二 友達の幻想

「――それってさあ、たぶんイマジナリーフレンドだよ」


 あれから十数年の月日が経ち、上京して都内の大学へ通うようになっていたわたしは、ある日、同じテニスサークルで心理学を専攻している友達にそう言われました。


 なんとなく小さい頃の話題になり、不意にサヨちゃんのことを思い出して彼女に話した時のことです。


「おまじない? ……何それ?」


「イマジナリーフレンド。IFともよく略されるね。児童期に現れる空想上の友達だよ。人によっては実際にいるように見えたりするケースもあるの。年齢が上がるにつれていなくなるんだけど、意外と多くの子どもが持ってるらしいよ」


 最初、なんのことだかさっぱりわからず、首を傾げて呟くわたしに友達はそう説明を続けます。


「え!? あのサヨちゃんがわたしの空想だったってこと? ……いや、ないない。だって、ちゃんとおしゃべりしたし、お互いの髪にお花を飾りあったりもしたんだよ?」


 もちろん、そんな話、突然聞いても信じられないわたしでしたが……。


「それがイマジナリーフレンドなんだよ。幼い子どもには実在するのと変わらないの。受け入れがたい衝動の発散のためとか、孤独感を紛らわすためとか、理想の自我の反映とか、原因はいろいろいわれてるみたいだけど、とにかく別に珍しいことじゃなくて、よくあることなんだって」


 きっと講義で学んだことなのでしょう。彼女はそう反論をします。


「いや、だって、どう考えてもほんとに二人で一緒に遊んだとしか…」


「でも、自分とその子が遊んでいる時に他の人も傍にいたことある? あるいは自分以外の子どもとその子が遊んでるとこを見たとか? ね、その子と一緒にいる時はいつも二人きりだったはずだよ」


 改めて否定しようとするわたしでしたが、そう言われてみると確かにその通りなんです。


 サヨちゃんとわたしが遊んでいる時、親も含めて周りには他に誰もいなかったように記憶しています。


 いつも遊んでいる場所があの洋館だったからというのもあるのでしょうが、それにしても二人きりの時しかなかったというのは、よくよく考えればおかしな話です。


 それに、近所に住んでいたはずなのに小学校へ上がってからは一度も会うことがなかったというのも、私立への進学や引っ越しなんかの理由より、彼女がいうイマジナリーなんとかだと考えればすんなり筋が通ります。


 そう言われてみれば、あの頃、家事に忙しく、なかなかかまってくれない母に孤独感を抱いていたのは事実ですし、わたしには二歳離れた兄が一人いるのですが、兄も学校の友達の方がよくなって、わたしの遊び相手にはなってくれませんでした。


 もしも、そんなわたしの孤独感が知らず知らずの内にサヨちゃんを作り出してしまったのだとしたら……。


「……そっか。サヨちゃんはほんとはいなかったのか……」


 友人が教えてくれた心理学的なその現象の話に、わたしはいろいろと納得がいくところがあった反面、なんたがとても残念というか、言い知れぬ淋しさのようなものを感じていました。


 例えるならば、何かとても大切な思い出を失ってしまったかのような……。

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