第6話 一日が終わり、また始まり
【ジ、ン……。ゴ、シュジ……。デ、デ、ジュウ、デン、ガ……】
ふと意識が戻った一瞬、脳内で奇怪な機械音がこだましていた。まさかそんな夢みたいなことが……
【シュ、ジ……ン。ジュウデ、ン、ヲ……】
続けてもう一度、聞いたことのある声が慧の神経を刺激する。これは、ラヴィの声だ。そうと気付いた慧は慌てて身を起こし、ポケットに入れたままにしていたラヴィ本体とイヤホンケースを取り出した。
「ごめん、ラヴィ。思ったより疲れてたみたいで、抗う間もなく……」
慧は思いつく限りの言い訳を述べながら、ラヴィを充電ケーブルに繋ぎ、イヤホンをケースに戻し、ついでに自分のスマホも充電した。そうして何とかこの場を誤魔化した気になった慧は、ようやく明瞭になって来た視界をあちこちに向け、最終的には壁掛け時計で止めた。時刻は九時を回っていた。窓から日は射していないから朝では無いとすぐに判断できたものの、夜の九時を回っているという事実が慧の気持ちを鬱々とさせた。
(とりあえず、今日はコンビニ弁当でも買って来るか)
そう思い立った慧は家の鍵と財布とだけを持ち、最寄りのコンビニへ向かった。
なけなしの小遣い貯金を切り崩して焼肉弁当を買って帰って来た慧は、弁当を電子レンジで温めている間に自室へ戻り、鍵と財布を学校鞄に戻した代わりにスマホとラヴィとイヤホンケースを持ってリビングに向かった。
リビングに戻ると、丁度電子レンジが温め終了のアラームを響かせていた。それを取り出して席に着くと、片耳にだけイヤホンをして食事を始めた。
「大丈夫か、ラヴィ?」
【うーん、もう食べられません……】
「うん、大丈夫そうだな」
夢見心地と言うか、本当に夢を見ているようだったので、慧はそれ以上ラヴィを刺激することは避け、イヤホンを外して焼肉弁当を食べきり、空になったプラケースを洗ってからゴミ箱に捨てると、冷蔵庫から先ほど一緒に買ってきたアイスコーヒーを手に取って席に戻った。
「おいラヴィ。まだ寝てるのか?」
【アレがソレでコレがアレで……】
「どんな夢見てんだよ……。おい、ラヴィ!」
【はいぃ! お呼びでございますでしょうか!】
「よく眠れた……訳は無いよな?」
【ご主人! もう、当たり前ですよ。充電ギリギリまで放置して、挙句の果てには叩き起こすなんて!】
「悪かったよ。なんか直接謝らないと気持ちが悪くてさ」
【それでまた罪を重ねているようでは意味ありませんよ、ご主人……】
「あ、それもそうか」
【まぁまぁ、今回は許すとしましょう。その代わり、起こしたんですから私のお喋りに付き合ってくださいよ!】
「分かったよ。流石に今回は俺が悪いしな」
自らの責を感じながらも渋々そう答えると、慧はアイスコーヒーのキャップを開けて苦みを堪能した。
【ではまず、私の分からないことから聞かせてください】
そう切り出したラヴィは、次から次へと質問を始めた。家のことやら電車のことやら、学校のことやら町のことやら、大部分のことを聞き終えると、今度は人間関係について聞き始めた。
【ご主人は仲の良い友人などは居ないのですか?】
「え、うーん、特には」
【私の見た限り、蒲地友宏さんとの相性は良さそうでございますよ】
「よりによってアイツか」
【嫌いなのですか?】
「いや、別に嫌いってわけでは……」
慧はそう答えながら、今日一日の中で友宏に不快感を抱いた場面があったか思い出そうとしてみたが、一切そんな記憶は引き出しに収まっていなかった。それどころか、自分の方こそ他人を拒絶している節があるという事実ばかりが脳内で膨張してきたので、慧は考えることを止めた。
【それでは、今日出会った他のお方はどうですか?】
「他って言われても、どれも事故みたいなもんだし、どうとも思ってないよ。ただ、終わるまでじっと耐えるだけだ」
【ご主人はそれで良いのですか?】
「え?」
【耐えるだけで、待つだけで良いのですか?】
「それは……」
鋭利なものが胸を貫き、突然呼吸が苦しくなった。それは自分の思い込みで、当然胸には何も刺さっていないと理解はしているが、確かにラヴィの言葉は慧の胸を捉えたのであった。
「時と場合によるだろ。今回はその、色々と耐える場面なんだよ」
【しかしですね。もしもそうやって、言い聞かせて自分を抑え込んでいるようでは駄目だと思いますよ?】
「他人とどう付き合おうが俺の勝手だろ。それに、たった一日じゃどんな人かも分からないし」
【ふむ、確かにそれは一理ありますね。まぁ、まだ焦る時期でもありませんし、ゆっくりと人付き合いに慣れて行きましょう。もちろん、私にもですよ!】
「……分かったよ」
表面では嫌々言っているような慧ではあったが、本心では少しだけラヴィに助けられているような気がしていた。もしかしたら、ラヴィがいれば、自分の何かが変わるのではないかという予感の芽吹きが、いつしか胸の苦しみをも解いていた。
その後歯磨きと風呂を済ませた慧は就寝し、翌朝を迎えた。十二時過ぎに寝たせいか起床が大分辛かったが、何とかベッドから脱出した慧は登校の準備を済ませ、朝食もしっかりと摂り、寝不足以外は完璧な状態で家を出た。
「行ってきます」
誰も居やしないのだが、ふと挨拶をしたくなった慧は空っぽの家にそう言い残して駅に向かった。
駅を出て歩道を行き、正門を抜けて坂道を上がると校舎が見えて来る。すると先ほどまで前向きだった心の中にじわじわと昨日の記憶が流れ込んできて、慧は歩みを止めた。面倒な埋め合わせはいつ来るかも分からず、隣には掴み処の無い不良娘、変な先輩に再び絡まれる可能性もあるし、おまけに令嬢の付き添い人の依頼。昨日だけでどれだけの災難が降りかかったんだ……。思い出されるネガティブな情報が慧の心を暗色に染めようとしたその時、左ポケットが振動していることに気付き、すかさずラヴィ本体とイヤホンを取り出した。
「どうした、ラヴィ?」
【突然立ち止まるものですから、もしや学校を見て昨日の様々な出来事を思い出し、鬱々とし始めたのかと思いましてね】
その解像度の高さは何だよ。と思いはしたが、そこに突っ込むことはせず、慧は適当に相槌を打ちながら話を続ける。
「坂を上って疲れただけだよ」
【なるほど、では運動をしなくてはなりませんね。息切れしないためにも、モテるためにも】
「はいはいそうですね。それより、お前振動も出来るんだな」
【バイブレーションのことですね、当たり前ですよ!】
ラヴィと無駄話をしていると、なんだかマイナスなことばかり考えているのが馬鹿らしくなってきた慧は、止めていた歩みを再開して自分の教室に向かった。
教室に着いてしばらくすると、案の定友宏が絡んできた。面倒臭いと思うのは根本的な慧の性格がそうしているから仕様が無いとしても、話すという行為に対しては少しの嫌悪感も抱いていないことに驚いた。これもラヴィのおかげなのか? なんて一瞬考えたが、まさかな。で済ませてしまった。
「……でさ、お前の方はどうだったんだよ?」
「へ、俺?」
考え事をしながら話を聞いていた慧は、呆けた調子でそう返した。
「だーかーらー。昨日の放課後の話。俺が仮入部に行った後の話だよ。隣のクラスの奴に絡まれただろ?」
「あぁ、そのことね。まぁ色々あって、もう一回なんかに付き合わされるらしい」
「色々、なんか、らしい。どれも不確かな話だな……」
友宏はそう言いながら苦笑した。
「不確かなのが事実なんだから仕方ないだろ」
「ああ、もう! 複雑なこと言うな! とにかく、もう一回あの女に約束を取り付けられたってことだな」
「うーん、言い方はアレだけど、そんなところかな」
「それなら良かった。今日一緒に部活見学回ろうぜ。どうせお前、どこも見に行ってないだろ?」
「え、まぁ……」
うわ、早速面倒な提案が来た。とは思ったが、平穏な学校生活を送るためにも、部活見学をして、あまり良い所が無かったから帰宅部になったという体裁を繕うためにも、今日辺りで一度見学に行くのは有りだな。と考え直した慧は、見学に行くことを決心した。
「良いよ。暇だし」
と、答えはしたものの、その表情は大分渋いものであった。
「よっしゃ、決まりだ! 回る所は大体考えてるけど、まぁまた放課後に話そうぜ!」
二人の会話が終着した所で折良くチャイムが鳴った。ふと隣の席に視線を送ると、そこに江波戸伊武の姿は無かった。
……一時限目が難無く終わると、二時限目は体育の為に体育館へ向かうことになった。体育館は教室棟の真裏に位置し、アクセスは一階から伸びているトタンで出来た古めかしい渡り廊下のみである。今回のような特別な場合を除き、基本体育は男女別で、他クラス合同で行われる。七組は六組と合同であり、六組で女子が着替え、七組で男子が着替え、終わった者からそれぞれ体育館に向かう手筈になっていた。
早く現地に向かうと変な奴に絡まれるかもしれないし、そもそも早く行ってもやることが無いと思った慧は、後入りするためにのんびりと着替えをして、ゆっくりと体育館に向かった。それこそチャイムギリギリで体育館に到着すると、友宏と共に人波に紛れた。
「ったく、チンタラ着替えやがって。ギリギリだったじゃんか」
「だから先に行ってて良いって言っただろ」
「まぁ、間に合ってっから良いけどさ」
咎めたいのか許したいのかどっちなんだよ。と、慧が心の中でツッコミを入れていると、体育教師(あの学年主任)の号令がかかったので、慧と友宏は流れに身を任せて列の一部に交じった。
例によって授業方針が説明された後、身体測定の日程と軽い説明がなされ、残りの二十分ほどは自由時間になった。正しく使う、壊さない、はっちゃけないを約束に、体育倉庫が解放され、各々好きなものを持って体育館に散っていった。そんな中、慧は特にやりたいことも無かったので、体育館奥の舞台に上り、そこに腰かけてバスケをしている友宏たちを何となく見ていたのだが、ふと対面の体育館入り口付近で立ち話をしている雀野璃音が視界に入った。
(アイツも運動はしない性質か……。ま、友達と話しているだけ俺よりマシか。それより、江波戸がいなくて良かったな。居たら今頃――)
「慧!」
考え込んでいると友宏の声が聞こえた。何だよ、俺はやらないぞ。と思いながらそちらを見ようとした瞬間、右側頭部に何かが当たり、ぐわんと視界が揺れた。そしてそのまま身体が左に倒れ、体育館のセンターライン辺りに転がっているバスケットボールを視認した後、意識が遠のいた。
……突然失われた意識は突然舞い戻った。暗い。苦しい。このままではマズい。生物の本能がそう叫んでいたので、慧は渾身の力を振り絞って上体を起こした。するとそこは体育館の舞台上では無く、白いベッドの上であった。何が起きたのかさっぱり理解が追いついていなかったが、ひとまず胸いっぱいに含まれる空気が心地よくて、何度も深呼吸をした。
呼吸も整って意識もしっかりとしてきたので、自分の身に何が起きたのか、覚えている範囲で整理を始めた。
(対面にいる雀野に目が移って、江波戸がいなくて良かった。なんてことを考えていたら友宏の声が聞こえて、衝撃があって、バスケットボールが最後に見えた。つまり俺はボールが直撃して気を失っていたのか……。恐らくこの後は、誰かが保健室に運んでくれて、今に至るって感じか)
冷静に時系列の整理を終えた慧は、気を失った者が誰しも気になるであろう、自分がどれだけの時間意識を失っていたのかが気になった。身体は問題なく動くようなので、慧はベッドから足を出して上履きを履き、カーテンを開けて数歩前進した。すると、
「あ、起きたんだ」
時計を目に入れるよりも先に、ソファに座ってこちらを見ている伊武の姿が慧の視線を釘付けにした。
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