Episode.20 主役は遅れてやってくる
マンガでもアニメでも、馬に乗って草原を走るようなシーンがよくある。見かけるたびに思っていたのだ。
馬に乗って風を切って走るのは、さぞ気持ちがいいんだろうなぁ、と。
しかし、現実はそう甘くないもので……――。
「も、もうちょっと走りやすい道進めないの……っ!?」
「何を言うんですか! この広野を走り抜けるのが最短なんですよ!」
「そ、それはわかっているんだけど……」
足元に広がるのはデコボコの荒野。
草木はほとんど枯れ果て、乾燥した空気のせいで喉の奥が張り付いたような感じがしてしまう。
何より、思った数倍馬の乗り心地が悪い。
お尻は擦れるわ、腰は痛くなるわ、手綱を掴む手は皮が剥けそうになるわ……。
とにかく散々な乗馬初体験になってしまったのだ。
そんな考え事をしていると、ついつい体勢を崩して落馬してしまいそうになる。
これは愚痴でもこぼしていないとやっていられない……!
「おっ……と! でも、乗馬初体験でこんな悪路なんて! 聞いて! ないっ!」
「わ、私もまさか初体験だとは知りませんでした……!」
言われてみれば、急いで出てきてしまったせいで乗馬の経験があるかの確認すらなかった。たぶん、この世界では馬ぐらい乗れて当たり前だから確認する考え自体浮かばなかったとか、そんなところなんだろうけど……。
悪態つきながらも、どうにか落馬することはなく順調に進んでゆく。
すると、少し先に湖が見えてくる。
「では、一旦あの湖で休憩といたしましょう! 馬も休ませてやらなければもちませんし……」
たしかにここまで休みなしで働かせてしまった。
(これがホントの“馬車馬の如く”ってやつか。まあ、馬車じゃないけど)
なんてとりとめのないことを考えている間に、湖のほとりに到着。
馬から慎重に降りると、ようやく一息つく。
「ふぅ……乗馬ってこんなに難しいんだね……」
「イオリさん、一旦お疲れ様です。お水です、どうぞ」
「あ、ありがとう」
水を受け取ると、一気に飲み干す。
……ああ、少しぬるくなってるけど、渇いた身体に染み渡るぅ。
しみじみと水の重要性を感じてから、空になった水筒を返す。そして、凝り固まった肩を回しながら、ノエルに問いかける。
「……ねえ、ノエル。もう一回聞くけど、本当に魔法でひとっ飛びってできないんだよね?」
異世界人を召喚する儀式なんてものが存在するんだ。それぐらい存在していてもおかしくない。
そう思っていたのだが……――。
「はい、それは絶対に不可能です」
出発前、同じことを聞いたのだがやはり無理らしい。
どうしてなのか続けて尋ねようとすると、先にノエルが答えてくれる。
「確かに、物体を飛ばす魔法は存在します。こんな風に」
手近な小石を拾い上げ、ノエルは手のひらの上に。そして、その小石を手のひらから数センチ浮かせてみせる。
「ですが、この“物体を飛ばす”という魔法は、決して“転移”の魔法ではありません。ですので――」
視線を湖の方へ。直後、浮遊する小石ごと手のひらを湖の方へ向けたかと思うと、目にも留まらぬ速さで小石が飛び出していった。
「……っ!?」
着弾。その衝撃で水柱が立った。
「このように、人体の保護を無視した魔法となってしまいます。それに、片道五日以上の行程を一瞬で飛ばすとなると、着地どころか発射した瞬間に生命活動は停止することでしょうね」
「……改めて説明されると自分の無謀さを痛感するね」
これを見て改めて思う。
思いついても実行するだけの魔法技術がなくて助かった、と……。
戦闘機ぐらいの速度でかかる負荷をすべて生身で受け止めるようなものだろう。普通に考えて無理だ。
(そう考えたら、『空から美少女が降ってくる』みたいなシチュエーションがあるけど、あれって着地した瞬間に肉片になるんじゃ……)
いや、これ以上考えるのはやめよう。あれは何か不思議な力で守られているんだ。そうに違いない。
「イオリさん、どうかしましたか?」
険しい表情のせいで勘違いさせてしまった。
ここはちょっとそれっぽい感じの返答を……。
「う、うん。魔法で移動できないってなるとどうしようかなって」
「なるほど……」
よし、軌道修正完了……!
このまま移動方法の話に持っていくとしよう。
「このまま休憩を挟みながら進むと約五日。たとえ休みなしで全速力を出し続けられたところで約三日。これじゃあ、本当に間に合うのかも……」
適当に話を逸らしはしたが、移動方法で悩んでいるのは本当のこと。
危険を伝えに来てくれた騎士はかなり無茶をして四日で走破したらしい。ただ、そんな強行軍では身がもたない。
ただ、遠征部隊が魔獣に襲われてから騎士が到着するまでに、すでに四日も経っているのだ。これ以上、無駄な時間をかけたくないというのもまた事実。
「どうしたもんかなぁ……」
本当はこんなところでゆっくりと休息をとっている余裕はない。
しかし、早く到着できるすべがあるのなら、それを見つけたい気持ちもある。
本当に悩ましい……。
「通常で五日。全速力を出し続けられたら三日かぁ……」
そこでひとつ思いついて、ポンッと手を打つ。
「あっ、そういえば《身体強化》の魔法ってあったよね?」
「……? ええ、ありますが……」
「それをもし馬にかければ、もう少し早くならない?」
一瞬、ノエルの目が丸くなる。
少しうつむいて考え込んだ後、ノエルは残念そうに首を横に振った。
「イオリさん、その魔法について講義で、私は何と説明いたしましたか?」
「え、確か『魔法にて身体機能を強化・向上させることで、常人では不可能な膂力・体力・走力などが実現できる』……」
「そして、その副作用は?」
「……『無理に機能向上させた身体は、普段の数倍負担がかかり、場合によっては後遺症が残る可能性がある』」
「はい、なので途中で馬が力尽きてしまいます」
……完全に頭から抜け落ちていた。
頭を強めに掻き毟る。
「くそっ……、一刻も早くみんなのところに駆けつけたいのに……っ!」
手近な小石を拾い上げ、湖に投げつける。そして舌打ち。
隣では、ノエルが険しい表情で思案に暮れている。
「結局、魔法ではどこかで無理が生じてしまう。では、ほかの方法で……? いや、そんな便利な道具も技術も存在しない……――」
そこまで聞いた瞬間、ひとつの可能性が頭に浮かぶ。
「あっ……、もしかしたら――」
「……? イオリさん、どうかしましたか?」
馬の傍らに置いていた荷物。その中から、古びた手帳のようなものを取り出す。
「それは……?」
「これに書いてあったんだ。聖女だけが使える力――《聖法》ってやつが」
そう、これは過去の聖女の記録を漁っていた時に見つけた古びた日記帳。
もしかしたら必要になるかもしれないと、出発直前に持ち出していたのだ。
「……えっと、それはどこから持ち出したもので?」
「ぎくっ……!?」
まさか、そこを突っ込んで聞かれるとは思っていなかった。
……あそこの資料、全部持ち出し厳禁って言われてたからねぇ。
額から頬に伝う汗を拭いながら、さっと目を逸らす。しかし、すぐ視線の先に回り込み、ノエルが逃げ道を塞いでくる。
これは白状するしかない……。
「え、ええっと……機密資料の、閲覧室……?」
「はぁぁぁぁぁ……!」
特大のため息をつかれてしまった。
だが、ノエルの視線は少しだけ険しいものの、怒っている様子はない。
「まあ、持ち出してしまったものは仕方がないですし……。で、何が書かれているんですか?」
「内容のほとんどは、聖女の使う術でどういう効果があっただとか、聖女の使う術がどういう危機を打ち払っただとか、そういう話なんだけど……」
言いながら、最後のページを開いてノエルに見せる。
「ここのページだけ、なぜか違う言語かな? で書かれているせいで、内容が読めなかったんだよ」
「違う言語……。いや、これは暗号ですね……」
目を見開く。それは読めないわけだ。
「ですが、この暗号の形式は似たようなものを過去に解読したことがあります。この量なら、一時間もあれば半分以上解読できると思いますが……」
「ホントに!?」
「ええ、おそらくは。しかし、ここに本当に聖女の力の秘密があるんでしょうか……?」
そこを突かれると、言葉に詰まる。
確証はないが、今はそれ以外に頼れるものがないのもまた事実。だから、不安気味なノエルにはっきりとした声音で告げた。
「きっと何かの手がかりになる気がする。だから、お願い――」
頭を下げると、ノエルのため息が聞こえてくる。
「……何も出てこなくても知りませんからね?」
「……っ! ありがとう、ノエル!!」
「では、私は解読作業に入りますので、終わり次第出発できる用意だけ整えていてもらえますか?」
「わかったよ、ありがとう」
すぐ日記帳とのにらめっこ状態に入ったノエルから背を向け、馬たちの方へ駆け出した。
◇
日記帳とのにらめっこが始まってから、おそらく三十分以上が経過したころだろうか。
馬の調子はすっかり整い、今すぐ出立できる状態だ。あまりにも手持ち無沙汰なせいか、少し心に焦りが生まれてきていた。
(こうして立ち止まっている間も、魔獣に襲われたみんなは……)
そこまで考えて、頭を左右に振る。
今すぐここを出たところで、まだ最低四日はかかってしまう。今はあの暗号の中から、劇的な時間短縮を図れる策が出ることを祈るしかない。
(……やっぱり《聖女》だなんて、俺には向いてないな)
戦闘に参加できないどころか、暗号の解読だってノエルに任せっきり。
本当に自分の無力さが恨めしい……。
悔しさに唇を噛み締めると、じんわりと口内に血の味が広がった。
(お願いします……どうかあの暗号が俺たちの助けになるものであってください……!)
両手を組む。片膝をつくと、誰にでもなく天へ向けて祈りを捧げる。
そうして、どれほどの時が経っただろうか。ノエルがこちらを呼ぶ声が、乾いた風に乗ってやってきた。
「イオリさん、重要部分の解読が終わりました!」
「本当に!?」
急に立ち上がったことで一瞬よろけるが、気にせずそのままノエルのもとへ駆け寄る。彼女の手元を覗き込むと、日記帳とは別のノートに乱雑な文字列が書き殴られていた。
「それで、何かわかったの……!?」
不安と期待半分ずつ。そんな気持ちの入り混じった問いかけ。
ノエルはその問いに曇った表情で首を傾けることで答えた。
「わかったといえばわかったのですが、よくわからないと言いますか……」
「どういうこと……?」
「こちらが解読した一文です。ご覧ください」
ノエルが指さすノートの一部を、声に出して読んでみる。
「えっと、『《聖法》とは、魔法より大規模な超常現象を引き起こす聖女のみに許された特異な術のことである。その発動方法は定かではないが“祈り”が関係しているものと思われる』……?」
なんとも曖昧な記述だ。これでは《聖法》で何ができて、どう発動するのかわからないまま。
これが今も戦っているであろう皆の助けになるのか……?
「はい。これ以上のことはわからなかったのですが、どうやら“祈り”というものが発動方法に関係しているのではないか、ということのようです」
「祈り、か……。他の記述は?」
「最後に書かれていたこれぐらいでしょうか……?」
さらに少し下、ノエルの指の先にある文字列を視線でなぞった。
――『誰かのことを思い、誰かのために心を痛め、誰かのために懸命に祈ることができる。そんな者を真の《聖女》と呼ぶのかもしれない』
じっくりその一文に目を通した後、目を閉じて息を吐く。
これもまた、あまりに抽象的すぎる記述。しかし、この一文のおかげで、自分の中でなんとなくイメージが浮かびつつあった。
「……ちょっと離れていて」
ノエルを少し離して、先ほどまでと同じような片膝をついた体勢をとる。
(正直、祈ることでそんなとんでもない力を使えるかもしれないっていうのは現実味がない話だけど、これだけはわかる……)
両手をおもむろに組み合わせ、まぶたを下ろす。
(俺は、俺を必要としてくれたみんなのことを思って、みんなのことで悩んで、みんなのために祈る。これからもみんなと過ごしたいから……!)
顔を伏せ、両の手にぐっと力を籠める。
(本当は間違って召喚されただけなのかもしれない。だけど、この一回だけでいい――)
そして、祈りの言葉を口にした。
「――俺に《聖女》の力を貸してください」
直後、雲の隙間からこぼれ落ちてくる一条の光。
その光は、一直線に祈りを捧げる俺を照らしていた。
「い、イオリさん、その光は……?」
ノエルが目を剥いて問いかけてくるが、自分にもわからない。
組んだ手を解く。すると、光の粒子のようなものが纏わりついてきた。
「あったかい……」
じっと光の粒子に見入っていると、その現象と似たものを思い出す。
それは、自分の姿が突然『女性』となってしまったあの日。困っているノエルの力になりたいと、そう願い、祈ったあのときと似たものを今感じている。
「もしかして、この光は……――」
粒子ごとこぶしを握り締める。
すると、今度は自分の全身が光輝きはじめる。
「い、イオリさん……っ!?」
驚きのあまり叫びを上げるノエル。
しかし、自分の心は逆に落ち着いていた。
「……大丈夫だよ、ノエル」
「え、その声は――」
さっきよりもいくらか低くなった自分の声が鼓膜を揺らす。
嗚呼、懐かしい……。
今、湖に映る自分の姿を見たら、それはきっと――。
「これも、《聖女》の力だったんだね……」
握りしめたこぶしを見つめ、そのまま両手を広げて周囲に光の粒を撒き散らした。
「ひ、光が辺り一面に……!?」
「ノエル。行くよ」
「……行くって、どこへ?」
「決まってるでしょ?」
片膝立ちの体勢からゆったりと立ち上がると、そのまま天を仰ぐ。
そして、ノエルの方へ振り返って不敵に口の端を上げた。
「――みんなの待つ、俺らの戦場へ」
散布された光の粒は次第に二人の周りで回転しはじめる。
速度とともにその輝きを増していく光に、二人の視界は瞬く間に真っ白に染め上げられた。
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