第14話 取引、憑りつき?

 普通に考えたら、慧が落としたイヤホンを輝虎が拾っただけ。という構図なのだが、如何せんラヴィとの交信に利用しているイヤホンは特製品でこの世に一つしかないデバイスなので、科学に敏感な輝虎が変な疑問を抱かなければ良いのだが。と杞憂しながら、慧はガラス扉を押し開けてテラスに戻った。


「ど、どうかしました?」


 変に追及されることを忌避した慧は、自分がイヤホンを落としたという事実を隠しつつ、しかし話の主題はイヤホンに持って行きたかったため、とりあえず無難に疑問形で入ることにした。


「ん、いや、珍しいモノを拾ってね……」


 いつもは豊かな表情と陽気な調子で喋っている輝虎だが、今回ばかりは一風変わり、真剣な表情で、かつ低い声音で返答した。その様子に多少威圧された慧は一呼吸おいてから話を続けた。


「へぇ、俺にも見せてくださいよ」


 自然に努めながら、慧はつい数分前まで座っていた席に着いた。


「イヤホンと言うジャンルにそれほど聡いわけでは無いが、この形は初めて見た。まるで耳栓みたいだ。果たしてこの大きさで良質な音を保てるのだろうか?」


 尚もイヤホンを観察しながら捲し立てると、チラリと慧のことを見て咳ばらいをした。


「コホン、これはすまない。夢中になると独り言が多くなってしまってね」

「いえ、全然気にしてないですよ」


 その言葉通り、様子が変わった輝虎のことを気にするよりも、彼女がつまむようにして持っている二つのイヤホンを回収することで慧の頭は一杯一杯であった。


「君は見たことあるかい?」

「うーん……」


 ここは慎重に答えなければならないと感じた慧は、ひとまず唸り声を上げて場を繋ぎ、身体をテーブルに乗り出してイヤホンを凝視する素振りを見せ、再び席に戻った。


(さて、なんて言うのが正解だ……。こういう場合、好奇心旺盛な先輩なら、きっと嘘の商品情報で誤魔化そうとしても、合点がいくまで調べ上げようとするはずだよな。となると、変に情報を出さない方が得策だ。と思う。だから……)


 長い唸り声の末、チラリと輝虎の顔を見た。


「分かりません、俺も見たこと無いです」

「ふむ、そうか……。どうにも今のままでは情報が少なすぎるね。ま、僕の研究対象では無いから、職員室にでも持って行こうかな」


 結論を出すや否や、輝虎は二つのイヤホンを右手で包み込み、そのまま白衣のポケットに突っ込んだ。そして流れるように立ち上がると、ガラスの扉目指して歩き始めようとしたので、慧も慌てて立ち上がり、それを制した。


「あっ! そうだ。俺の父が詳しいんですよ。だから、俺が持って帰っても良いですかね?」


 声に振り向いた輝虎は微動だにせず慧のことを見つめる。丸眼鏡の奥に潜む青が大海の如く慧を睨み、それはやがて渦巻となって自分を飲み込んでしまうのではないかと慧は怖気づいた。すると、輝虎は完全に身体をこちらに向け、改めて慧の顔を見直すと、ニヤリと笑った。


「分かった。こうしよう」


 先ほどまで浮かべていた真剣な表情は失せ、緩み切った、しかしそれでいて企みのある不気味な微笑みを湛えて話を続けた。


「今日の放課後、理科室に取りに来たまえ! 一緒に解明しようではないか」

(そ、そう来たか……!)


 不覚を取ったと顔を歪める慧。一方、してやったりと悪い笑みを浮かべている輝虎。二人の間ではしばし視線だけのやり取りが続いたが、数秒後には慧が折れた。


「……分かりました。放課後、理科室に行けば良いんですね?」

「良いんだね! 来てくれるんだね!」

「はい、行きますよ。俺も気になるので」

「はっはっはっは! 僕の粘り勝ちだね。待っているよ、君!」


 輝虎は悪役のような立ち居振る舞いでそう告げると、軽やかなステップであっという間にガラスの扉の前まで飛び退き、ウインクをしながら舌を鳴らし、二指の敬礼をして去って行った。


「はぁ、騒がしい人だな……。にしても、これで放課後までラヴィと話せなくなっちまったのか。参ったな」


 ぼそりと呟いて腰元のテーブルに視線を落とすと、綺麗に平らげられた弁当箱が置かれていた。慧はそれを見て再びため息をつくと、自分は全く手を付けていない弁当の後片付けを始めるのであった。

 ひょんなことから唯一の通信ツールであるイヤホンを失い、弁当も全て食べ尽くされてしまった慧がテラスに居残る理由も無く、慧は弁当箱の入った巾着を持って教室に戻った。もうすぐ昼休みが終わるせいか、始まった当初に廊下や教室内に屯していたはずの生徒たちも自分の教室に引き返したようで、慧が教室に戻るまでにはほとんど他の生徒と顔を合せなかった。そうして間もなく教室に戻ると、クラスメートたちも例外ではなく、一部を除いたほとんどの生徒が席に着いていた。そんな様子をパッと見まわして確認した慧が最終的に自分の席に視線を向けると、机に突っ伏している伊武の姿と、疲労が伺える恵凛の背中が視界に入った。


(江波戸、保健室から出て来たのか。わだかまりは無くなったとはいえ、やっぱり若干気まずいな……。龍宮さんは相変わらず質問攻めにされてたっぽいな。俯いてるし、背中も丸まってるし。って、俺が気にすることでも無いか)


 二人の背中を見てぼんやりと考えながら席に着いた慧だが、すぐにイヤホンを紛失したことを思い出し、恵凛と伊武の存在を脳の端っこに追いやった。


(ダメだ。今は放課後のイヤホン奪還作戦を考えないと。きっとあの調子だと、胡散臭い部活に俺を引き込むつもりだろうし、なんとか早めにイヤホンを取り戻さないと)


 こうして慧は残りの昼休みを、輝虎からどうやってイヤホンを取り戻すかに費やすのであった。

 しかし当然そんな短時間で答えが出るはずも無く、五時限目が始まった。相変わらず恵凛とは教科書を共有するのだが、考え事をしているせいなのか、はたまたこの状況に慣れたのか、もうあまりこの近さが気にならなくなっていた。伊武も伊武で左隣に居はするものの、退屈そうに窓の外を眺めるばかりで慧に関心を示す様子は無かったので、慧の頭の中でも徐々に伊武の存在が薄くなっていった。

 ……その後、大きなアクシデントが起こることもなく、何事もない、これぞ平常と言った時間が経過していき、気付けば六時限目も終わろうとしていた。数学担当の内海は時計を確認してから少し早口にラストスパートを済ませると、日直が号令を掛けて六時限目が終わった。


「それじゃ、十分休みの後にホームルーム始めるからねー!」


 内海の掛け声を耳にしながら、慧は広げていた教科書とノートを畳んで机にしまい、机の左横のフックに掛けていた学校鞄を取り上げて机の上に置いた。


「今日はありがとうございました」


 鞄の中に筆箱をしまっている折、恵凛がそう言って頭を下げた。


「いや、俺は全然。早く教科書届くと良いですね」

「え、あ、はい。そう、ですね……」


 無難に答えたつもりでいた慧だが、恵凛の反応はあまりよくなかった。


(逆に素っ気なさ過ぎたか。距離感が難しいな)


 今後の応対について考えながら帰り支度を済ませた慧が席に着くと、改めて恵凛が慧の方に身体を向けた。


「あ、あの!」

「は、はい?」


 いつもギリギリ聞こえるくらいの声量だった恵凛が初めて声を張って自分を呼び止めたので、慧は少し気圧された様子で畏まった答えを返した。


「しゅ、週末、お暇ですか?」

(ん? これは、えっと、どういう状況だ?)


 耳を真っ赤に火照らせた恵凛は慧の答えをじっと待つ。その間、微かに潤んだ瞳が時折慧に向けられ、その度に慧の心の動揺の波紋が広がった。


「よ、用事があるようでしたら、大丈夫ですので……」

「いや、大丈夫です! 今ちょっと、脳内で予定を確認していただけで、は、はは」

「本当ですか! 良かった……。それでは二日後の土曜日でもよろしいでしょうか?」

「はい、土曜日ですね。分かりました」

「ふふ、ありがとうございます」


 淑やかな笑みを浮かべて綺麗なお辞儀をすると、恵凛は尚も耳を赤くしながら正面に向き直った。


(……あれ。何となく流れで約束しちゃったけど、これ、大丈夫なのか?)


 脳内には執事の姿や、想像で作り上げた筋骨隆々なガードマンたちの姿が浮かび上がる。ご令嬢に手を出したからこの学校からも追放されるかもしれない。何て被害妄想が捗る中、慧は自分の机と椅子を元の位置に戻して腰を落ち着けた。


「フッ、疫病神にでも憑かれたかもね」


 左からした縁起でもない言葉に反応して顔を向けると、つい数秒前まで窓の外を見ていたはずの伊武がこちらを見てほくそ笑んでいた。


「止めてくれよ。ここ数日で二回も保健室に世話になってるんだから」

「確かに。じゃあ本当に憑かれてるのかも」


 伊武は真剣な表情で脅すようにそう言うと、再び窓の方に顔を背けた。


「けど、怪しいのは確かなんだよね……」


 窓に映る慧の横顔を見ながら伊武が呟く。しかし慧はそんなことには微塵も気付かず、物憂げに頬杖をついて伊武の言葉の真意を考える。


(憑かれてる。か。確かに悪く考えるならそうだけど、まさかな。ただラヴィが言ってたみたいに、俺が行動してるから色んな結果が付いて来てるだけだよな。うん、そうだよな……)


 慧の不安を遮るように十分休み終了のチャイムが鳴った。それと同時に内海が声を掛け、生徒たちは帰りのホームルームに備えて各々の席に戻った。


「……後は部活見学についてだけど、一応明日までとなっているので、気になる部活がある場合は、今日か明日には見て回ってください。くらいかな。それじゃ、一日お疲れ様でした。号令お願い」


 日直の号令で礼をすると、生徒たちは今日一日の義務から解かれる。さて自分はさっさと理科室に行ってイヤホンを取り戻さねばと慧が立ち上がると、


「あっ! 風見君。ちょっといい?」


 内海から声が掛かった。


「はい、何ですか?」


 教室を出て行こうとしていた慧は鞄を右肩に下げたまま教卓に向かった。そして教卓越しに内海の顔を見て、少しだけ嫌な予感を覚えながらそう答えた。


「その、信じられないとは思うんだけど」


 不穏な出だしに慧は身構える。


「君の横の家、今空き家だったのよね?」

「はい、そうですけど」

「実はね、その家を龍宮家が借りたらしいのよ」

「か、借りた?」

「えぇ。それでね、あなたに登下校の付き添いをしてもらいたいらしいの……」


 内海は本当に申し訳なさそうに、しかし頼めるのは君しかいないという懇願の意味も混じった瞳で慧を見た。


(正直面倒だけど、先生に同情してオッケーするか。とか言う次元じゃ無いな。もう断るという選択肢すら用意されてない……! むしろ断るなんてことをしたら、荒波を立てるだけだ。つまり、素直に従うしかないってことか……)


 心の中でどうすることも出来ない現実に辿り着くと、慧はゆっくり頭を縦に振った。


「良かった、ありがとう。何かあったらいつでも言ってね」


 内海は柔らかな口調で感謝を述べると、友愛の意を表した笑顔を見せた。そしてその直後に教室後方に立っている恵凛にも瞳と頷きだけで挨拶をすると、内海は教卓にまとめていた書類を持って教室を出て行った。


(で、龍宮さんと帰らなきゃいけなくなったわけだけど。かと言ってイヤホンをあの人に預けたままってのは嫌だし……。ひとまず、理科室に寄っても良いか確認してみるか)


 深呼吸のつもりで大きなため息を漏らした後、慧は教室の後方で立ち尽くしている恵凛の元に戻った。


「えっと、もう話は聞いてる感じ、ですかね……?」


 お待たせしました。と言うのも突拍子が無さ過ぎるし、帰ろうか。と言うにも馴れ馴れしい。しかしだからと言って声を掛けないと話が進展しないので、ひとまず質問のようでいて探りを入れるような曖昧な言葉をかけた。


「はい。爺やから聞いております」


 きょとんとした様子で言ったかと思うと、次第に頬を赤らめ、慧が話を継ぐよりも先に恵凛が弁明を始めた。


「あ、えっと、その、私が言い出したことでは無くて、執事が勝手に調べて用意したと言うか、つまり私は無関係で――」

「分かりました。俺がちゃんとお送りするので」


 興奮状態の恵凛を沈めるため、慧は無理矢理言葉と言葉の間に割って入った。


「し、失礼しました……」


 それで我に返ったようで、恵凛はペコペコと頭を下げた。


「いや、気にしないでください。……それで、少し話は変わるんですけど」

「はい、何でしょうか?」

「そのですね。ちょっと顔を出さないといけないところがありまして。それに、どれくらい時間が掛かるかも分からなくて。帰宅が遅くなっても大丈夫かなーと……」


 まるで上司に悪い報告をするかのように、慧は畏まってそう言った。すると恵凛は視線を逸らし、小さく頷いた。


「大丈夫そうですか?」


 慧がそう聞くと、恵凛は後ろで手を組んでチラチラと慧のことを上目遣いで見やった。


「えっと、どうかしました?」

「それです」

「え?」

「敬語、嫌です」


 その一言とその上目遣いの殺傷力と言ったら、陳腐な比喩ながら、まるで心臓に矢が突き刺さったかのようであった。


「あ、は、はい。すみません」

「……」


 最早自分が何を言っているのか理解できない、心ここに在らずと言った状態でとりあえず口を動かした。しかしその返事は恵凛が望んだものではなかったようで、不満そうでいて、純粋な瞳でたじろぐ慧に追い打ちをかける。


「えっと、ごめん。……龍宮」


 上の空ながら可能な限り細心の注意を払った言葉で答えると、恵凛は細めていた目をパッと見開き、うんうんと二回頷いた。


(どうやらこれで良かったみたいだな)


 あからさまに態度を変えた恵凛を見て、慧は胸を撫で下ろす。


「それで、どこへ行くのですか?」


 完全に気が抜けていた慧は、恵凛にそう問いかけられてようやく思考が再稼働した。


「あ、うん。理科室に寄って帰りたいんだ」

「分かりました。では、早速向かいましょう」


 何故か乗り気な恵凛は快活に答えるや否や、すぐに教室の出入り口へと向かった。


(なんか雲行きが怪しくなってきたな。何も起こらなければ良いけど……)


 いろいろな出来事のせいで感情の浮き沈みが激しい中、慧は一抹の不安を抱えながら、イヤホンを奪還するべく、恵凛と共に理科室を目指して教室を後にするのであった。

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