3-3. ウーを呼ぶ

 ただ一応、責任感はあったのだと思う。

 一也と細かく連絡を取り合うようになった。「ゲームは解けたか」「ここが分からない」そんなやりとりをマメにした。ゲームの攻略について訊かれた時は、「これを教えると一也に不幸が訪れる」と分かっていながらも、丁寧に、だがゲーム性は損ねないよう本質から逸らしつつ、答える自分がいた。

 けれど一也はあまり勘がいい方ではないらしく、俺のヒントにもひらめきを得ることなくただ「うーん」と唸りながらあのリスキーゲームを楽しんでいるようだった。


 連絡を取る度。

 一也と言葉を交わす度。

 いや、もっと言えば一也のことを考える時。

 tiqueのことを思い浮かべた時ですら。


 俺はリスキーゲームを思い出し、その魅力の思い出に震えた。あれは最高に面白いのだ。あの難解なパズルを解けた時の快感。何にも代えがたい。ずっと呼吸を止めて没頭して、そしてついにパズルが解けた瞬間吸い込むあの息の、何と美味しく瑞々しいことか。


 でもやっぱり、やばいと思った。

 親友に悪魔のゲームを渡したのだ。この間それとなく何かトラブルはなかったか聞いてみたのだが、あいつは早速階段で転んで足を捻挫したと言っていた。多分、これからもっとひどくなる……それは俺の体で証明済みだった。


 どうしよう。俺は迷った。一也を何とかするにはリスキーゲームを回収する必要がある。でも回収したら俺にまた災難が降ってくる。あのゲームを手元に置いておいて「遊ばない」という選択肢は発生しないのだ。あれの誘惑は、ものすごく恐ろしく、そして甘美な……どう足掻いても勝てる気がしない。


 頭を抱えた。途方に暮れた。何日も考えた。その間にも、一也はどんどんリスキーゲームを攻略していった。

 足の捻挫の後、飼っている猫が死んだらしい。

 火の不注意で危うく家が燃えるところだったらしい。

 車を運転していたら街路樹と衝突し、首のムチ打ちになったらしい。

 運転を控えてバスに乗るようにしたら放火テロに遭い煙で喉をやられたらしい。

 少し前からストーカーにつきまとわれていたらしく、妙な気を起こしたそいつに危うく刺されそうになったらしい。

 食中毒にあって何日も下痢と嘔吐に苦しめられる羽目になったらしい。

 しかし、でも、そんな目に遭ってさえも、リスキーゲームは続けたらしい。


 気持ちは分かった。俺だって入院さえしなければずっとあのゲームで遊んでいた。それくらいあれの誘惑は強かった。凄まじい魅力だった。


 多分、だが。

 一也は今八番目の門……eighth gateまで進んでいる。俺はninth gateまで行った。純粋な疑問。門はいくつあるんだ? そして不幸はどこまで……? 

 友達が目に見えて不幸になっていくのは、ある意味自分が不幸になるのより辛かった。俺は何か手を打たなければならないと思った。そしてネットを頼った。除霊、お祓い、霊媒……色々な単語で調べた。オカルト方面の検索なので妙なのばかり引っかかったが、しかしある検索結果が俺の目に留まった。それは俺の住んでいる街の情報だった。


〈白い鳥居のお稲荷さんが霊障を解決してくれるらしい〉


 お稲荷さん? まず思い浮かんだのは、狐のイメージだった。調べてみると、どうも稲荷神という狐の神様を祀る神社のことをお稲荷さんと言うらしく、俺の住んでいるこの街には白い鳥居の珍しいお稲荷さんなるものがあるらしい。場所は街の東にある小学校裏手の山。行けない距離じゃなかった。だから俺はある日、少し早めに仕事を切り上げて、一人静かに、「白い鳥居のお稲荷さん」を目指した。


 夕方六時。人の気配がなくなった小学校というのは不気味だ。チビが集まる建物のくせにこのくらいの時間になると途端に不気味な存在に見える。俺は小さい頃から夕方の学校が(厳密に言うと四時過ぎぐらいの校舎が)嫌いだった。だから忘れ物を取りに帰る時はほとんど死ぬ気で校舎の中を駆け抜けたし、友達と一緒にやった野球ではボールが校舎の方に転がれば誰かに取りに行くよう頼んでいた。いい大人になった今でも、人のいなくなった学校への仄かな恐怖感はそのまま残っていた。

 そんな小学校の、裏山の神社。肝試しかよ……と思いながら薄暗い山道を進む。ボロボロになったコンクリートの階段を上っていくと、やがて階段が石造りになり、そして白い鳥居が見えてきた。何と言うことはない、ただの神社だ。ちっぽけで、古ぼけた。


 だが、俺が鳥居をくぐろうとした瞬間。

 異変は起きた。


「受川くん? 受川くん!」

 誰かが境内の奥で叫んでいた。俺はおずおずと様子をうかがった。大きな銀杏の木の向こう。賽銭箱と本殿に続く石畳の上で、人が倒れていた。どうやら神主さんらしく、白装束に身を包んでいる。

「しっかりしろ! 何があった!」

 その倒れている神主さんらしき人物を、妙に立派なスーツを着た眼鏡の男性が、助け起こすような形で支えていた。神主さんの顔は遠目に見ても分かるくらい蒼白だった。

 ただ、この時妙に。

 気持ちが泡立っていた。それは不思議な安心感と、そして不正がバレたかのような焦燥感とがない交ぜになった、何だか吐き気を催す感情だった。俺は少しくらくらしながら二人の方に近づいた。一応、訊いた。

「大丈夫ですか?」

 本当は俺の方も大丈夫ではなかったのだが、俺の口が動いた途端に神主が目を覚ました。

「と、とんでもない……」

「何? どうした?」

 眼鏡の男性が神主さんに耳を近づける。すると神主さんが、俺の方をすっと指差した。それに沿うようにして、眼鏡の男性の視線が、俺に注がれる。

「彼がとんでもないことを……」

 そう、言い残して。

 神主さんが意識を失った。眼鏡の男性が「受川くん!」と叫んだ。



 救急車か、と思ったが、神主さんは時間にして十秒くらいで意識を取り戻した。眼鏡の男性がほっと一息つく。それから彼は神主さんを賽銭箱の後ろにある段に座らせると、顔を覗き込んで状態を確認した。とりあえず何とかなったのだろう。スーツの彼から緊張感が消えた。

「おい、お前!」

 振り向くなり、眼鏡が俺に向かって叫んだ。

「霊障だろ! 何があって来た!」

「な、何って……」

 確かにズバリオカルト的なトラブルに遭ってここに来たのだが、何でこんな簡単に分かってしまうのか、正直言って怖かった。しかし眼鏡は真っ直ぐに俺の方に来るなりほとんど胸倉をつかむような勢いでまくし立ててきた。


「僕は霊感がない。だから多少悪い気に当てられても平気だ」

 銀縁眼鏡。その向こうに敵意丸出しの目。

「そんな僕でも分かる。ビリビリする。嫌な感じだ。お前、何を連れてきた? 何をしでかした?」

「ねえ……」

 眼鏡の背後で、神主さんの声。

「その辺にしておあげ。彼もきっと、困っているんだ」

「どんなトラブルかは知らないが他人様を巻き込んでいいはずがない!」

「彼もきっと、対応に困っているんだよ」

 神主さんが青白い顔で続けた。

「こちらへ。話してご覧なさい」

 眼鏡の男性が困ったような顔をした。しかしそれからすぐに俺の肩を掴むと、ぐいっと神主さんの方に引っ張っていった。


 訳が分からない俺は、されるがままに神主さんの元へ行くと、それでも自分に起きたことをひとつひとつ、話した。アンティーク売買サイトで妙なゲームを買ったこと。そのゲームで遊ぶと不幸が訪れること。そのゲームを友達に譲ったこと。友達も不幸になっていること。


 すべて話すと、眼鏡の男性が腕を組んで唸った。神主さんが告げた。

「とてもよくない」

 ほとんど消えそうな声だった。

「とてもよくない」

「『gate』と言ったな。門だ。いくつまであると思う?」

 眼鏡の男性がハッキリした声で神主さんに訊ねた。

「異教だから分からない。でも多くの場合、キリスト教では十三が不吉な数字だとされる。彼は第九の門まで開けたと言ったね。十で終わりか、それ以上続くとしたら十三までか……」

「何にせよ、その友達はまずい。もう死にかけだ」

 すると神主さんが俺を示した。

「この人は多分、良い守護がついていたんだね。だからゲームの途中で抜けられることになった」

 ゲームの途中で抜けられる事態……腹を刺されたことがラッキーだということだろうか? まぁ確かに、あの事件のおかげで俺はリスキーゲームから抜けられたが……。


「今すぐ、そのゲームを何とかしないといけない」

 神主さんが体を起こした。すると眼鏡が訊いた。

「大丈夫か? この境内に持ち込めばいいのか?」

「万全の準備をすれば大丈夫だと思う。今日は不意打ちだったからこの有様だけど、きちんとお祓いの準備をすれば……」

「分かった。僕が何とかする」

 おい、と眼鏡が俺の目を見た。

「僕はコンだ。それ以上の名前は教えられないし教える気もない。コンと呼べ。いいな」

「は、はい……」頷くしかない。

 するとコン(コンさんと呼ぶか)は、顎に手を当て、つぶやいた。

「ウーを呼ぶ」

 間違いなく、彼はそう言った。ウー。何のことだろう。

 しかしコンさんは言うが早いが胸ポケットからスマホを取り出し、どこかへかけた。二言三言。それからすぐに電話を切った。

「受川くん。ウーを呼んだ」

 神主さんの表情が和らぐ。

「百人力だね。安心できる」

 置いていかれている俺は訊ねる。

「だ、誰ですか、ウーって……」

「待ってろ」

 コンさんが鳥居の方を見る。

「遅くて三十分以内に来る」

 そしてその通り、三十分後に。


「お待たせしました」

 鳥居の下に小柄な男性が姿を現した。頭の両サイドを刈り上げて、てっぺんで髪を括っている。ちょんまげ、とからかうことはできるが、しかし妙に似合ってスタイリッシュだった。小豆色のパーカーのポケットに手を突っ込み、リュックを背負っている。彼は俺たちの近くに来るなりペコっと頭を下げた。


「こんにちは」

 人当たりの良さそうな笑顔。童顔で、年齢不詳だが、学生だと言われても頷けるくらい、若く見える。

「悪いな。非常事態だ」

 コンさんがウーさんの肩に手を置く。それから俺の方を向いた。

「紹介する。ウーさんだ。日本に帰化した中国人」

「こんにちは、ウーです」

 と、ウーさんが名刺を手渡してきた。

 そしてビビり倒す。名刺に刻まれていた企業ロゴ。あの誰もが使っている検索エンジンの……。

「で、ご用は何ですか。何だか緊迫した様子だったので急いで来ましたが」

 日本語が綺麗だ。下手したら俺より達者。

「ここに呼ばれたから分かると思うが、霊障だ。解決しなくてはならない」

 コンさんの言葉に、ウーさんはニヤリと笑ってみせた。

「おお、幽霊相手にコンゲームですね?」

 コンさんも笑い返す。

「ああ」

「私はインサイドマン? それともおとり?」

 ウーさんの問いにコンさんが答えた。


「こうしよう……」

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