第37話
魔術師の街レスタでは、一人前になった魔術師は方々へと旅をして、大国の王家の守護などに仕えるのだという。ゴドーは何度か旅に出ては、また街に戻るということを繰り返していた。その旅で、一人の哀れな少年に出会った。西の最果ての地にある山でのこと、貧しい山村に今にも死にそうな老人と、利発そうな少年がたった二人で暮らしていた。
「なぜ、こんな山奥に二人だけで住んでいるのか」
と聞いたところ、
「若い者は大きな街に憧れて、山を捨てていった」
と老人が寂しそうに言った。年寄りたちが残されたが、皆次々と死んでいった。そして残ったのが、親のいない少年と、一人だけ長生きした爺さんだった。
「旅のお方、わたしはこのとおりの老いぼれです。もう目も見えなくなりました。わたしの命は長くはないでしょう。どうか、この子を旅の共に連れて行ってください」
と頼まれた。
「しかし、俺はどこへ行く当てもない旅を続けている。過酷な旅になりますが、ついてこられるでしょうか?」
「それなら、心配には及びません。こんな山奥で暮らしているのですから、足腰は強いし、忍耐力もあります。弱音を吐くこともなく、この年寄りの世話をしてくれております」
「分かりました。しかし、俺も人の子。年寄り一人を残して行くことはできません。俺には今、やるべきこともなく、ただひたすら旅を続けているだけです。もしよろしければ、俺をここへ住まわせていただけないでしょうか?」
この時俺は、老人の命が数日で尽きてしまうことを悟っていた。少年と二人で、その最後を看取ってやろうと思ったのだ。ともに暮らして、五日目の朝だった。老人は目を覚ますことなく、安らかな永遠の眠りについた。二人だけで老人の弔いを済ませると、山を下り旅に出た。
少年の名はトキといった。生まれてから一度も山を下りたことがなく、見るものすべてに興味を示した。
「お前はなぜ、いつも楽しそうにしているのだ?」
俺はトキのことがよく分からなかった。親もなく、共に暮らしていた爺さんまでいなくなった。孤独な少年が、何の憂いも見せず、明るい笑顔を見せてくれるのだ。
「なぜって? どうしてそんなことを聞くの?」
「お前は天涯孤独となったのだ。それを哀しいとは思わないのか?」
トキは俺の言っていることを理解することが出来ないようで、小首をかしげた。
「一人ぼっちなんだぞ」
「それは違うよ。ゴドーがいる」
トキはそう言って俺をまっすぐ見つめた。
「ボク、覚えているよ。ゴドーと出会えて、本当によかった」
トキは感慨しきりにそう言った。ゴドーはちらりと彼を見てから話しを続けた。
トキと俺は、東に向かって歩いていた。何もない広漠にさえ、トキは目を輝かせた。
「すごいね。なんて広いんだろう。ずっと向こうまで続いている」
「お前の知らない世界は、もっとずっと広い。この広野を抜けて次の街まで、二日はかかるぞ」
旅の過酷さは何も分かっていない。無邪気にはしゃぐトキに、俺は不安を覚えた。しかし、トキは俺の心配をよそに、その広い原野をものともせずに歩き通したのだ。歩き続けて三日目の朝にたどり着いた街の名はミシュリー、宝石の街だ。その街の建物は、クリーム色の石でできている。街の北側には採石場があり、そこからその石は掘り出されるのだ。その際に宝石が掘り出された。その価値を知ると、街の人々は石を切り出す事をやめて、宝石を掘り出すことに専念し始めたのだ。
「なんて美しい街なんだ」
規律よく立ち並ぶクリーム色の建物は、トキの目を奪った。何もかもが初めてのトキには、とても感動的だったようだ。
「フンッ。もっと美しい街はいくらでもある。この世界で最も美しい街と言われているのがクリスタという水晶の街だ。いつかそこへ行ってみたいものだ」
「そうなの? ボクも行きたいよ。でも、その前に、この街のことをもっと知りたいな。きっと街の人々も、この街並みのようにステキなんだろうね」
トキの好奇心は、とどまることを知らないようだ。朝の街は活気もあり、商人と思われる人々の姿があった。これから市が立つのだろう。街の人々も、市場へと集まり始めた。
トキの期待とは裏腹に、この街の人々の心はすさんでいた。それが俺には見える。よそ者の俺たちを、疑いの目で見ている。この街の財産を奪われるとでも思っているのだろう。
「ねえ、あの人たちはなぜボクたちを見てくるの? 旅人が珍しいのかな?」
「フンッ、そうかもしれねぇな」
懐が豊かでも、心が貧しければ生きていても楽しくないだろうに……。俺は、この街の連中が、少々気の毒に思えた。
市で売られるさまざまなものに、トキはいちいち感動している。彼にとっては初めての街、見るものすべてが珍しいのだから無理はない。
「ねえ、これは何ていう食べ物なの?」
トキは果物の並ぶ店屋で足を止め、赤くて丸い物を指差した。
「それはオーロンという。一つ食ってみるか?」
それは南国で取れる甘酸っぱい果物で、ここでは珍しい物だ。
「うん」
トキはオーロンを一つ手に取って、かぶりついた。中から溢れ出す白い汁が、彼のあごを伝った。
「本当においしいね。こんなの初めてだよ」
とびきりの笑顔を見せた。
「なんだい、しつけの悪い子だねぇ」
店屋の女主が、つばを飛ばしながら言った。
「代金なら払う。いくらだ」
「当り前じゃないか。それは一ジーニと、五十ルピルルだ。一つでいいのかい?」
「もう一つもらおう。二つで三ジーニ、受け取れよ」
小銭を代金の籠に放り投げた。田舎者の口の利き方に腹が立ったのだ。二つ目のオーロンを手に取り、賑やかな声のする方へと足を向けた。
「なんだろうね? たくさんの人が集まってるよ」
そこには人垣ができていて、よく見えなかったが、大道芸がショーを始めたらしい。
「見世物だ。お前も見たいか?」
「うん。どんなことが行われているんだろう」
俺たちは、人垣をかき分け、前へと進んだ。そこで行われていたのは、『妖精の舞』と題された、外道のショーだった。腹の出た男と、痩せてノッポの男が、妖精に無理やり舞わせている。太った男の方が鞭を手にしている。
「ケッ」
胸くそ悪い。妖精とは儚くも脆い生き物で、山奥に棲んでいるため珍しい。背中に生えた柔らかい透明な羽で舞うように飛ぶ。その姿を一目でも見ようと、人々はこうして集まるのだ。
「ねえ、あの子かわいそうだよ。とても辛そうだよ。どうして誰も止めないのさ。首に縄なんかつけてひどいよ」
トキはそう言って俺を見た。
「フンッ、行くぞ」
俺にどうしろって言うんだ?
「ねえ、たすけてあげてよ」
背を向けて歩き出そうとした俺のマントを、トキは引っ張った。
「助ける? 妖精には気の毒だが、あいつらもあれで飯を食ってる。それを邪魔する権利は俺にはない」
トキは俺の言葉を聞いて、落胆したようだ。唇を嚙み、目を潤ませた。
「ボクがたすける」
彼はそう言って、人垣から飛び出し、飛ぶことに疲れ、地面にぐったり倒れ込んでいる妖精に走りよった。
「もう大丈夫だよ」
トキはそう言って、首の縄をほどいた。
「何しやがる小僧!」
太った男は、トキを鞭で打った。
「痛い! ひどいじゃないか」
「ひどいのはどっちだ! 俺たちの商売じゃましやがると、お前もただじゃすまねぇぞ」
男は再び鞭を振り上げたが、その手がそのまま止まった。俺の魔術で身体の動きを止めたのだ。
「俺の連れに何しやがる。てめぇこそ、ただじゃすまねぇぞ」
水晶の付いた杖をかざしながら、男へと近づいていった。周りの連中は俺を見てどよめいた。
「魔術師だ」
口々にそうつぶやいて、人垣の輪が広くなっていった。
「な、なんだっていうんだ? 俺は何も悪いことしちゃいねぇぜ。こいつがあんたの連れだって知ってりゃ、鞭打ったりしなかった。だから、勘弁してくれよ。魔術を使うなんて、あんたずるいぜ」
デブの方は身体の肉をブルブル震わせて、俺に怯えきっている。痩せのノッポは切れ長のその目で俺を見下ろしている。
「フンッ」
俺はトキの腕をつかみ、妖精を抱えて、水晶を光らせた。その場にいた者たちは、その眩しさに、視界を遮られ、しばらく動けなかったろう。俺たちはその隙に、空から街を抜け出した。ミシュリーの東側の川を渡ったその先には、緑豊かな森が広がっていた。そこへ降り立ち、妖精を休ませた。
「あーびっくりした。ゴドーにはすごい力があるんだね。この子もちゃんとたすけてくれた」
妖精は今にも死にそうなほど弱っている。
「君はなんて名前なの?」
トキは妖精に聞いた。
「ルー」
と彼女は消え入りそうな声で答えた。俺にはその妖精が女のように思えた。
「トキ、無茶なことをするなよ。お前は世間知らずだ。そのために大切な命を落とすことがあるかも知れぬ」
「ボクのことを心配してくれているんだね。うれしいよ。でも、ゴドーがボクをたすけてくれたじゃない」
「フンッ。勝手なことを言ってやがる。俺は滅多なことじゃ、魔術を人には見せない。怖がるからな」
「でも、ゴドーはいいことをしたんだよ。ルーをたすけ出したし、あの人たちのことも傷つけなかった」
「フンッ」
妖精を見ると、彼女は寒そうに身体を震わせた。
「寒いのか?」
彼女は震える口で何かを言おうとしている。その身体を抱きかかえ、さすって温めてやると、やっとの思いで声を出した。
「私は北のはずれにあるエンドルフという山に住んでいました。どうか、私をそこへ連れて行ってください。あつかましいお願いではありますが、もう私には飛ぶ力もありません。願いを叶えてください」
なんてことだ、西の最果てからトキを連れ、今度は北の端までとは……。
「聞いたことがある。エンドルフには妖精が棲むと……。俺も見るのはお前が初めてだ。だが残念だ。噂によると、エンドルフの妖精はすべて狩られてしまったらしい。それでも行くか?」
ルーはショックのあまり死んでしまいそうにがっくりとうなだれた。
「そんな! なんてひどいこと……。誰がそんなことをしたの?」
「フンッ。さっきの奴らみたいなのはいくらでもいる。妖精は高い値で売り買いされているんだ」
自分で言っていて、気分が悪くなった。この世の中には許せねえ奴らが多すぎる……。
「ねえ、ゴドーの力でみんな救い出してあげてよ」
「無茶なこと言うなよ。俺は救世主じゃねぇ」
そんな会話をしている間も、ルーの精気は薄れていく。もう死期は近い。エンドルフまでの道のりを持ちこたえそうもなかった。
「なあ、この先に花の街がある。そこは俺が旅をした中でもいいところだ。酷な話しだがお前の命はもう長くはない。エンドルフまではもたないだろう。花の街、メルフィンまでなら半日もあれば着くんだ。そこには俺の知り合いのエルフがいる。お前たちとよく似た種族だ」
ルーは複雑な表情を見せた。狩られた妖精たちが、元の山に戻ることは一生ないだろう。だが、こうして出会ってしまった哀れな妖精の一縷の命に光を当ててやりたかった。ルーは目を閉じて、軽くうなずいた。
「ゴドー……」
トキにもルーの命が残り僅かであることが分かったのだろう。僕を見つめるその目が潤んでいた。
「行くぞ」
ゴドーがそこで急に語りをやめた。彼はシュリを見て、
「どうやら、王子様はお疲れのご様子だ」
といつになく、丁寧に言った。みると、シュリの頭はこっくり、こっくりと揺れている。
「疲れたんだろう」
ジュペは彼をいたわるように言った。
「いいところだったのに……」
僕はゴドーの話しが途中で終わってしまったことにがっかりした。
「ゴドー、この続きはまた聞かせてよ」
「フンッ」
ゴドーはそんなことどうでもいいといった感じで、鼻を鳴らした。
「奥にベッドが一つある。そこでシュリを寝かせよう」
トキがそう言うと、ジュペがシュリを抱えて奥の部屋へと連れて行った。
「今晩はみんなここへ泊って行くんでしょ? ベッドはないけどいい?」
トキに言われて、
「私たちは旅人だ。どこでも眠れる。土の上でも床の上でもな」
ジュペが言った。
「そんな! 客人に床の上で寝てもらうわけにはいかないよ。ねえ、ゴドー見てよ。ボクねえ、また一つ新しい魔術を覚えたんだ」
彼はそう言って、腰に挟んでいた杖を取ると、それで宙に円を描きながら、口の中で呪文を唱えた。すると、部屋の端から端へと白い見事なハンモックが一つ出来上がっていった。
「やるじゃないか」
ゴドーは珍しく人を褒めた。
「そうでしょ。努力したんだ」
トキは自慢げに胸を張った。ジュペはそれを見て、
「魔術ってのは便利なものだなぁ」
と言って、そのハンモックによじ登った。そのとたん、ハンモックは破れ、彼は派手な音を立てて床に落ちた。
「あーあ。それねえ、体重制限があるんだよ」
トキがあっけらかんと言うと、
「ム、フフッ」
ゴドーが笑った。
「ゴドーが笑うなんて珍しい。僕は始めて見たよ」
「そう? ボクの前では珍しくないよ」
そう言って、トキは真面目な顔して、ハンモックを復元させた。
「さあ、これで使える。太郎なら大丈夫だと思うよ」
「本当? 寝ているうちに破れたりしないかなぁ?」
僕は恐る恐るハンモックによじ登った。
「一晩寝てみれば分かるよ」
彼は面白い人だ。一緒にいると、とても和む。
「そうだね」
「あと三つ、ハンモックが必要だな。それは俺が作るから安心しろ。トキ、役に立つ魔術を覚えろよ。そうでなければ一人前になれねぇぞ」
ゴドーにそう言われて、トキはにっこり笑ってうなずいた。
「うん。ゴドーみたいに立派な魔術師になるのがボクの目標だからね」
ゴドーはフンッと鼻を鳴らしたが、その顔はうれしそうだった。
「さあ、ガキは早く寝ろ」
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