第3話 転生不能


「落ち着いた?」

《ええ、みっともないところを見せてしまったわね。もう大丈夫よ》


 そう言ってはいるものの、クルクルと杖を持つ手とは反対の手で髪を弄っているのを見るに、多分まだ完全には落ち着けていないっぽい。

 ちなみに今私たちはさっきの真っ白空間にすごく弾力性のある青くて丸いクッションみたいなのを敷いて、パフェを食べながら向かい合っている形になる。

 彼女が錫杖を2回鳴らすとどこからともなくそのクッションと机、ついでに私だけパフェが現れて、そのまま彼女はクッションに埋もれ、少しの間手足をバタバタさせて呻いていたのはかなり可愛い光景だった。

 ……まあそれはいい。今は私のことが問題だ。


「おかしいとは思ったのよね。最後のバスの中で見た限りだと、首が捩れてたり、腕が取れてたりしてたのに、ここにいたクラスメイトたちは五体満足で制服に汚れすらついてなかったんだから」


 ここに来てすぐに彼らの姿を見たが、目立った異変など欠けらもなかった。誰もが健康そうで、死んでいると言われても説得力がなかったほどだ。だからこそ皆最初は誘拐だと考えたし、女神の力によって回想シーンを見せられるまで誰も死んでいるなんて考えてもいなかったのだから。

 ……いや、あの太っちょは薄々勘づいてたのかもしれない。そういうのに詳しそうだったし。


《それは当然よ。彼らの魂だけをここに招いたのだもの。余計な傷、余計な痛みを伴わないように死亡する少し前の姿になるように調整してね。けれど……》


 女神がこちらを見つめてくる。

 確かに私の服装はよく見れば所々に薄く汚れがついていたり、何より後頭部に傷が残ったままである。

 この時点で差異に気づいておくべきだったけど、正直に言って私も混乱気味だったし仕方がないと思う。


《けれど、あなたにその魔法は効果がなかった。当然よね。あなたは体ごとこの神域に来てしまった。魂だけを癒しても、体に残った傷はそのままなのだから痛みを感じざる得ない》


 そして、と顔に手を当てて蹲るように話す。


《転生させる魂に肉体がついてたら転生魔法は発動しない。だからあなたはここに取り残されたのよ》


 なるほど、と少し納得する。

 肉体ごと転生して変な風になっても困るし、助かったのかもしれない。


《あああああどうしよう……。死人だけを転生させるって取り決めだったのに。これじゃああっちの神々に戦争ふっかけられても文句言えないぃ……》


 再びクッションと同化し始めるポンコツ女神。

 最初にあった威厳みたいなのはもう欠片も残っていない。キャラを作ってたみたいだけどそれを気にしていられないくらいに切羽詰まっているということかも。

 まあそれはそれとして、パフェを少しずつ食べながら彼女に問いかける。


「そもそも、どうして私がここに来れたのかな? 私の記憶じゃバス事故の直後までしかなくてそこのところよくわからないんだよね」

《そうよ! 術に問題はないのだからまず確かめるのは最初、ここに魂を招集したときに決まっているわ!》

「!?」


 思い返していた時に急に彼女が立ち上がったので少しびっくりした。

 しかし、そんなことなど気に留めず、彼女は錫杖を鳴らす。

 先ほどよりも大きな映像が目の前に現れる。

 シーンは……丁度さっきの続きあたりかな。

 あの回想シーンと私の記憶にそこまでの差異はない。

 たった一つ違うのは、私という生存者がいたこと。


【いったぁ……】


 あの時、私は確かに生きていた。

 激しく回転する車内、壁際だったことが幸いしたのか私は必死に身をかがめ、席にしがみついて振り回されないように必死だった。

 私は何もできなかった。

 車外に放り出される人を見ても動けなかった。耳をつんざくような悲鳴が聞こえても何もできなかった。

 全てが終わっても、私は動けなかった。

 体の震えがおさまって、ようやく私は瞼を開ける。


【もう、なんでこんな目、に…………】


 見なければよかったと、ひどく後悔した。

 そこは地獄がった。一目見ただけで、生きてる人はいないと確信できるほどに、死に満ちていた。

 むせかえるほど、鉄の匂いがする。床や壁のみならず、天井にすら血液がぶちまけられているからだ。

 体の一部であろう何かが一面に転がっている。

 朝聞こえていた騒がしい声はもう聞こえない。うめき声や呼吸の音も聞こえない。

 私以外の全てが命を落としたのだと、この時全身に思い知らされた。


【っ!? 頭打ったかな】


 必死で気がつかなかったけれど、どうやら頭を打っていたようで、手を当てると血が滲んでいた。


【ともかく、早く出ないと】


 こんな場所にいると気が滅入る。それに事故車から出火する事例もよくあるから、あの時の私はまず脱出することを第一に行動した。

 歩くたびに水音がする。

 気持ち悪い感触が足に伝わってきた。

 本来左側にある窓が下になっているせいか、一歩一歩が重く、思うように進まない。

 もう少しで出口、というところであった。


【おやおや、これはいけないね】


 あちらの私の目の前に、黒い翼を伴った男とも女とも取れるような、まるで神話の堕天使のような美形が現れたのだ。


「え、何これ知らない」


 私はこいつを知らない。

 私の記憶はバスを出ようとするところで途切れていて、誰かと出会った記憶はない。


《おそらく、あれはこちら側の存在でしょうね。普通の人間には見れないし触れないから、覚えてないのも無理はないわ》


 幽霊みたいなものか、と今は一先ず置いておく。

 画面上の私はそいつに気づかず歩みを進める。


【まさか彼ではなく君が生き延びてしまうとは、彼は本当に運がない。そして君も】


 そいつが指を鳴らすと、唐突に私が力なく倒れてしまう。


【君の命は彼のために使うとしよう。見えも聞こえもしないだろうが、恨むならば私を恨みたまえ】


 そいつの手の中には光り輝く何かが握られていた。

 その直後、周囲が光に包まれる。

 画面が白く染まったかと思うと、すぐに元の映像に戻る。しかしそこに私の姿はなく、あるのはクラスメイトや教師たちの死体だけだった。

 そこで映像は途切れる。これ以上は見ても無駄ということだろう。


《最後にあいつが持ってた光はあなたが本来生きるはずだった時間、つまりは寿命よ。おかしいと思ったのよ。一度完全に死んだはずの人間が生き返るなんて! あなたから奪い取った寿命を彼に与えたのよ。だから彼が生き返った。けれど完全に蘇生したわけではないはずよ。一度死を体験してしまえばその影響からは逃れられない。きっと今後の人生に何かしらの悪影響を与えるはず。そして……》


 一度こちらを見て、覚悟を決めたように告げる。


《本来、寿命を取られた程度で死ぬほど人間はやわな存在じゃないわ。一定期間仮死状態になった後に肉体が腐って死ぬの。けれど魂を転送する際にあなたの寿命がなかった。つまりは死者に近い状態だったわけ。だからあなたは生きてもいなければ死んでもいない状態で肉体ごとここに送られてしまったの》

「ははぁ……」


 いきなり難しいことを雪崩のように言われてもちょっと理解するのに時間がかかるよ。

 書面でならまだしも、口頭で話されるのは少し辛いよね。


《で、本題はここからなんだけど》

「まだ何かあると?」

《ええ、本当ならば彼からあなたの寿命を回収して生き返らせる必要があるのだけれど、その為にはあなたを地球へと送り返す必要があるのだけれど……。えっと、その……》

「ああ、なるほど。そういうこと……」


 話が見えてしまった。

 全く、こんな時に限っていらない閃きがくるんだから。


《……間違いがあったとはいえ、あなたは契約の手続きに則ってこちらへ送られてきたから、その契約を果たすまではこの世界にとどまらなくてはならない。だから転生するしかないのだけど、肉体を持ったままここに来てしまったあなたは。本来不要となる肉体を伴った転生はそれ相応の偉業を成した英雄クラスでないと成功することはまずないわ。肉体と魂を分離しようにもここへ来た時点で魂と肉体が同一のものとして扱われているからもう分離もできない。……そして、最も重要なことなのだけれどこの神域では魂は生前の姿を保つことができるの。それは肉体があった場合でも変わらないわ。ここでは生前行っていた食事などの行為は必要ないし寝ることもない。病むこともないし成長することもない。そして。つまり》

「つまり私は生き返ることも生まれ変わることもできずにここでずっと過ごすしかない、ということですか」


 彼女の言葉を遮って告げる。

 どうやらそれは合っていたようで、彼女の表情が目に見えて悲しげに変わった。

 

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