第一章 空凪澪を終わらせない

1話 それじゃあ振り返ってみようか

 「はぁ……」


 何度ため息をついても気分がよくなることはない。当然だ。

 俺は死んでしまったのだから。


 幸いなことに、今の俺に痛みは全くない。だがピンピンしている体とは裏腹に、精神はどん底をさまよっていた。


 いつまでもこうしていたって仕方がない。とりあえず現状把握をしてみることにする。


 周りを見渡すと、ここが石で作られた広い空間であることがわかった。照明の類は見当たらないが、ろうそくを灯した程度の明かりが辺りを照らしている。

 天井は見えないが、3メートルくらいありそうな壁が視界の奥でこの場所を囲っている。

 ひとまず俺は立ち上がって、遠く前に見える扉に向かって歩き始めた。




 近づいてみてわかったのだが、扉は赤茶色に塗られた鉄でできている。おそらくは鍵がかかっているのだろう、並大抵の力では開かないことが容易に見て取れた。


 どうすればいいのか途方に暮れる間もなく、目の前の空間が光り始めた。

 どんどん強くなる光に耐え切れず目を閉じてやり過ごすと、いつのまにか光は消えていて、そこには一人の人間が浮いていた。


 人間の女性……いや少女か……?

 外見でいえば年齢は自分よりいくつか下くらいの少女が宙に浮かんだまま、俺を見下ろしていた。


 そう、宙に浮かんでいるのである。

 生前の俺なら自分の目を疑っただろうが、ここが死後の世界であることは本能的に察していた。

 それに、気分は依然としてどん底に沈んだままで、人間が浮いているなんてことは気にする余裕もなかった。


 死んで間もない状態で何もわからない俺は、とりあえず目の前の少女を頼りにするほかない。

 なんて声をかければいいのだろう。

 向こうがどういう立場なのかは見当もつかないが、失礼のないように接しなければいけない。

「すみません」と言おうとするが、寸前で思いとどまった。

 死後の世界で日本語って通用するのか……?

 かといって、じゃあ何語で話しかけるべきなのかと聞かれれば返答に困る。


 そんな考えを一瞬の間にして巡らせている俺に、少女が声をかけた。


「気持ちはいくらか落ち着いた?」


 おそらくは自分が死んだという事実を受け入れられたかどうかを聞いているのだろう。

 そりゃ受け入れられるはずはないが、気持ちの整理はだいぶついた。

 とりあえず


「……はい」


 と答えておくことにした。


「それはよかった」


 少女は少し安心したように返した。

 この際だしついでに聞きたいことも聞いておこう。


「あの……どちら様ですか?」


「あ、私?」


 他に誰もいないというつぶやきは心の中にしまっておいた。


「私は閻魔。第583代目閻魔大王だよ」


 なるほど、閻魔大王か。ちょっと納得した。おそらくは俺の生前の罪を裁くために現れたのだろう。

 閻魔大王にしては若いし、威厳もないようには感じるが。

 せっかくだしその点についても質問してみた。


「閻魔大王にしてはお若いんですね」


「あ、そう? ありがとう」


 別に褒めたつもりはないんだが。


「実は先代の閻魔大王やってる私の父が仕事でしくじっちゃって、今入院してるの。だから退院までは娘の私が代役を務めてるだけ。あと敬語じゃなくていいよ」


 大体事情はわかった。霊界にも病院はあるのかとか、閻魔大王の仕事って何だろうとか、いろいろと浮かぶ疑問はとりあえず放置しておこう。

 それにしてもずいぶんフレンドリーな閻魔大王だ。罪を裁かれる身としては安心する。


「俺の前に現れたのはやっぱり生前の罪を裁くため……?」


「うん、大体そんな感じ。察しがよくて仕事してる側としては助かるよ。今から前世の行動を私が見ていって、総合的に天国行きか地獄行きか判断するの。もちろんその二択だけじゃないけどね。緊張しなくていいよ。リラックスしておけば大丈夫」


 俺の予想は当たっていた。

 記憶の限りでは、俺は生前に悪行を重ねた覚えはない。逮捕歴もないし。

 閻魔大王が裁く罪と日本の法律が裁く罪は違うのだろうけど。


「それじゃあさっそく生前の行動を振り返ってみようか」




 そう閻魔が言うと、いつの間にか俺は知らない場所にいた。

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