Episode.02 歓迎パーティーは突然に
「さあ、《聖女》様。こちらのお部屋へどうぞ」
長い長い本当に長い廊下を歩き続けている間に、わかったことがいくつかある。
まず、ここはどこかの王宮的な豪華な城だということ。
次に、この銀髪美少女の名前はノエルということ。そして、このノエルが俺を召喚したらしい。
最後に――ここは正真正銘、“異世界”であるということ。
「あ、ありがとう……」
困惑しつつも、とりあえず状況確認は済んだ。
息を整えていると、ノエルが軽く扉を叩いた。
「――入りなさい」
中から、凛としたよく通る声が聞こえてくる。すでに先客がいるようだ。
(い、一応、粗相のないようにしないと……)
ごくりと息を呑む。
促されるまま中に入ると、そこにはドレスの裾を持ち上げつつ頭を下げている令嬢が佇んでいた。
(本当にドレスの裾を持ち上げる挨拶する人なんているんだぁ……)
ふと、令嬢が顔を上げる。
端正な顔立ちをしている。それが自分の感じた第一印象だった。
「ようこそ、お越しくださいました。あなたが《聖女》様です……あら……?」
令嬢の首を傾げる動きに合わせて、ウェーブのかかった金の長髪が揺れ動く。
すると、ノエルが令嬢の隣に駆け寄って耳打ちする。
「れ、レティシア王女殿下。これにはわけが……――」
「ノエル、そんな堅苦しい呼び方はやめてと言ったでしょう? ほら、『レティ』でも『お姉さま』でも、好きなように呼んで?」
「い、いえ、遠慮させていただきます……」
どうやら、この令嬢はこの国の王女様らしい。ただ、今の会話を聞く限りなかなかフランクな接し方を好む方らしい。
「……なるほど。そうでしたのね」
話が終わったらしい。レティシアがこちらへ向き直って、再度一礼。
「先ほどは失礼いたしました。改めて、ようこそお越しくださいました。わたくしはこの国の第一王女レティシア・フォン・ルクレールと申しますわ。あなたのお名前は?」
「い、伊織、です……」
「では、《聖女》イオリ様。さあ、こちらへ」
レティシアに促されて、そのまま鏡の前へ。
話はいまいち呑み込めないが、ここでの生活に必要な衣服を揃えるのだろうか。それともここで採寸でもするのだろうか。
色々なことを考えていると、レティシアとノエルの二人が両手に服を携えて戻ってくる。
「では、まずはこちらの“ドレス”を……」
「はい……って、え……?」
「その次に、こちらの“ドレス”もお願いいたします」
「は、はい……?」
渡されたのはどちらも“ドレス”。要するに“女性服”である。
な ぜ だ。
「いやいやいやいや、ノエルさん? ちゃんと説明してくれたんですよね!?」
「……? ええ、きちんと責任をもって事実のみ説明させていただきました」
「なら、どうして俺が女性服を着る流れに……!?」
ノエルが首を傾げて、とんでもないことを言いだす。
「だって、イオリ様にお願いしましたよね? 『《聖女》としてこの世界を救ってほしい』と」
「……そうだった、ねぇ」
ショッキングな出来事すぎて完全に記憶から消し去ってしまっていた。そういえば、「もちろん、よろこんで!」って元気よく返事しちゃったんだよなぁ……。
それにしても、女装をするとは聞いていない。
「か、仮に性別を偽るのはいいとして、なんか《魔法》みたいなものってないんです? 姿を変える、もしくは別の姿に見せかけるとか……」
「一応、《魔法》は存在します。《変身》も《幻影》も」
「おお! なら、女装なんかしなくたって――」
「ただ、それらの魔法を使用した場合、もれなく悲惨な事態に……」
え、悲惨な事態って……?
ノエルが言いにくそうにしていると、代わりにレティシアが入ってくる。
「まず、ここがルクレール王国の王宮であることはご理解いただけておりますの?」
「あ、はい。国の名前までは知らなかったけど……」
「王族が住まう王宮では、厳重な警備体制をとっておりますの。その最たる例が、魔法を使用する際放出される“マナ”を感知する魔道具ですわ」
マナ……? いわゆる魔力みたいなものかな?
「ちなみに、そのマナを感知された場合ってどうなるんです?」
「――死にますわね。跡形もなく、きれいさっぱりと」
「そんなあっさり!?」
思わず顔を引き攣らせて後じさる。
たしかに、国のトップが住む城なのだから当然の厳重警備だろう。だが、それでは性別を偽るのもかなり難しくなってくる。
「それで、ノエル? 何か妙案は浮かんで?」
「……ひとまず、化粧とドレスで性別を偽れないか試してみましょう」
「え……ちょっ……まっ……!?」
逃げようと振り返るも、すでにレティシアが先回りして勝ち誇った表情で立ち塞がっており、足を止める。
だが、ここで立ち止まっていては男としての尊厳が失われてしまう。
「ご、ごめんなさい……っ!」
王女を突き飛ばすなど、おそらくかなりの重罪だろう。
それでも、ここから逃げなければならない理由が俺にはある……っ!!
「――あら、肩に羽虫でも止まっておりまして?」
「……………………へ?」
突き飛ばそうとしたこちらの手をしなやかにとると、レティシアは流れるように大の大人を投げ飛ばす。
「う、うそ……」
気づけば、俺は床に寝転がって豪華なシャンデリアを眺めていた。
「さあ、ではお化粧のお時間と参りましょう。これから聖女様の歓迎パーティーもございますので」
「ひ、ひぃぃぃっ!?」
にこやかな笑みを浮かべながら、ノエルが倒れたままの俺を引きずっていく。
助けを求めて手を伸ばしてみるも、レティシアがひらひらと手を振るだけ。誰の助けも得られないまま、俺はドレッサーへと連行されるのだった。
◇
それから数十分……。
「……レティシア王女殿下。これは――」
「……みなまで言わずともわかっているわ。これは――」
「「――どう見てもバケモノです(わね)」」
「せめて、そういうことは本人のいないところで言っていただけるととてもありがたいんですけど……」
別に女装に自信があったわけでもないが、改めて言われるとなかなか心が痛い。
ただ、鏡に映った姿を見て、自分でも「あっ、これは想像以上にバケモノだわ……」となってしまったのも事実。いかに中性的な顔立ちでも、さすがに違和感なく女性に見せるのは難しいようだ。
「ど、どうしましょう……。ほかに良さそうな手は――」
ノエルが頭を抱えてうずくまる。
すると、そこへレティシアがそっと近寄って肩を叩く。
「いっそのこと、お父様にありのまま打ち明けてみては? おそらく厳罰に処されることはありませんわよ?」
「そ……それはダメですっ!!」
必死の表情でノエルはレティシアに縋りつく。
「私が失敗すれば、お母様は……っ!」
ぐっと唇を噛むノエル。
しかし、すぐに気を取り直して頭を下げる。
「すみません、取り乱してしまいました……」
深刻そうにうつむくノエルの横顔を見て、詳しい事情はわからないが何とか力になってあげたい。そんな衝動が湧き上がってくる。
(……それに、異世界でも“役立たず”のまま終わりたくない)
こぶしをぐっと握り込み、日本での生活を思い出す。
『お前の代わりなんてごまんといる。クビにされたくなけりゃ、会社の歯車としてせっせと働くんだな。この“役立たず”が』
フリーターの扱いはどこの企業でも良くはない。何も保障はなく、役に立たなければクビを宣告されることすらある。
(……せめて、今目の前で困っている人の力になりたい)
唸りながら、ドレッサーの周りにある化粧品などを漁り始める。
すると、背後から二人の会話が聞こえてくる。
「ですが、魔法に頼ることはできませんわよ? やはりここはありのまま――」
「……そう、ですよね」
ノエルの口から少しトーンの下がった悲しげな声が漏れる。
「これ以上は、私のただのワガママですね……」
歯を食いしばる音が聞こえた直後、扉が開く。
振り向くと、そこにはノエルがいなかった。
(もしかして……――)
額に汗が浮かんでくる。
また自分は何の役にも立てないのか。悔しさと焦燥が入り交じった心で、必死に頭を回す。
(魔法で姿を変えるのがダメなら、魔法に頼らずに姿を変えることができるなら……)
唇を噛み、口内に血の味がじんわりと広がる。
「い、イオリ様……?」
レティシアが心配そうにのぞき込んでくるが、今はそんなことに気を回していられない。
『これ以上は、私のただのワガママですね……』
あんな悲しい声を聞かされて、じっとしていられるはずがない……!
(お願いします。定番のチート能力なんて必要ありません。だから、せめて――)
目を閉じながら両手を組み、天に祈る。
「――せめて、俺に彼女を助けられる力をください」
直後、視界が閃光に染め上げられた。
◇
一方その頃、ノエルは表情に悔しさを滲ませながら、静かな廊下にコツコツと足音を響かせていた。
「……すみません、イオリ様。私の身勝手のせいで、ご迷惑をおかけして」
目尻に涙がうっすらと滲み、慌てて指で拭う。
「ここが、パーティー会場ですね……」
扉の向こうからは、談笑する人の声が少し漏れ聞こえてくる。
唾を飲み込んで、ノエルは両手で扉を押し開けた。
「……っ!」
一斉に視線が集まり、気圧されてしまう。
だが、どうにか踏みとどまると、そのまま部屋の最奥――国王の方に目をやった。
(へ、平常心……。平常心よ、ノエル)
もう一度、唾を飲み込む。
小刻みに震える足に活を入れ、国王へ向けて一直線に歩き出す。そして、鼓動の速さを感じながら国王の前までたどり着くと、ノエルはおもむろに片膝をついた。
「御前に立つ無礼をお許しください、陛下」
「よい。お主、名は?」
「はっ。王国魔法士団所属、ノエル・ル・ブランと申します」
「おお、そなたが! して、聖女殿はどちらに? 未だ、支度に手間取っておられるのか?」
「そ、それは……――」
声を弾ませる国王とは正反対に、ノエルは額に脂汗を浮かべて言葉に詰まる。
「せ、聖女様は……聖女召喚の、儀式は……――!」
――失敗しました。
そう口にしようとした瞬間、背後から扉の開く音が聞こえる。
あまりに都合の良すぎるタイミング。まさか、来るはずがない。
それでも、縋るような思いで、気づけばノエルは音の鳴る方へ振り向いてしまっていた。
「皆様、お初にお目にかかります。そして、ご歓談のお邪魔をしてしまい、申し訳ありません」
恭しく一礼するのは、見覚えのあるドレスを身にまとった女性。声は少し高くなっているが、その顔立ちには覚えがある。
だが、先ほどまでと違い、その姿は一片の曇りなく完璧に“女性”だった。
「……い、イオリ様?」
呆然とその名をつぶやくノエル。
すると、その女性はにこやかに口角を上げ、ノエルの隣まで進み出る。そして、国王や周りで言葉を失っているすべての人に向け、その名を口にした。
「――《聖女》イオリ。召喚士ノエルの召喚に応じ、異世界より馳せ参じました」
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