負けヒロイン症候群!
チモ吉
一章『魔獣と天使と負けヒロイン』
第1話 失恋怪人爆誕
心理学や哲学なんかによると、人間の心理は3種類に分けられるらしいと、何かの漫画かゲームかで聞いた覚えがある。
たしか、1つがエス、もう1つがエゴ、最後がスーパーエゴ、だったっけ。
それぞれの詳しい概要は頭の悪い俺にはいまいち理解できなかったが、エスは自身の内側からの衝動とか欲望を優先、スーパーエゴは社会が求める行動を優先、エゴがそれらをいい感じにまとめる、みたいな話だったはずだ。
それを知ったときなんとなく、わがままな女の子とお固い女の子に振り回されるエゴくんの姿をその時は想像した。
確かに、欲望を全て垂れ流しにしたら誰かに迷惑が掛かってしまうかもしれない。自分が欲しいからって他人の物を奪ったり、気に入らない相手をボコボコにしたり。そんなことをする奴らばかりだと、人間社会はやっていけないだろう。
しかし、かといって欲や衝動を抑えてばかりだと今度は自分が参ってしまう。
だからきっと、多くの人々はそこらへん、いい感じのバランスでなんとかやっていっているんだろうなぁ。きっと優秀なエゴくんが頑張っているのだろう。
もちろん、多くの人がそうやって生きているからといって全員がそうやって生きれる訳ではない。社会的に許されないタイプであったり大きさであったり、そういう欲望を持っている人は数こそ多くないかもしれないが、確実に存在する。
そういう人たちは大抵の場合、欲望を抑えて苦しみながら生きるか、欲望を解放して悪人、奇人の烙印を押されるか、その二択を選ばされることとなる。
小学生の頃、悪の組織に勧誘されたオレは、迷うことなく後者を選んだ。
「――い、おい起きろ。とっくに麻酔はキレてんだろうが」
「うわああああぁぁっ!」
最悪ともいっていい目覚めだった。なにせ視界全てが濁った肉塊で埋め尽くされていたのだから。
「うるせえ、いい加減に慣れろ。お前もうウチに入って10年経つだろう」
「……や、おっさんのその姿になれるのはキツイっすよ。あと、入ってから8年っす」
目の前にいたのは、オレの直属の上司で幹部クラスの怪人のおっさん。たしか名前は、ヤンデレ怪人ヤンデール。赤黒いドロドロとしたスライム状の肉が無理やり人の形をしているような怪人だ。正直めっちゃ怖い。今も思いっきりビビったし。
病院の手術室のような場所で、手術台の上に寝かされていたオレは体を起こすとおっさんと向かい合う。
「だからおっさんではないと言うに。俺はまだ26だ」
「小学生からしたら高校生は全員おっさんですし、高校生からしたら社会人は全員おっさんっすよ」
俺は8歳の頃、当時高校生だったらしいこのおっさんに怪人となる素質を見込まれ、悪の組織に入ることとなった。
しかし小学生の時のオレ凄いな、よくこんなのについていった。光の角度で色合いが微妙に変化する蠢く肉肌が最高に気色悪い。普通泣くだろ。
「失礼なことを考えてないか?」
「相変わらずキモいなって思ってました」
ブニっとした拳でゲンコツを食らった。あまり痛くなかったが感触が酷すぎて思わず顔を歪める。
「正直は美徳だが少しは誤魔化せ馬鹿」
はぁ、とおっさんはため息を吐くが、そうしたいのはオレの方である。目覚めにこんなものを見せられた側の気持ちにもなってほしい。
こんなんで、怪人でないときは妻子持ちのエリートサラリーマンなのだというのだから世の中とは分からないものだ。この世界中からキモがられること間違いなしのボディを会社にリークしたらどうなるのだろうかとつい思ってしまう。
「まったく、改造手術が終わってから目覚めないというから慌てて来てみれば、麻酔や術後の影響という訳でもなくただ普通に寝てるだけとは。大物なのか馬鹿なだけか、心配してそんしたわ」
「あ、心配してくれたんすね。ちょっと嬉しいっす。あと心配かけてすみません」
嬉しいのは本音だ。いくら世界遺産級にキモくてもおっさんはつい先日までオレの直属の上司だったし、組織の中で最も付き合いの長い存在なのだ。気にかけてもらえて喜ばないわけはない。
おっさんは押し黙ると顔と思わしき部分をもにゅもにゅと動かした。どうしてこの人は外見がこんなに酷いのだろうか。それさえなければ理想的な上司だと思うのに。きっと彼の部下たちも同じことを思っているに違いない。
「……いや、いい。お前はそういう奴だったな。それより体の調子はどうだ。改造手術直後だからな」
なにか言いたげだったおっさんはそれを飲み込むと、そう口にした。
「特に変な感じはないっすね。強いて言うなら」
「言うなら」
「……なんか、暑くないっすか」
そう、オレは先ほどから何か暑苦しいような不快な感覚を覚えていた。
「そりゃあそうだろう。まだ春とはいえ、そんな恰好をしていれば暑かろうよ」
おっさんに言われ、自身の格好を見やる。
「な、なんだこりゃああぁぁ!?」
オレの体は、寒色系を基調としたロングコートに包まれていた。ズボンも長ズボン、手には手袋。暑いわけだ。
しかし、オレが驚いたのはそこではない。
オレの全身には、様々な色の割れたガラスのようなものが突き刺さっていたのである。
「ほれ」
おっさんから鏡を手渡されたので顔を確認してみた。するとそこにはティアドロップの意匠が施された、口元だけが露出した仮面を被った男の姿が。
「な……な、なな……」
「まぁ気を落とすな、デザインは自分じゃ選べないんだ。仕方な」
「なんっだよこれっ! 最っ高にクールじゃねえか!」
自身の怪人としての姿に思わずそう叫んでしまった。
叫んでから隣で何かおっさんが言おうとしていたような気がしてそちらを向くと、おっさんは頭部を蠢かせていた。相変わらず何を考えているのか分からない表情だ。そもそも目や口とかないから表情って言っていいのかすら分からん。
お前がいいなら俺からは何も言わん。おっさんはそれだけ言うとまた肉をぐにゅっとさせた。
「こんなのが新幹部だなんて、今から頭が痛い」
そうぼやいたおっさんの言葉に、オレは思わず頬が緩む。
新幹部。そう、オレはつい先日幹部クラスまで上り詰めたのだ。
思えばここまで長かった。下っ端構成員時代は、活動中は言葉を発してはいけなかったし、そもそも第二次性徴前であったため純粋に体力的な意味で大変だったりもした。
「怪人を飛ばして一気に幹部クラスって異例なんすよね! 初なんすよね!」
それ故の急な改造手術。怪人に生まれ変わるためには必要な通過儀礼だ。
「……そうだ、お前は馬鹿だがなんだかんだ優秀な奴だからな」
「優秀ってのは嬉しいっすけど、バカっておっさんに言われたくないっすよ」
「なんだと」
「こんな悪の組織なんかに入ってる奴なんて全員バカでしょ」
オレの言葉におっさんは押し黙った。自覚があるのだろう。
なにせこの組織は、世界征服だとか、世界滅亡だとか、そんなことを企てる組織ではない。バカな奴しか入らない。
再びため息を吐いてからおっさんは居住まいをただし、オレに向き直った。シリアスな空気を感じ、オレも台から降りて背筋を伸ばす。
「お前の新たなる門出を祝おう、馬毛杉矢太郎――いや」
我らが悪の組織、セイヘーキの目的はただ一つ。マイノリティである己が欲望の発露。衝動の開放。理性と社会的な束縛、超自我に対する反逆。
「失恋怪人ハイボークよ」
「っ! オッス!」
そしてオレこと馬毛杉矢太郎、改め失恋怪人ハイボークの持つ業は、恋愛競争に敗北した少女を愛でること。
オレは、負けヒロインのことを愛しているのだ。
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