第2話 秘密のオペラグラス
「おはようございます、ジン様」
校門前、婚約者であるジンにばったり会ったマリアは、社交辞令の美しい笑顔を向けた。
「ああ」
ジンは素っ気なく返事をすると、誰かを探すかのように落ち着きなく辺りを見回す。
さらさらの金髪にグレーの瞳。
若干小柄ではあるが、明らかに高貴な匂いを感じさせる佇まいは腐っても第2王子である。
「あ……」
ジンは何かを見つけたように小さく声を上げると、次いでマリアをキッと睨んだ。
「私は忙しい。いかに婚約者と言え余り気安く声を掛けてくれるな」
「失礼しました」
マリアは優雅にお辞儀をする。
「君とは卒業したら嫌でも一緒なのだ。学園くらいは自由にさせてくれ」
ジンはそう言うとその場を立ち去った。向かう先は例のご令嬢。半年前に転入してきた男爵令嬢のコロン。彼女の周りには既に数人の取り巻きがいた。
「何ですか?あの無礼者は」
後ろでマリアの鞄を持っていた侍女がボソリと呟く。
「どうやら最近愛しい方が出来たようで、恋に忙しいのね。私の存在が邪魔なのでしょう」
マリアは困った風に溜息を付いた。
「と言うか、まだ自分がお嬢様と婚姻出来ると思っている時点で頭がお花畑なのでは?」
仮にもこの国の王子に対して酷い言いようである。
その言葉を聞いたマリアは嬉しそうにほほ笑むと、彼女から鞄を受け取り教室に向かって歩き始めた。
今朝、学園に出掛ける前、マリアは父であるフィクサー公爵に呼び止められた。
「マリア、今日陛下にジン殿下との婚約解消の話をする予定だ。早ければ直ぐにでも決着するだろう」
「父様、少し待って頂けませんか?」
その話にマリア自らストップをかける。
「ん?何か思うところでもあるのか?」
まさか未練でも?
公爵は眉をひそめた。
多方面から最近のジンの言動について既に報告は受けている。
王家から無理やり捻じ込んできた婚約であるはずなのに、蓋を開けてみたらこの有様だ。公爵は大いに怒っていた。
この国の第1王子と第1王女は正妃の子であり、第2王子であるジンは側室の子だ。
側室は和平の為に仕方無しに陛下が娶った他国の王女であり、プライドが高く高圧的な性格をしていた為、王宮でもすこぶる人気が無かった。と言うか嫌われていた。
ジンとマリアの婚約は、公爵家の後ろ盾が欲しかった側室が無理やり頼みこみ、半ば強引に決まったのだ。
しかし余りにも他の貴族から反対意見が多く出た為、口約束のみに留まり、何か双方に不具合が生じた際は直ぐに解消できるようになっていた。
「いえ、解消するにしても少し証拠が足りないかと思いまして」
マリアは残念そうに首を左右に振った。
「証拠とな?」
「はい。直ぐにでも解消したいのはやまやまなのですが、今の状況では皆様を、ましてや陛下を納得させる事など出来ないかと思われます」
「そんな事は無い。最近のジン殿下の行動は目に余る。お前との約束を反故にし、男爵の娘などに現を抜かして公務も頻繁にさぼっておるようだ。最悪陛下が首を縦に振らなくても強引に話を通す。問題無い」
フィクサー公爵は現宰相であり、王宮ではかなりの権力を持っている。
側室派閥、と言うには余りにもお粗末な貴族達もいるにはいるが、公爵家の敵では無かった。
あらあら。
マリアは機嫌良さそうに笑う。
「いえいえ。父様のお手を煩わせるつもりはございません。彼が不義理を働いている確かな証拠を必ず手に入れますので、2日お待ち頂けませんか?」
「証拠だと?別にそんなもの今更必要無い」
「いいえ父様。必ず、誰もが納得する、確かで、揺るぎない、証拠を、皆さまに、確実に、ご提示しますわ。いいえ、させて下さい」
マリアははっきりと区切りながら話すと、片方の眉を上げてふふふふと笑った。
「あ、ああ……分かった、2日だな」
公爵の背中に悪寒が走り抜ける。
「ほどほどにな……」
彼はそれしか言う事が出来なかった。
「うふふふふふふふふ」
昼休み。
生徒会室の窓際に置かれたソファーに座り、マリアは外を眺めながら嬉しそうに笑った。
「あら?どうなさったの?マリア」
傍らに座って紅茶を飲んでいたロキシーが、いつに無く機嫌の良いマリアに声を掛けた。
マリアとロキシーは学園の生徒会役員の為、頻繁に生徒会室を利用している。昼休みは彼女達が使うため、他の役員達は緊急の用が無ければ遠慮してこの部屋を訪れる事は無い。
ロキシーはマリアの視線の先に目をやる。
「あらあら」
そこには愛を語らう2人の男女の姿があった。ジンと噂の男爵令嬢コロンである。
ジンは辺りを気にする素振りも見せず、コロンの髪を優しく撫でてキスを贈る。見つめ合い、そっと唇を合わせる。どこからどう見ても、熱々のカップルである。
裏庭の大きな木の裏にあるベンチ。
一見死角であるが、生徒会室は校舎の2階に位置している為丸見えだ。
おまけに辺りを良く見ると、隠れた所にその様子を覗く人影がちらほらと見える。
「うちの愚弟は相変わらずお盛んね」
仮にもこの国の王子であり、婚約者もいながら辺りを気にせずいちゃつく姿にロキシーは飽きれた様に言い放った。
「ジンは何も聞かされていないのね。もうすぐあなた達の婚約の話は無くなるのでしょう?」
「ええ。これまでのジン様の言動を包み隠さず陛下に報告するつもり。きっと直ぐに解消できるわ。知らないのはジン様だけですわね」
「あらあら、後ろ盾を無くした馬鹿な弟の転落人生が見物だわ」
2人はくすくすと笑い合いながら彼等を眺めた。
「それにしても、コロン嬢もなかなかやりますわね」
マリアは感心したように呟く。
先程まで2人きりだったベンチの周りには、いつの間にか3名の男子生徒が加わっていた。
半年程前、学園に転入してきた男爵令嬢であるコロンは確かに可愛らしい風貌をしていた。
小動物の様な大きな目と小さな口。
無駄な動きが多く、高位の貴族令嬢からすれば猿の様に落ち着きの無い姿に見えるのだが、令息から見ればそれが可愛らしいと映るらしい。
数々の貴族令息を骨抜きにしているともっぱら学園の噂である。
しかも美男子ばかり。
お蔭で他の令嬢からは蛇蝎の如く嫌われており、転入してから半年、同性の友達が1人も居ないらしい。
「コロン嬢は面食いなのね」
ロキシーは呆れた様に呟いた。
マリアは胸のポケットから今朝出来上がったばかりのオペラグラスを取り出すと、彼らを再び見下ろした。
「うふふふふふ、あらあらあら~これは愉快ね。思った通り。素晴らしい。最高の証拠ですわ」
マリアは嬉しそうにオペラグラスで彼等を覗いている。
「え?何?面白いモノが見えてるの?」
ロキシーは不思議そうに尋ねた。
「しかし、殿方と言うのは下半身を制御出来ないものなのでしょうか?」
マリアは誰に言うでもなく呟いた。
「え?下半身?」
意味が分からないロキシーだったが、聞く姿勢に徹する事にした。
天才と何とやらは紙一重。
マリアの問いは自問自答であって他者へ向けてではない。
きっと今、彼女の頭の中は高速にロジックが組み上がっているのであろう。
幼い頃から付き合いのあるロキシーは、マリアの性格を熟知していた。
「私は仮説を立てましたの」
マリアはオペラグラスで彼等を観察したままで話始める。
「殿方には2つの意思が存在する。1つは頭。これは私達女性と同じですわ。もう1つは……」
「もう1つは?」
「下半身」
「え?!」
「下半身は本能の赴くままに行動する意思を持ち、頭はそれを制御する役割を持っている。つまり」
「つまり?」
「殿方は下半身優位に物事を考えている。私はこの様な結論に達したの」
その言葉にロキシーは絶句した。
マリアが天才である事は十分理解している。しかし、流石にこの仮説は意味が分からない。
「つまり殿方には2つの脳のような物があり、主に下半身のソレが優位だと?」
生物学の授業でもそのような事は習っていない。もし仮に殿方が下半身優位で物事を考えているとしたならば、殿方と会話をする時は顔では無く下半身を見なければ失礼に当たるのではないのか?
ロキシーは全く見当はずれの事を真剣に考えていた。
「タリス侯爵令息であるニコライ様暫定4位、バハルト伯爵令息であるアイル様暫定3位、カールド子爵令息ゾルン様暫定2位」
マリアは突然何かを読み上げる。
「え?今度は何?」
マリアはオペラグラスから目を離し、ロキシーに向けてニッコリとほほ笑んだ。
「新しい発明品が完成したの」
「え?!何!まさかそのオペラグラス??」
ロキシーは大興奮でマリアに尋ねた。
勿論彼女は、マリアがヴァイオレットと同一人物だと知っている。
「ええ、正確にはこの中に入っているレンズね。今日兄が陛下に献上に行っているはずだわ」
「まあ!!」
ロキシーは嬉しそうに胸の前で手を合わせた。
「今回はかなり個人情報に関わる物だから、普及されても上層部と暗部くらいかしら」
「興味あるわ!貸して」
ロキシーはマリアに手を伸ばす。
「良いですが、これを覗いてしまったら戻れないかもしれません。興味本位で乱用しない事を約束して下さいまし」
「勿論!!」
ロキシーは満面の笑みで頷く。
本当に大丈夫かしら……。
マリアは一抹の不安を感じながらも、ロキシーにオペラグラスを手渡した。
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