月夜の焔

出雲渉

第1話

分厚い四角格子のはまった三畳ほどの、小さな部屋。

寝るための藁が置かれ、用を足す穴が隅に開いている。ここは座敷牢だ。

つんつるてんになり、襤褸同然の着物。

十分な食事を与えられず、手足は痩せ細り、白い。

地獄のように思える場所だが、一人でないだけまだ救われている。

声をかけられ振り返ったのと同時、妖が俺を抱きかかえた。

毛先だけが、白くなっている腰まである黒髪。

艶かしい顔立ちの中で、深紅の唇と、空のような青い瞳が目を引く。

着ている物には、所々茶色や黒い染みが付いていた。

俺を撫でる度、腕に巻き付けられた鎖が涼やかな音を立てた。

彼は、俺の先祖に封じられてずっとここにいる。

視界に外の柱に、貼られている札が入ってきた。

あれが失くなれば彼は、自由に旅立てる。

その時、暗がりに潜むものの、声なき声が響き出した。

恐ろしい灯が近付いてくる。彼が、悲しそうな顔をしながら姿を消した。

牢の前に立つ無骨な男。

鍵を開け、入ってきた男の目に、炎が燃え上がった。

足が間髪入れずに飛んできた。腹にめり込み、胃の腑がひっくり返る心地を味わう。

泣き叫べばもっと酷い目に合わされる。

身を丸め耐え続けた。

「禍津子め!忌み子め!」

そう繰り返し怒鳴る声。

(どうして双子だと忌み嫌われるんだ?不吉と言われるのはどうしてだ?)

双子でなければ、こんな目に合わなかったろうか。

……考えても仕方ない事は考えない方が良い。余計に辛くなる。

音がするほど強く殴られ、一瞬意識が遠くなる。

微かな音と共に、眼前にあったのは刃。

嗤いながら刀を振りかぶるのが、やけに遅く見えた。

「何をしている」

冷ややかな低い声が、場を支配した。

そこにいたのは、俺を弟と呼んでくれた人。

水色の水干を纏い、みずらに結った涅色の髪をしている。

桃花色の唇に、すっと通った鼻筋。

髪と同色の、煌めいている瞳が俺を見た。

平伏している男に、鋭い言の葉が叩きつけられていく。

「咎めの刻は過ぎたはずだが?お前ごときが、痛めつけて良い贄ではない。去ね!」

男が去った後、格子を開き入ってきた兄は、部屋の主をすり抜け俺を抱きしめた。

「逃げるのだ梓丸あずさまる。ここに居てはいけない」

手を引かれ座敷牢から転がり出た。

「待って、待ってくださりませ」

柱に貼られた札に手を伸ばすが、小さな雷に弾かれてしまった。

俺には無理でも兄になら。

「兄様お願いします。この札剥がして下さいませ」

「札?どこに」

兄の手を掴み触らせた。瞬間、札が焼け落ち彼が、霞のように姿を消した。

握られた手はそのままに闇の中、広い庭を通り、蔦で隠れていた穴から外へ出た。

◆   ◆    ◆

俺は兄に背負われ、路地にいた。

人に背負われるのが、こんなに暖かいとは。

不意に背に氷を、押し当てられたような冷気に襲われた。

何かここに来る。とても嫌なものが!

降ろされ見た兄の顔は、血の気が引き、夜闇に白く写る。

視線を周囲に巡らすと、破屋があった。

庭にあった木陰に、二人で座り込む。

まとわりつく虫のような恐れは、消えてくれない。

聞こえた音に思わず呟きを漏らした。

「どうした梓丸。太鼓?私には何も聞こえないが」

地の底から響く、陰鬱なお囃子と共に、姿を現した異形のもの。

(百鬼夜行)

風に乗り届いた声に、全身の血が引いていく。

居場所を知られている。喰われてしまう。

どうすれば、どうすればいい?

唐突に頭に、浮かんだ文字を手のひらに書き終えた瞬間、襟首を恐ろしい程の力で掴まれる。

繋いでいた手を物ともせず、俺は兄からもぎ離された。

ふっと気が遠くなった。


げらげら耳障りな声で嗤う異形のもの達。

いつの間にか森の上を飛んでいた。

何度も暴れるが、力は強く振りほどけない。

精一杯の声を張り上げ叫んだ瞬間、襟首を掴んでいた腕がいきなり溶けた。

鬼の絶叫を聞きながら落ちていく。

黒い地面が見えたのと同時、枝が網のように目の前に広がる。

折れるはずのそれに柔らかく受け止められ、俺の足は地を踏んでいた。力が入らなくなり、へたり込んだ。

心の臓がうるさいほど音を立てている。

辺りを見渡せど誰の姿もなく、あるのは高い木々ばかり。

『泣かないで』

唐突に聞こえた声に、体が跳ねる。

俺から少し離れたそこに、いつの間にやら女人が現れていた。

すっと通った鼻筋に、深い黒色をした切れ長の目。

藍色の小袖の袂から見える首は人の物ではなく、木の枝だった。

白い小さな花が、所々に咲いている。

『お前さんどうしてこんな所にいるんだい?迷い込んだのかい?』

声の優しげな響きに、何かがぷつんと切れる。

ぼろぼろ雫を滴らせながら今まであった事、全てを話した。

その人は聴き終えると、ふっと息を漏らした。

『ずいぶん質の悪いのに捕まったんだねぇ。ここは人界じゃないんだよ。あんたがいたら、まずい事になっちまう』

すっと前方を、細い指が差す。

と、そこがまるで蛍が集っているかのように、光り始める。

『これを持ってあそこへお行き。助けてくれる者がいるから』

渡された風呂敷包みのなかには、虹色の小さな実がついた枝が、山のように入っていた。

背を促すように押される。

「あ、あの、ありがとうございます!」

頭を下げ、光っている方へ駆け出した。


淡く光っている所に一人の男が、足を木の根に掴まれ立っていた。

「おい離せ!一体何用だ!」

怒鳴る声に、反射的に体が跳ねる。

俺に気づいたのか、こちらを振り返った。

兄が話していた雪よりも白い髪。

柘榴色の瞳に、艶かしい顔立ちをしている。

その顔が笑み崩れた。

いつの間に根から自由になったのか。

男は、俺を抱き上げ頬擦りしてきた。

「可愛いなぁ人の子は。あぁ可愛い」

このままでは埒が明かない。

「あの!女の人に、これを渡すよう頼まれました」

風呂敷包みを掲げると、男はくすくす笑い始めた。

「なるほど、だからか。人の子お前の名は?」

「あ、梓丸です」

「梓丸か。ふむ……よし!俺が、新しい名をつけてやろう!」

ぽかんとしているうちに、話はどんどん進んでいく。

「えん……いや違うな。そうだ。紫苑しおんにしよう!今からお前の名は紫苑だ!」

そう呼ばれた瞬間、体の奥深くで何かが嵌る感覚があった。

「さて紫苑。俺が、良いと言うまで目を瞑ってられるか?」

頷くと、少し冷たい手で撫でられた。

目を閉じた途端、響く風のごうごう唸る声。

「いいぞ」

声をかけられるまでは、一瞬だったように思う。

そこは山の中だった。

目の前には茅葺きの一軒家。

中に入ると一人の男が、囲炉裏端にいた。

首元で括られたぬばたま色の髪。火を写し煌めく髪と、同色の瞳。

すっと通った鼻筋に、椿色の薄い唇。

日に焼けた肌をし、紺の単衣を纏った長身痩躯なその人。

彼を見て俺に気付くと、口をぽかんとさせた。

すいその子は」

「拾った」

「拾ったってお前……」

「お前なら守れるだろ」

「ちょ、ちょっと待て翠!俺は」

いきなり放るように渡された俺を、その人は抱きとめてくれた。

「俺が育てたら、さらに変わってしまいそうだからな」

彼は一瞬口を噤み、何かを呟く。

途端、四足の獣が目前にいた。

黒い体表に、白い斑点が星のように散っている。開いた口から覗く鋭い牙と、血色の舌。

「怖がらなくて良い。こいつは俺の式神で、君を傷つけることはしない」

男はなぎという名で、陰陽師だという。

曰く俺には、強い見鬼の才があり、悪しきもの共にとっては、極上の餌となってしまう。

「己を守る術を、身に付けなければならないんだが……」

凪は口を閉ざし、どこか遠くを見始めた。

「陰陽師になれば、襲われる事は少なくなるぞ」

「翠。本気で言ってるのか?そんなに良いものではない。この子には」

「知ってるさ。嫌なものを見る事になろうが、喰われるよりましだろう?なぁお前はどうしたい?」

「俺、俺は……なります!陰陽師に。教えてください」

「そうか、わかった。できる限り教えよう。まずは風呂だな」


目の前の白い煙が立ち昇っている水。

そっと指を入れてみるとほのかに暖かい。

「紫苑。服脱げたか?」

大きな布を持って姿を現した二人が、ぎょっと目を見張った。

翠が痛いほどの力で、肩を掴んできた。

口元は笑みを浮かべているが、目の奥は冷たい炎が燃えている。

「誰にやられたんだ。ん?」

「止めろ翠」

凪が近付いてくる。殴られるか、蹴られるか。

身構えている俺の体を、抱きしめた。

「痛かったな。辛かったな。よく、よく生きててくれた。頑張ったな」

優しい声に何かが解け、それは雫となって滴り落ちる。

凪にしがみつき、声を上げ続けた。

やっと雫が止まった時、喉はしゃくり上げ、目は痛かった。

そんな状態の俺を湯につけ、体を洗い傷薬をつけてくれた。

部屋の中は囲炉裏の熱で暖かく、二人の話す声が遠く聞こえた。

眠気がすうっとやってくる。

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