少年と川と色とりどりの世界
浰九
第1話
少年と川と色とりどりの世界
これは僕と兄ちゃんの兄弟の物語。ちょっと怖くて不思議な本当の話。僕は自分の将来のために、ここに僕たち兄弟の物語を書く。
周りを緑が茂る小高い山々に囲まれた町。町の中心には川が流れ、潤いを与えてくれている。
「はい、静かに。今日は台風が近づいてきているので午後から休校にします。」
騒ぐ男子たち。三日前から台風接近にともない、雨はしとしとと降り続いている。
「親御さんには連絡しているので、みんな寄り道しないでまっすぐ家に帰るように。」
窓の外は細い雨粒が風に吹かれて斜めに流れている。雨の音より風の音の方が耳に届く。誰もいない校庭を、風に回されながら苗色の葉のついた小さな枝が横切っていた。
この頃はまだ、台風が来たことがすこしうれしかった。
まず、僕の兄ちゃんを紹介する。名前はユウイチ。兄ちゃんは、勉強はちょっとだけ苦手みたいだけど、持ち前の頑張りでテストでは九十点以上は取ってくる。漫画好きで、家ではゴロゴロしてるけど、母さんに尻を叩かれながら勉強している姿をよく見る。テストの結果が良いので母さんも不思議がっているみたいだ。
運動も得意な方で、飛び抜けてすごいというわけでもないけど、みんなの中で活躍できる方だ。二重跳びなんて三十回以上跳んでた。
僕の名前はミナト。僕は運動が苦手。嫌いではないけど、みんなとやるとついていけないから、それが嫌だ。兄ちゃんと近くの空き地でサッカーやドッチボールをするのは大好きだ。兄ちゃんは僕に合わせて遊んでくれる。でも兄ちゃんはそれで楽しいのかな?勉強もわからないじゃないけど、出来ればやりたくない。好きなことはぼぅーとすること。何かのキャラクターを頭の中で仲よくさしたり、戦わせたりするのが大好きだ。だから時々、授業中にぼうっとしていて、先生や隣の子に注意を受ける。
キャメル色のランドセルを背負って靴箱に着いたとき、クラスの人たちはもう誰もいなくなっていた。僕はいつだって準備が遅い。薄群青色の靴を履いて校門を出る。少し風が強い。時折、傘を飛ばされそうになりながら一人で帰っていると、マッドシルバーのランドセルを背負った兄が、ひとりで歩いているのが見えた。
「兄ちゃん!」
そう呼んで駆け寄る。兄ちゃんは少し微笑んで僕を待ってくれた。
「一緒に帰ろう。」
こうやって時々、兄ちゃんと一緒に帰るのがうれしかった。
雨に濡れたアスファルト舗装の道を、風でなびく草木や、まだ稲のなる前の萌黄色の水田の景色を見ながら二人で歩く。どうしてアスファルトや草木は雨に濡れるとにおいが強くなるのだろう?人工的なにおいと自然の緑のにおいが鼻孔の奥に届く。濡れて光沢のある艶やかな青い紫陽花が点々と生えていて、風になびき、揺れている。
短い石橋を渡りきったところに、女の子が一人いた。傘もささずに手を口に当てて、雨で濁った川を見つめている。いつもは川底の石が透けて見えるのに、今日は水嵩も増して濃い蓬(よもぎ)色になっている。女の子の目線の先には桃花色の傘が川辺ギリギリの所にあった。風でゆらゆら揺れている。今にも川に飲み込まれてしまいそうだ。
「あの子一年生だよ。傘、飛ばされちゃったんだね。」
僕がそう言うと、兄が女の子に駆け寄っていった。何かしゃべっている。
すると兄ちゃんは、橋の下に滑り降り、ゆっくりと女の子の傘に近寄って行った。
そして、またゆっくりと自分の傘を閉じ、逆さまに持って柄の部分で何とか女の子の傘を手繰り寄せようとした。
僕はなんであの時あんな行動に出たんだろう?兄ちゃんに良いとこ見せたかったのかな?それとも女の子に良いとこ見せたかったのかな?
僕も橋の下に滑り降りた。そしてずんずん進んでいき、兄ちゃんを追い越し、直接手で女の子の傘をつかんだ。僕は振り返り兄ちゃんを見た。へへんだって感じでちょっと笑った。その瞬間、突風が吹いた。開いたままの傘が風で押される。僕は後ろにのけ反っってそのまま川へと落ちてしまった。
「ミナト!」
兄が叫んでいる。苦しい!息ができない!呼吸をしようとすると、水が容赦なく口の中へ入ってくる。助けて!苦しい!いつも楽しく遊んでいるはずの川が形相を変えて僕に襲いかかる。だめだ、死んじゃうよ。助けて。
弟が落ちた。一瞬の出来事。手を差し伸べる暇もなかった。流れに押され川岸から離れていく。馬鹿か!そう思った瞬間に走り出した。
「ミナト!」
川の流れがいつもより強く、そしておそらく深い。この辺りは弟でも足がつくはずだ。明らかにおぼれている。何とかしなきゃ。濡れた草に足を取られながら川沿いに走る。目の前に運よく発泡スチロールの箱が落ちていた。所々角が崩れ、黒い汚れもついている。走りながらそれを掴み、川へと飛び込んだ。
しまった!焦ってランドセルを背負ったまま飛び込んでしまったことに気付く。もがくようにしてランドセルを捨て、そのまま発泡スチロールの箱を浮き輪代わりにして弟へと近づいた。
僕は何とか顔を出して空気を貪る(むさぼ)。兄ちゃんが僕を呼んでいる。女の子の叫び声も聞こえる。手足をばたつかせても何の意味もない。でも、ばたつかせて何とかしようとする。降り続く雨で増水した川は、容赦なき魔物のように僕を飲み込もうとする。何かが手に当たる。白いものが目に入る。
「つかまれ!」
兄ちゃんの声だ。発砲スチロールだ。兄ちゃんが崩れた発泡スチロールの箱を持って飛び込んできた。
「つかまれ!」
ぼくは兄ちゃんに手伝ってもらいながら何とか発泡スチロールに掴まった。
兄も一緒にしがみついた。
流される。僕のランドセルがいつの間にか、先の方へ流されている。どんどん岸から遠ざかり、川の真ん中まで来てしまった。濁った水が二人の顔を打つ。
発泡スチロールは二人の体重ギリギリ持ちこたえるくらいで浮いてくれていた。
「なんか声が聞こえねぇか?」
そこに運よく消防団の二人組が見回りに来ていた。おぼれている二人の少年の姿を見つける。
「いけね!おい!若ぇの!どっかから何か道具持ってこい!」
消防団員の若い方が、すぐに理解し、近くの民家に飛び込んだ。
中年男性の消防団員は二人を見失わないように、声を掛けながら、流されている二人を追いかける。
「ロープ持ってきました!」
若い消防団員が束になった白と柿色のロープを持ってきた。さっきまで飲んでいた五百ミリリットルのペットボトルをロープに括り付け、再び二人は走り出す。
「急げ!」
全速力で走る二人。流されている少年たちに追いつき、中年男性の消防団員がロープの縛られたペットボトルを二人の少年めがけて投げ込んだ。しかし風にあおられて無残にも届かない。少し先に橋が見えた。若い消防団員は中年男性からロープをふんだくると橋に目掛けて全速力で走り出した。流されている二人を追い抜き橋の中央に来るとそこからペットボトルを括り付けたロープロ投げ込んだ。
「つかまれー!」
大声で叫んだ。
大人たちが、必死に僕たちを助けようとしている。今、橋の上から先にペットボトルを括り付けたロープがたらされた。これを掴めば助かる。でも僕は動けない。少しでも発泡スチロールから手を離したら川の流れに飲まれそうだ。兄ちゃんがそれに手を伸ばした。あと少し。あとほんの少しで掴めそうだったのに、川の流れに押されて、僅かに届かなかった。
もうだめなのかもしれない。そう思った。
「がんばれ!ミナト!」
兄ちゃんが叫んだ。大人たちが追いかけてくれているのも見える。再び川岸からロープが投げ込まれる。でも、あと僅か、あと僅か届かない。
「ミナト。」
兄ちゃんが僕を呼んだ。兄ちゃんの顔を見る。
「ミナト。--------。」
またロープが飛んできた。
ドン!
「えっ?」
兄ちゃんが発泡スチロールごと僕を押した。目の前にロープに括り付けられたペットボトルが落ちる。夢中でそれを掴んだ。
「兄ちゃん!」
兄ちゃんの目を見た。一瞬だったけど、確かにはっきりと兄ちゃんの目を見た。流されていく兄ちゃんの目を。
「兄ちゃん!」
僕は叫んだ。叫ぶだけでどうすることも出来なかった。
「兄ちゃん!兄ちゃん!」
ロープから、大人たちの力を感じる。ぎゅっと握りしめる。グングン岸に近づいていく。兄ちゃんはもう見えない。
僕はひっぱり上げられ、そして、そのまま気を失った・・・。
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