博士の台所

夢綺羅めるへん

オムライスの模倣

「さ、今日のところは終わりにしようか」

 

 ダウナーな声が実験室に響いた。

 薬品の香りが漂う部屋で、黒い机の横にちょこんと座った彼女こそ先程の声の主。

 起伏のない体躯に白衣を纏い、ボサボサの黒髪を肩ほどまで無造作に伸ばした生活感のない格好。

 両の目はこの世の全てを見透かしてしまうような鋭い光を放っているが、眼下のくまがそれを台無しにしてしまっている。

 身長百五十センチにも満たない彼女は学生とよく間違われるが、これでも今年二十四歳。

 若くして現代科学の未来を担うとも言われている、天才博士である。


「助手くんは、いつも通り今日の結果をまとめておいてくれ。それと……」


「夕飯の支度、ですね?」


「よくわかっているね」

 

 対する私は二十二歳。大学院で研究をしているところを博士に拾われ、実験の手伝いと身の回りの世話をする「助手」として働いている。


「博士、そのくん付けなんとかならないんですか?」


「いやいや、助手と言えばくんで呼ぶのが常識だろう?」


「そんな常識聞いたことないですよ……」

 

 雑談ついでにレポートを片付ける。助手を務めて早一ヶ月、慣れたものだ。

 次に実験室の隅にあるコンロに長い間置かれていた鍋の様子を見る。

蓋を持ち上げると、とろとろのシチューが出迎えてくれた。

 契約時、仕事内容に夕飯の用意と記載されていたのを当時は疑問に思ったが、長い自炊生活で磨かれた私の料理の腕を博士も気に入ったようで、今では昼食も私が用意している。


「薬品とシチューの香りのする実験室も、なかなか乙なものだね」


「食欲減衰効果が抜群ですね」


「薬品の香り、僕は嫌いではないのだがねぇ……」


 言いながら、鍋を持って二人で隣の部屋へ移動する。隣接する小さな部屋には、食器棚と食卓が置かれている。所謂休憩スペースのようなものだ。

 博士が棚から取り出し手渡してきた皿にシチューをよそって、博士に返す。


「ん、どうも」


 もう一度同じことをして、私も席につく。


「「いただきます」」


 実験の合間にしっかり煮込んでいた甲斐あって、シチューはなかなかの出来ばえだ。鶏肉はツヤツヤ照り、ジャガイモはほくほく。博士の要望で小さめに切られたにんじんは、溶け切らずにしっかり存在感を残している。

 実験で疲れた体に、これがまた染みる。二人して黙々と食べ進めていると、不意に博士が手を止めた。


「相変わらず美味しいが……しかし不思議なものだ」


「何がですか?」


「私が何か作っても、こう美味しくはならないのだよ」


「ああ……博士、料理とかできなそうですもんね」


「失礼な! 僕だって料理くらいできるさ」


 むっとする博士だが、私はこの前博士が卵焼きを作ろうとして形作りに失敗し、神妙な面持ちでスクランブルエッグに路線変更していたのを目撃している。


「……とにかく、僕はこういう疑問は解消しないと気が済まないたちでね」


 博士はずいと私の方へ身を乗り出し、不敵な笑みを浮かべて言った。


「実験をしようじゃないか」



 そんなこんなで翌日の昼、同実験室。


「今日のテーマは『オムライスの模倣』だ。いいね?」


 ノリノリの博士。実験台にはオムライスの材料一式。


「では手順を説明しよう……」


 簡潔にまとめると、こうだ。

一、 私が普通にオムライスを作る。

二、 材料の量、加熱の時間。その全てを博士が緻密に再現してオムライスを作る。

三、 料理が下手な博士でも、美味しいオムライスが作れる。


「早速、初めてくれたまえ」


「わかりました」

 まず炊飯器を開ける。あらかじめ炒めベーコンとケチャップ等調味料と一緒に炊き込まれていたご飯は、パラパラのケチャップライスになっていた。博士がゴクリと唾を飲む。


「つまみ食いはダメですからね?」


 ご飯の品質が保証されたところで、次に卵を三つボウルに割り入れ泡立て器でしっかり溶く。

塩こしょうを加えて、さらに混ぜる。キメ細かい卵液が成功の鍵なのだ。

 一通り混ぜたところで、フライパンにバターを入れて伸ばし、熱する。

 卵液を回し入れた後は、フライパンを揺すりながらへらで撫でるようにしてよく混ぜる。

 半熟の細かいスクランブルエッグを一度作ることで、卵の仕上がりがより綺麗なものになるのである。

 スクランブルエッグ状になっていた卵が再びまとまりを取り戻したところで火から上げ、濡れた布巾の上に乗せた。


「ここからはちょっとコツがいるので、よく見ておいてくださいね」


「あ、ああ」


 フライパンを持った手を数回叩いて卵の厚みを整えたら、へらで卵の端を折り畳む。

 そのままゆっくりと奥に向かって包んでいき、最後に反対側を折り返す。

 その一部始終を博士がこれ以上ないほど真剣な眼差しで見つめているので、余計に緊張する。

 仕上げに強火で折り目の部分を焼き固めたら、ラグビーボール型の綺麗な卵の完成だ。


「ふぅ」


 額に滲んだ汗を拭ったら、盛り付けに取り掛かる。

 出来合いのケチャップライスを楕円に盛り付け、その上に卵をするりと乗せる。

 その様子を見て、それまで食い入るように私の手元を見ていた博士が久しぶりに口を開いた。


「ご飯は中ではないのか?」


「ふふん。博士、見ていてくださいね?」


 ここからがどや顔ポイントなのだ。

 ナイフで卵の真ん中に切れ目を入れると、花開くようにして半熟の中身が姿を表し、ご飯を包んだ。


「わぁ……!」


 博士が感嘆の声をあげた。容姿も相まって、どこからどう見ても女児である。


「こんな感じですね。布巾の上で落ち着いてやれば、博士にもうまくできると思いますよ」


「ふむ。今度は僕の番だな……!」


 緊張した面持ちで、博士が調理を始める。

 まずは卵を三つ入れ、丁寧に混ぜていく。薬品の調合で手慣れた博士の動きはやけに洗練されている。


「三、二、一……」


 混ぜる時間までも合わせるべきである。と、博士は懐中時計を使って正確に時間を計りながら作業を続ける。 

 小型の計量スプーンで塩こしょうを投入し再度混ぜたのち、フライパンの用意をする。


「バターは十グラム」


 バターの伸ばし方に至るまで完璧に私を模倣した博士の動きに、私は思わず見入っていた。


「すごい……けど、才能の使い道間違ってませんか?」


「八十度、七十六度……」


 私の声は届いていないようで、博士はへらでスクランブルエッグを作る作業に熱中していた。

 へらを入れる角度を目測で計り、それを全て記憶するという超人的な能力を披露する博士にツッコミを入れる気力は、私には残っていなかった。 


「さて、ここからだな」


 眺めているといよいよ鬼門。オムレツの整形に差し掛かる。

 慎重に、なおかつリズムよく卵を折り畳む博士の手際は見事なものだった。

 やはり彼女はハイスペックの天才である。卵を圧で消してしまいそうなほど目を見開いて凝視している点に目を瞑れば、家庭的な素敵な女性じゃないか。

 盛り付けて中心にナイフを入れると、私のと同様に美しい半熟オムライスが出来上がった。


「僕にもできたぞ……」


 すっかり成し遂げた表情の博士。卓上にはそっくりのオムライスが二つ。

 というかこれ、卵の凸凹部分まで全く同じなんだけど、どうやったらこうなるの?

 ……かくして、オムライス模倣実験は終了したのだった。



「「いただきます」」


 さて、実験結果を書くためには食べ比べが必要である。

 まずは各自自作のものを食べる。美味しい。

 次に、相手の作ったものを食べる。

 想像通り、味は一緒だ。あそこまで再現したのだから当然だろう。

 ……だが。


「なあ、助手くん」


「はい?」


「……僕の作ったものの方が美味しく感じるのだが、これは僕の味覚がおかしくなってしまったのかな?」


「いえ、私も同意見です」


 博士作のオムライスの方が、なんだか美味しく感じるのだ。


「何故だ? 何もかも再現したはずなのに……」



「それはですね、博士」


 首を傾げる博士に、私は声高々に言ってみせる。


「博士が一生懸命作ったからですよ。作り手の想いは魔法の調味料なんです」


 魔法というより呪いがかかりそうなほど凝視していた博士だけれど、実際それほどまでに集中していたということなのだ。

 美味しくなって、当たり前じゃないか。


「魔法ねぇ。科学者としてそんなものを間に受けるわけにはいかないのだが……」


 博士はオムライスをもう一度口に運んだ。


「どうにも、この達成感と美味しさの関連性は証明できそうにないな」


 その後何言うでもなくオムライスを平らげた博士は、またしても身を乗り出してニヤリと笑った。


「実験は繰り返して初めて意味があるものだ。明日は肉じゃがで検証してみようじゃないか」


 こういう時の博士からはいつも科学者らしい知的な印象を受けるのだけれど、今の博士は料理を覚えたての少女にしか見えなくて……。

 それがたまらなく、愛おしかった。


 実験の結果:頑張って作ったものは、美味しい。

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