ブレークポイント

愛してないの?

 愛してないの? 

 そう訊かれるらしい。


 憐れだ。愛妻の影にまとわりつかれ、ひたすらに愛を求められる。

 

 何だったっけ? どこかの国に、確かこんなジョークがあった。


 変態紳士コンテストを開催した。参加した男性が自身の特殊性癖を暴露して、参加者の投票によって「真の変態紳士」を決めるコンテスト。

 ある男は言った。「俺は七十過ぎの女しか抱かないんだ」

 ある男は言った。「初潮を迎えるか否かの女児を妊娠させた」

 ある男は言った。「灰皿に突っ込んで射精したことがある」

 ある男は言った。「初恋の女性の絵に毎晩射精している」

 しかしそのコンテストを制したのは次の男性だった。

「半世紀自分の妻しか抱いていない」


 まぁ、こんなジョークができるくらいには。

 男は節操がない。愛の数は無駄に持ってる。そして飽き性で、繊細だ。簡単な理由で興味を持てなくなるし、簡単な理由で女を抱けなくなる。

 でもきっとコンさんは、半世紀でも百年でも、どんな困難が待ち受けていても、きっと妻だけを、愛するのだろうな。


 ……私だって、人を思う長さなら彼にも負けない。


 私だってずっと思い続けてきた。

 私だって常にあの人のことを思っている。


 私が呪うのはある一族のみ。


 港町。異国文化が流れ着きやすいその町で、いや、そんな町だからこそだろうか、ひたすらに余所者を排他し続け、常に国家純粋主義とでも言うべき思想で人々を支配し続けてきた、そんな一族。

 かの一族はその町一帯の土地を持っている。駅前の土地もごっそり掌握しているから、商業施設、駐車場、公的施設、そういうのに必要な金は全部かの一族の元に流れ込む。


 私の父はそんな一族の支配する町に流れ込んだ中国人だった。

 中国人はたくましい。異国でも自身のルーツ活かしたコミュニティを作って、そこを起点にする。

 父もそうしようとした。父はそんなコミュニティの中心に立つ人物だった。しかしあの一族がいた。一族は外国人コミュニティを潰すことに余念のない連中だった。


 必然、父が攻撃の的になる。

 父の最期を言おうか? 私の父がどうやって死んだか教えてやろうか? 


 雪の降る季節に、住んでいる家を追われ、追剥に身ぐるみを剥がされ(これもどうせあの一族が仕込んだものだろう)、ほとんど裸同然で、五日も物を食えず、駅前の公衆便所の個室で暖をとっていたところ、上からバケツ一杯の水をぶっかけられて、よろよろと電話ボックスに避難しようとした、その道程で凍死した。手の中には十円玉が握られていた。多分、残された家族の私に電話したかったのだろう。


 母はある日、私を連れて父の元を離れた。多分、あの一族が父を追い込む目的で、母に話を持ち掛けたのだろう。離婚をして、あの男の元を離れれば、お前の生活と子供の生活は保障してやる。あの一族ならそういうことをする。あの一族はそういうことをしてのし上がってきた。


 母は金と生活に目がくらんで父を手放した。私が母に求めていたのは、それこそコンさんのような、変わらぬ弛まぬ愛だったのに、母はそれをあっさり捨てた。私は母のようにはならない。


 私は父が好きだった。国籍なんて関係ない。熱い思いを持っていれば、アジア人でもヨーロッパ人でもアメリカ人でもアフリカ人でも、人種国籍年齢性別関係なく、平等に機会を与える人だった。父の手助けで社会的に成功した人間だっているのだ。父は立派な人だった。それなのに、それなのに。


 生まれた人種で人を区別する。これはおかしい。

 生まれた場所で人を区別する。これはおかしい。

 生まれた時期で人を区別する。これはおかしい。

 生まれた性別で人を区別する。これはおかしい。


 おかしいのだ。そもそもが。前提が間違っている。


 ――だから私は、間違っている行為をする。


 人を呪う。人を祟る。これは本来やってはいけないことだ。禁忌と呼ばれることだ。でも私は、する。だって前提が間違っているから。行うべきは、抜本的な改革だ。


 狐眼の呪いは手間がかかる。その分絶大な呪いだ。

 七尺四方の箱を用意するのだって手間がかかる。それから、都会にはおよそいることが想定できない狐という生き物を用意してそれを弱らせ、同じく狂暴な飢えた犬を用意し、そいつが食い散らかした狐の残骸から目玉と頭蓋骨を取り出し、眼窩で目玉を潰して塩と竹炭と犬の臓物と狐の尾の先を混ぜて混ぜて混ぜて混ぜて混ぜて混ぜて混ぜて、出来上がった少量の粘液を呪いたい相手に何かしらの条件で接触させる。


 私はこれを複数回行っている。殺した犬や狐の数だって両手じゃ足りないくらいだ。必然、家には大量の肉、骨、臓器が出る。これらを処理するのは大変だ。本当に大変なのだ。


 私は都内のマンションに暮らしている。マンション? あなたはそう思うだろう。至極真っ当な疑問だ。


 しかし私には狐仙がついている。私は家に特殊な術を施している。狐仙、曰く。


「この術を施した場所は、余と結びつきのある者にしか認知されぬ」

 特殊な字を特定の順番で書いた木簡を、その場所で一番神聖なところに置いておく。すると効果が出る。


 私の部屋は四〇三号室だ。隣には四〇二号室と四〇四号室。上の階には五〇三号室と、下の階には三〇三号室がある。

 どの部屋の住人にも認知されていない。私が家から獣の臭いを充満させていようと、ベランダで血を洗い流そうと不自然なゴミを投棄しようと家の中で獣が末期の叫びを上げようと、決して私にまで辿られることはない。


 四〇二号室と四〇四号室は永遠に隣が「血生臭い」と思い続けることだろう。でも決して四〇三号室に来ることはない。

 五〇三号室と三〇三号室は下の階ないしは上の階から「獣の鳴く声が聞こえる」と思うことだろう。しかし決して四〇三号室に辿り着くことはない。

 マンションの管理人は時々ゴミ捨て場に獣の死骸が出てくることに困惑することだろう。しかし、例えそれが私が死骸を投棄する現場であろうとも、決して私を認知することはできない。私が獣の死骸を捨てているところが見つかったとしよう。あんた何処の部屋だ、と訊かれたとする。四〇三号室、と答える。あるいは私の名前から四〇三号室に辿り着いたとする。それだけで質問者は記憶喪失に陥る。あれ、今何してたんだっけ。そうなる。


 私はあの一族を呪い続ける。呪い続けるためにこの環境を作った。


 天邪写は上手くいかなかった。しかしそもそもこの狐眼という呪いは、成功することの方が稀なのだ。その稀少さが呪う力の強さに結びついている。


 さぁ、そういうわけで。


 今夜も犬を狐を、捌こうか。

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