夢の国の外側
リポヒロ
金色の砂漠
「夢の国の人口制限は、地球人口の半分だって知ってるか?
単に地球が昼と夜で常に二分されてるって話なんだが、人口の分布って地域によって偏りがあるんだよな。それに昼寝する奴もいるし。
それじゃあ、あぶれた奴らがどこに行くのか。気にならないか?
あ、気にならない。ああそう。お前、そっちか。最近はそういう奴も多くなってきたよな。昔はこっちの世界に来たがる連中でごった返してたのになぁ。あれか?今の時代は現実至上主義とか流行ってんの?
ま、いいや。とにかく、ここなんだよ。夢の国に入れなかった奴らが放り出されるところ。特に名前とかないけど、洒落た奴らは
いや、オレァ辺獄なんか知らねぇって。なあ?お前も知らないよなあ?え、知ってる?ホントに?えぇ、そっかあ、オレが知らなかっただけかあ。なに、どこで知ったの?現実だと、そういう洒落た言葉が流行ってんの?
え?ああ、そういえば言ってなかったか。
初めまして、オレの名前は・・・、と言いたいところだけど、実のところ名前知らないんだ、オレ。お前は名前知ってる?いや、オレのじゃなくてお前の。
うん、知ってるよなぁ、やっぱり。普通は自分の名前知ってるよなぁ。ああ、言わなくていいよ。出ないだろ、声。」
それまで喋りっぱなしだった彼は、そこまで言って急に口を閉じた。
端が見えないほど広大な砂漠のなかで、私のすぐ隣に彼は腰を下ろした。雲ひとつない星空の真ん中で大きな月が私たち二人を煌々と照らしている。
声が出せずに口をパクパクさせる私を数秒見つめてから、彼は何も言わずにふっと目を逸らした。終始キラキラさせていたその目からは急に光が失われたように見えた。
彼の長くしなやかな黒髪だけが、細く漂うそよ風を受けて踊るように揺れている。
彼は何も言わずに、一番遠くの砂丘と星空の境界線を眺めている。
ついさっき初めて会った彼との間に不思議と気まずさは無く、それが当たり前のことのように、私も静かに、淡く月明かりを反射する地平線へと目をやった。
時折吹く涼風が彼の長い黒髪を解く度に、海のように広がる砂の粒がキラキラと星の光を反射する。一瞬、地平線まで続く砂漠が、金色に煌めく海のようにも見えた。
この砂漠に私と彼の二人の他に人影は見えず、ただ大気の擦れる音だけが鼓膜を覆っている。
妙な心地よさを感じる。この感覚はなんだろう。全身から力が抜けているのに、細胞の一つ一つが沸き立つような感覚。ただ、私がこの状況を遠い昔から求めていたこと、そしてこれがシャボン玉のように、つつけば消えてしまう酷く儚いものであることだけは本能的に理解していた。
ならばするべきことは一つ。この状況を味わう。それも、ただ味わうのではなく、二度と忘れぬよう、いつでも思い出せるよう、貴重なワインをテイスティングするように賞玩する。私と彼の間に満ちる優しい光を舌の上で何度も何度も転がす。
喉は鳴らずとも、月に照らされた砂の海を賛美する歌は、魂から溢れ出る。
言葉は紡げずとも、彼の哀愁に満ちた横顔を愛でる詩は、魂から湧き上がる。
私の目は彼から離れない。
彼の目は遥か遠くの地平線を追っている。
私の歓びは彼には決して伝わらない。それでも感情は沸き立ち続ける。
月明かりを反射する砂漠に照らされて、歓びの感情は飽和する。私から揮発したそれは月の光に帯びて、次々にキラキラと輝く涙の色に染まっていった。私の感情は夜空を埋め尽くす星の光に成り代わり、夜の砂漠を金色に照らし始めた。やがて、夜空に満ちた哀しみは、光輝く濁流となり私と彼だけの砂漠を濡らしていく。彼は微動だにしない。私だけが波に溺れる。濁流に抗うことはかなわず、私と彼は段々と引き離された。
いつの間にか無機質な砂漠は金色の海になり、私は呼吸を忘れたまま、重たい感情に引かれて黄金に輝く水底へと沈んでいった。
瞼を貫通する眩しさに目を覚ますと、両の目尻が濡れていた。
何か、酷く悲しい夢を見ていたような気がするが、思い出そうとすればするほど記憶は霞んでいく。
微かに胸に痛みを感じるが、薬を飲むほどではなかった。重たい腕で枕元に転がる空のワイン瓶をどけると、無造作に投げ捨てられたスマホを顔のすぐ近くまで引き寄せる。乱暴な人工の光に慣れるまでたっぷり三十秒間画面を見つめる。霞む視界に現れた数字を確認して、またワイン瓶の隙間にスマホを投げ込んだ。始業まで約二時間。アラームよりずっと早く目が覚めてしまった。このまま目を閉じたら三時間は目を覚ませないと確信したので、恐ろしく心地よい布団をはね除け、重たい身体を無理矢理に起こした。
カーテンを引いてガラス窓を開けると、早朝の澄み切った空気が部屋に流れ込んできた。新鮮な空気に包まれて深呼吸をする。そうして何度か呼吸を繰り返していると、いつのまにか胸の痛みがなくなっていることに気がついた。
冷たくなった目尻を袖で拭った私は、皺だらけのベッドを後に洗面所へと向かう。
窓から目を離す直前、空の端に見えた金色の朝日は、なぜだか寂しそうに見えた。
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