第十一話「桜の便り ーさくらのたよりー」(前編) ①

 むせ返るような臭いが鼻をかすめる。


 山の奥底にたたずむ小屋は、いつ見てもみすぼらしくていんうつだ。周囲には雑草が無造作に生い茂っていて、日当たりがすごぶる悪い。しかもこの辺りは蛇や蜘蛛のそうくつとなっていて、小屋が建つまでは誰も足を踏み入れない場所だった。


 そんな場所をわざわざ選んで、こんな薄汚い小屋を巫女の実家の敷地内に建てた上に異臭まみれにするのだから、大した神経の持ち主だと思う。


 もっとも、大勢に囲まれるとすぐに顔を赤くするあの男のことだから、単に人目を極力避けた結果なのだろうけど。



 足音を立てないよう、慎重に小屋へと近づく。



 小屋の中からは、相変わらず木を削る音だけが聞こえてくる。

 中から漏れている腐臭と鉄の臭いが、空気と共に鼻を突いた。何度いでも慣れない強烈な臭いに、思わず眉をひそめる。


 手にしていた食事を、扉の前に置く。


 虫にたかられないように、わざわざ箱に詰めた上で風呂敷に包んであるが、あくまでもすぐに手に取ればの話だ。作業に没頭しているからか、一日以上経っても手を付けず、結局虫にまみれていることも少なくない。


 本来なら中に置いていくものだが、小屋の主は人見知りな上にかんしゃく持ちだ。食事を持ってきたと告げるだけで「黙って置いてけ」と怒鳴り声を返してくる。


 そういうわけで、物音がしたなら声をかけないようにしている。

 あくまで生存確認と食事の提供のために足を運んでいるだけだ。一介の侍女である私が、それ以上をわざわざ気にかけてやる必要はない。



(……さてと)



 扉のすきからはみ出してきたうじむしを横目に、小屋の中へと思いをめぐらせる。


 食事を持ってくる度に鼻につく強烈な異臭。どう考えてもただ木を彫っているだけではない。まともな人間なら、すぐさま退散するだろう。


 事実、この仕事は本来なら女中の役割なのだが、扉から湧き出る蛆虫で腰を抜かした上に、強烈な臭いで吐き気をもよおしてしまったため、侍女の私に白羽の矢が立ってしまったのだ。しかも、生存確認を追加するというおまけ付きで。


 その有難迷惑なご期待通り、臭いや蛆虫で仕事に支障をきたす慎ましやかな神経なんて、とうの昔に捨てた。


 こうなったら仕方がないと割り切り、今やすっかり私の役目と化していた。


 押し付けられた形だが、単独行動を取れること自体は好都合だった。

 いつなんどき、復讐の機会が訪れるか分からない。どんなさいなことでも、使いようによっては重要な手札になるかもしれないのだ。


(それに、やたらと騒がれても厄介だしね)


 敷地を蛆虫だらけにするやからがいると騒ぐ者が増えれば、屋敷の者も対処せざるを得ない。下手したら、異常者がいるからと姫の警護が厳重になる可能性もある。



 いずれ姫を殺したい身としては、なんとしても避けたい事態だ。



 一度、もついて来ようとしたことがあったが速攻で断った。


 小屋の中を見たが最後、「桜ちゃんをこんな汚らわしい所に寄越すなんて!」と外壁を破壊し、床をう大量の蛆虫をあしにした挙句、中の男を半殺しにしてしまいかねない。他の侍女や女中以上に面倒なことになるのは目に見えていた。


 忍び足で外壁に張り付き、しゃがみ込む。


 高窓には二重造りが施され、小屋の中をうかがうことはできない。戸口もやすやすと開けられないようになっている。

 徹底して人目を避ける構造だ。こんな所に近づくのなんて、仕事で仕方なく足を運ぶ者か、頭のおかしい物好きくらいだろうに。


(人見知りもここまで来ると、もはや末期ね)


 もちろん、それでは仕事にならない。

 任されたその日から、男の外出時を見計らって外壁の僅かな隙間を少しずつ削り、なんとか中をのぞける程度の穴を設けたのだ。


 指の爪ほどの小さな穴に、目を近づける。




 赤にまみれたその空間は、およそ人の住む場所ではなかった。




 体を裂かれ、血をしぼり取られた蛇の死体が天井を埋め尽くしている。もはや天井の形状が一目では分からない有様だ。


 真新しい死体は血の雫を時折垂らしているが、すでに骨と化しているものもいくつか見受けられる。ここからだと暗くてよく見えないが、崩れ落ちた蛇の骨が床にまき散らされていることは容易に想像できる。


 姫への捧げものであるはずの像は頭から血を被っており、その前に腰かけて彫り続ける男もまた、全身を血で汚していた。


 天井に蛇を吊るし、その血にまみれて一心不乱にのみを振るう姿は、たくみというよりは呪い師のたぐいにすら見える。


(相変わらず、物騒な作業場だこと)



 男には耳がなかった。ここからでは見えないが、もう片方の耳もない。



 去年の騒動で切り落とされたのだが、当初は『みみ』という名の通り、兎のような異様に長い耳を有していた。

 加えて姫に「馬みたいな顔」と形容されたことで『うまみみ』と呼ばれるようになった。もっとも、今はその長い耳もないが。


 そんなことがあったから、初めてこの奇行を目にしてからしばらくは警戒した。


 耳の件から、あの男が姫を恨んでいる可能性は充分あった。恨むのは勝手だが、下手なことをされて、私の目的をはばまれたらたまらない。


 結局、その警戒は徒労に終わった。


 天井に蛇の死体を吊るす行為は意味不明のままだが、脱走するわけでも、姫に襲いかかるわけでもなく、ただ木を彫り続けるだけだった。


 少なくとも、まともな人間ではない。

 普通なら逃げ出すか、恨みをつのらせるかの二択だ。耳男はどちらでもない。


(まぁ、小屋を蛇の死体だらけにする時点でまともじゃないけど)


 今となっては、ただ生存確認のためにのぞいているにすぎない。

 だというのに、小屋を覗く度に、この凄惨な光景から目を離せない自分がいた。



 いや、正確には耳男が像に向ける目からだ。



 姫のために像を彫る匠は他にも二人いるが、彼らと違って、姫へのこびや褒美に対する期待が一切見受けられない。

 むしろ、姫にあらがっているようにすら見えた。不自然なまでに見開かれた目は、さながら猛獣を前にした小動物のようだ。


 心情は定かではないが、提示された条件からいつだつした像を作っていることから、姫を喜ばせるつもりが皆無なのは明らかだった。


(……そろそろ、戻らないとね)


 生存確認は充分なので、見つからないよう早々に小屋から離れた。


 かさりと、草を踏む音が耳に入った。

 服を引きずるような音が重なり、目を見張る。




「お務めご苦労様」




 木の幹に白い手を付いて、少女が茶目っ気な笑顔をたずさえていた。


 亜麻色の豊かな髪に、あめいろにも見える茶色の瞳、好奇心いっぱいの大きな目。

 浮世離れした容姿を持つ可憐な少女は、ながひめその人だった。


「姫様……」


 少しは立場をわきまえろといういましめを込めて、小さく溜め息をつく。

 この敷地の姫君でありがながら、着物が汚れることも構わずに、一人でこんな山奥の陰気な場所に足を運んできたのだ。まさに頭のおかしい物好きといえよう。


 もちろん、このほんぽうな姫が一介の侍女の戒めなど気に留めるはずもなく、「ねぇ!」と身分に不相応な軽い足取りで草の中を通り抜けてきた。

 


 飴色の瞳はきらめき、ほおは採りたてのりんのようにほんのりと赤く染まっている。


 女の私から見ても、美しく愛らしい姫だ。

 本当に、腹立たしいほどに。



「今日は声をかけたの?」

「返ってくるのは怒鳴り声だけですよ。問題なく生きているようですし、かけるだけ無駄ではないかと思います」

「私がかけてきましょうか?」

「まだ完成していないみたいですが、それでもよろしいのでしたら」

「じゃあ、止めておくわ。お楽しみは取っておいた方がいいもの」


 夜長姫がかたわらの株に腰をかけた。男が像を作るために切ったものだろう。足下を数匹ほど虫がっているが、気にも留めず天を仰ぐ。


「今年もお預けかぁ。せっかくの休暇なのに、お父様が代わり映えしない着物をこしらえてきた以外になんの進展もなかったわね」

「平和で何よりではありませんか」

「そんなの、これっぽっちも求めてないわ。あーあー。どうせなら、またみたいな子に会えたらいいのに」


 夜長姫が大仰な溜め息をつく。


 今は亡き機織りの奴隷娘の名前を出したことが、少し意外だった。私が思っていた以上に、江奈古の件が印象に残っていたらしい。



 耳男にしろ江奈古にしろ、ここ最近は他人へ興味を抱くことが多い。



 もっとも、興味は抱いても執着はしない。

 その証拠に、憂いに満ちた表情はすぐに無邪気な笑みと変わった。


「まぁ、今は楽しみがあるからいいけど」

「楽しそうですね」

「えぇ、とっても。一体、どれほどの呪いを込めているのかしらね」


 さらりと吐かれた言葉に、全身が凍り付いた。


「……中を、ご覧になられたのですか?」

「いいえ。でも、分かるわ。あんなに赤い桜は七年ぶりだもの。ほら」


 夜長姫が幼子のように指を差す。


 当然、私には汚らしい小屋しか見えない。

 それに気付いた姫が、落胆の声を漏らした。


「……あぁ、お前は見えないんだったわね」

「えぇ、恐れながら。あのまま放っておいてよろしいのですか?」

「なにが?」

「巫女の使命は、気を均等に保つことです。私には見えませんが、赤い桜が放置していいものではないことくらいは分かります」

「大丈夫よ、あれくらいなら一つや二つあったって問題ないわ。それに、私個人としてはもっと赤くなってもいいくらい」

「巫女にあるまじき台詞ですね」


 どうこくの巫女であるおうが聞いたら、血相を変えて掴みかかること間違いないだろう。実際、夜長姫の『うい巫女みこ』の時にそうなった。


 もっとも、その時の話を振ったところで他人事のように聞き流すだけだろうし、言われるまで思い出しもしないだろう。


「本当よね。私、なんで巫女になんて選ばれちゃったのかしら。ねぇ? さくら

「私に聞かれましても……文句なら、選んだ黒湖様に仰ればよろしいかと」

「あんなのは、からくりとなんら変わりないわ。喋りかけるだけ時間の無駄よ」

「からくり……?」


 この姫は時折、こうやって訳の分からないことを口にする。

 確かに黒湖は謎に包まれているが、それでも湖であって、からくりなどではないのは火を見るよりも明らかだ。



「それより、ほら見て! また赤くなった」



 姫が、再び小屋を指した。

 身を乗り出し、声を張り上げるその様は、私と同い年とは思えないほどに子供っぽい。育ちの良さのためか、その年にしてはあまりれていないように思える。


「本当に綺麗……きっと、世にもおぞましいものを作ろうとしているのね」


 姫がつぶやきながら、うっとりと頬を緩ませる。

 おぞましいという言葉からは、およそかけ離れた表情だった。



 巫女は、あらゆるものに桜を見出す。



 当然、あの血生臭い小屋からも見事な赤い桜が生えていることだろう。想像するだけで、吐き気すら覚えてくる。


 まともな神経なら、そんなおぞましいものに美しさなど求めない。


 だけど、この姫は狂っている。常に血と叫びを求める生粋の鬼だ。

 たとえそれが、自分に向けられたものであったとしても変わらないだろう。


「お前も見えたらいいのにね。あんなに美しいのに、本当に残念だわ」


 血と腐臭にまみれた小屋を、姫はこうこつとした笑顔で飽きるまで眺めていた。

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