」だの「監禁」だのと謂れの無い噂を流されるも、滝常の住人はこれを断固として拒否し、失踪事件との関係性も否定した。
「きっと全てが嫌になって、辛くなって何も喉を通らなかったんだろうねぇ……」
そのとき令嬢を介抱したのは誰でもない佐織田氏で、たまたま備品庫に災害用の保存食と共に眠っていた「赤いきつね」や村の食べ物を一緒に食べたという。
「彼女はねぇ……」
泣きながらうどんとそばを啜っていたという。
「見つけてくれてありがとう」という言葉を添えながら。
彼女の第一発見者が佐織田さんだったこともあって、そのときの出来事は鮮明に記憶と心の中に残ってるという。
これを期に、後に佐織田さん一家に大量に寄贈されることになったのが「赤いきつね」と「緑のたぬき」だったらしい。
「……――というワケなんですよ。いやぁ……懐かしいお話を喋ったねぇ……」
ふぅ……。と深い息を吐いていた佐織田氏からは、大粒の涙が流れていた。
「本日は貴重なお話、ありがとうございました」
「久しぶりに、『人』とお話ができて、とっても楽しかったですよぉ……」
時刻は三時を回り、そろそろお暇させていただきます。と言う言葉を皮切りに、またあれよあれよと玄関先まで案内され、
「今日はありがとね」
と玄関先でぎゅっと手を握って来る佐織田氏に、ちょっとだけなんか恥ずかしくなってしまった。昭和終期から今日に至るまでの貴重なお話を聞けただけでも儲けもんだし、今度は「滝常」でなんの神様を信仰していたのかを、またちゃぶ台を囲みながらお話をしたいな――と思った。
「いえ、こちらこそ……」
深くお礼をしてから、玄関先の戸を閉めた。
佐織田氏は最後までこちらに手を振っていて、笑顔を最後まで絶やさなかった。
これが、とある集落の方に取材をした時のことのお話。
ちなみに言うと、滝常という地域は日本地図に存在しなかった。
〈了〉
2021/11/19.docx 「滝常」(仮題) 羨増 健介 @boroboroken
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