第9話…「可愛い娘さんですね(下)」


――――「????湖(昼・晴天)」――――


 竜人…、竜の因子を持つとはいえ、人であり、人である以上、その生死は、人に準ずる。

 薄暗い水中で、彼女は指に力を入れた。

 両指を組み、まるで祈りでも捧げるかのように、目の前の相手を見る。

 見た目こそ竜人ではあるが、あくまで見た目だけだ。


 精霊…、その存在は、世界にとって、純粋な魔力体であり、神の生み出した子。

 この世界に生きるモノや…世界すら神の子ではあるが、世界はあくまで舞台に過ぎず、精霊はその管理をするモノ。


 神と言っても、完璧な存在ではない。

 世界を作っても、完全無害な物など作れないのだ。

 必ずどこかにほころびがある。

 この世界で言うなら、世界を循環する魔力の流れだ。

 ソレが人為的か…はたまた自然にか、その魔力の流れが乱れる事がある。


 魔力とは、生あるモノに対しての、生命の源だ。

 ソレが枯渇すれば、生あるモノが弱ってしまうか、最悪消えてしまう。

 逆に、ソレが溜まり、溢れかえれば、生あるモノは強くなり、溢れ出て、世界の均衡を崩す。

 ある時は大飢餓による命の減少、ある時は強力なモノの誕生による弱者狩りが起こる。


 それでは駄目だ。


 それでは世界の在り方が壊れる…、完璧ではない…、欠陥世界である。

 最初は、全てが平等でなくてはいけない。


 平等…、それを体現するため、精霊は生まれた。

 決まった場所を自身の領地とし、世界の不完全さを補う。

 魔力の流れに干渉し、あるべき形へと戻す。

 世界がその形を整えるまで、精霊は世界を守護し、世界は安定して、魔力の流れが極端に乱れる事はなくなった。


 役目を終えた精霊は、その身にあった世界の魔力を制御する力を無くす。

 役目を終えたと言ってもそれだけだ。

 世界が安定するまでの制御装置とも言える存在ではあるけれど、それでも、精霊もまた神の愛し子なのである。

 彼らの領地はそのままに、精霊の持つ魔力に呼応して自然が形成されていった。



 精霊「ウンディーネ」の領地には、生命の湖が生まれ、ソレが多くの命を生み、育む事となる。

 精霊「シルフ」の領地には、広い草原が広がり、多種多様を風に乗せて、世界を巡らせる力となる。

 精霊「ノーム」の領地には、その力ある大地によって、大きな自然、海とも言える樹海が産まれた。

 精霊「サラマンダー」の領地には、世界の命血が流れ、そが結晶化する事で、力ある実を実らせて、生命の進化の可能性を見せる。



 最初こそ、世界を安定させる装置に過ぎなかった精霊たちも、今は世界に済む住人だ。

 時に世界を巡る旅をするモノもいれば、平凡な生活を望むモノもいる…、世界が安定したという事で、自身の力を他の精霊に譲り、大きな魔力の流れに戻るモノもいた。

 元が安定を求めた存在だったがため、そのほとんどが中立の存在であり、表舞台の出てくる事はない。

 しかし、近頃、こんなうわさが、精霊たち…ないしは、精霊の良き隣人である「妖精」達の間で囁かれていた



『精霊や妖精たちを食べている奴がいる』



 根も葉もない噂と断じるのは、勝手で簡単な事ではあったが、偶然か、そいつは彼女の前に現れた。

 一見すれば竜人だ。

 しかし、その在り方が人のソレから外れ過ぎた存在。

 それはまさに精霊だ。

 本来の精霊は魔力体、実体は無く、その世界に干渉するために実体を得る。

 ソレがその世界での精霊の姿となる。

 その竜人はまさにそれだった。


 ただの竜人の姿をした精霊…であったならよかった。

 しかしそれはあり得ない。

 その体は、愛すべき母…、神から装置としての役目を担った精霊たちへの褒美である。

 世界の安定装置としての役目を終えた時、ソレが精霊にとって世界で生きるための体を、母たる神から与えられた日であり、その姿を変えるなどおこがましい。

 そして、その体を授かった時、この世界には竜人という種は存在しなかった。

 その時点で、竜人の姿を得た精霊は居ない。


 肉体を得た精霊が、何を目的にしてか、その姿を変えた。

 神から承った体を、愚かにも変えた。

 彼女はまさか…と思った。

 それでも、世界で肉体を得て、自由を得た精霊、気の向くままその生を謳歌する。

 その中に、新たな肉体が欲しいと、変えたモノがいるかもしれない。

 なんと恐れ多く、愚かな事だろうとも、ソレを咎める権利を彼女は持たなかった。

 だからこそ様子を見た。

 自身の領域に入って来た竜人の姿を持つ精霊を。


 その傍らに、月光狼と黄金鶏がいる事は見過ごせなかった。

 彼らは種として数の多くない者達、この世界を愛する神…大いなる母の愛した世界において、全滅というモノは、母を悲しませる抜き身の刃だ。

 大いなる母から与えられし肉体を変えるモノ…、その月光狼も黄金鶏も、隷属させられた存在に違いない。

 それはまさに早とちり、早合点、誤解であるが、彼女は大いなる母のために手を上げる。

 何より、物騒な噂が、彼女の手を引っ張った。


 その竜人は、襲い来る獣を仕留めると、その身の魔力を上げたのだ。

 1頭倒す度に、その身を纏う魔力が、その身から溢れ出ていく。

 それはまるで、その獣たちの魔力を喰らい、自分の力に変えているかのように、彼女の目に映った。



『止めなければ…。

 アレは放置してはいけない』



 彼女は、大いなる母を敬愛していた。

 自身を生んでくれた事による家族愛に近いソレは、役目を終えた今も、彼女を大いなる母の望む事として、その心に深く刻んでいる。


 大いなる母の愛した世界のため、精霊たちの命を守るため、自身が任された責務を全うするため…、彼女は力を振るった。

 自身の使役する白き大蛇「水蛇ハク」を召喚し、ソレをけしかけたが、精霊喰いをするモノだけあってソレを退け、彼女の元まで現れる。


 その力は恐ろしかった。

 肉体を得ても、彼女はその地に残る事を決め、自身の領地を管理する事に専念していた。

 良き隣人であった精霊ノームの1体、森の成長を見届け、満足したと共に、自身の力を彼女に託して、この世を既に去っている。

 力こそ、精霊2体分の彼女であるが、森に引きこもっていたがために、戦闘経験は皆無、戦いというモノに、心底恐怖を覚えた。


 その時の相手…精霊喰い…アレッドもまた、実際の経験は大したものではない…、しかし、その身の「アレッドサンドライト」としてのゲームキャラクターの体には、最大レベル相応の経験が詰まっている。

 前世の素人としての意識に引っ張られ、実力を遺憾なく発揮する事は難しくとも、生半可な戦いでは勝ちを取れない。

 十全に力を引き出す事は出来ていないが、それでも、その事を知らない彼女にとっては、精霊喰いから放たれる攻撃は、ただただ恐ろしいモノ…。

 こんなモノが相手では隷属された者達が逆らえないのも無理はない。

 だからこそ余計躍起になった。

 経験の無さからくる稚拙な攻撃を単調に繰り出して、出来る限りの事をする。


 自身の周囲に張った結界をかすめる攻撃に、涙がこぼれる。

 それはすぐに周りの水に飲み込まれていくけれど、ダラダラと流れ続けた。

 自身が食べられるかもしれない恐怖に、体が震えて仕方がない。

 文字通り死に物狂いで彼女は手を伸ばす。

 真正面からの戦いでは勝てない…、少しでも自分のフィールドに相手を叩き落さないといけない…。


 相手に浴びせる言葉は、全て空元気から絞り出した見栄だ。

 大いなる母から承った体で、だらしない事をしてはいけない、役目を全うするのに、オロオロとしてはいけない。

 そんな虚勢を張りながら、必死に手を伸ばして、精霊喰いを水の中へと落とす。

 地上へと戻ろうとする力は、とにかく強くて、必死に食らいついた。

 周囲の水を意のままに操り、ソレを精霊喰いに巻き付けて、湖の底へと引きずり込もうと、とにかく力を込めていく。


 もがく精霊喰いの姿に、彼女は躊躇した。

 同族の命を取ろうとしている自分に、ソレが正しいのかと迷いを生む。

 でもやらなければいけないと、一心不乱に、操る水で精霊喰いの首を絞めた。

 相手は精霊喰い、同族の命を奪って来たモノであるなら、見逃してはいけない…、自身の頭には迷いがあるけれど、せめて自身の慰めの為に、その精霊喰いに、必要以上の苦痛を与えまいとした。


 その体が竜人であるのなら、その生死はその体に依存する。

 人であるがために、水中では息は出来ない。

 相手が窒息するまで待つでも、彼女は良かった。

 でも、同族としての情け、自身に対しての慰めの為に首を絞めた。

 首を絞め、動脈を抑え、その意識を奪う…、そうすれば同じ窒息でも、苦しみは消えるだろう…と。


 あと一息…、そう思った時、横からまた人間が現れた。

 今度は獣人だ。

 自身へと迫る獣人を、水を操り捕まえようとする。

 澄んだ水が唸り、まるで生き物かのように獣人へと迫った…が、捕まえられなかった。

 その形相は、とても、とても恐ろしいモノだ。

 目を見るだけで、全身に電気でも流れたかのように、緊張が走り、強張った。

 気づけば、操っていた水の合間をすり抜けて、獣人は目の前までやってくる。

 近寄らせちゃいけない…、加減なく相手に手をかざして水を操ろうとした時には、その手は掴まれ、その顔が…唇が触れんばかりの距離まで近づいていた。



「だめだよ」



 たった一言、彼女を制止する声が、その口から呟かれる。



『はい…、お母様…』



 それは、もはや反射的な返事だった。

 初めて見る相手のはずなのに、彼女は、その獣人に逆らわない…、それはシステム的な強制力のあるモノではなく、ただ純粋に、相手の役に立ちたい…嫌われたくないという気持ちから来る服従だ。


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