第8話 屋敷での日常(2)



 料理場で「ハンバーグ」の作り方を教えた後、アルは修練場へと足を運んだ。



 修練場では、グランセル公爵家の騎士団たちが厳しい訓練を行っていると聞いていたので、アルは一度見て見たいと思っていたのだ。

 まだ2歳なので、そこまで深刻に考える必要はないけれど、三男であるアルはいつかは自立する必要がある。

 そのために、厳しいと言われるその騎士団の訓練風景を見ておきたかったのだ。


 グランセル公爵家は二つの大きな屋敷と、使用人たちが暮らす離れ、そして騎士団が訓練を行う修練場の大まかに4つの建物がある。後は屋敷の間にある中庭があるくらいだ。



 修練場に着くと、もの凄い熱気が伝わってきた。


 中に入ると危ないかもしれないので、アルは外から修練場の様子をうかがう。


 中には、大体15、6歳くらいの子たちが20名程度訓練を受けていた。そして、大柄な男性が彼らの訓練相手の様だ。



「おら、一太刀でも浴びせてみろ!」



 その男性は彼らにそう挑発する。


 彼らは既に肩で息をしているが、力を振り絞って立ち向かっていく。

 しかし、彼らの太刀筋はなっておらず、20人がかりでもその男性に一太刀も浴びせることはできないだろう。



「くそっ!」



 一人の男の子がやけくそに木刀を振る。しかし、その木刀は男性をとらえることはなく、逆にその勢いで地面に倒れこんでしまう。他の子たちも似たような感じで、みんな疲れ果てて倒れこんでしまった。



 あちゃ~、これは思ったより……。



 アルは、修練場を後にする。



――思っていたよりこの世界の武術は遅れているのかなぁ。



 アルは男の子の動きではなく、相手役の男性の動きを思い出しながらそう思ったのだった。












 アルは修練場を後にして、書庫へと向かった。


 料理場も修練場もいわばついでで、アルの本当の目的はこれだった。



 アルの部屋があるのは東の屋敷なのだが、書庫があるのは西の屋敷なのだ。

 つまり、一度外に出て西の屋敷へ行かなくてはならないので、ついでに料理場と修練場にも足を運んだのだった。


 アルの目的はただ一つ。



「さて、いい本あるかなぁ」



 アルはそう呟きながら書庫へと向かった。






 書庫は普段誰も使っていない。


 ガンマやレオナルドたちが調べ物をするときに訪れるそうだが、レオナルドは王都におりガンマは仕事で忙しいので、誰にも気にせず利用できるだろう。


 アルの部屋にある本もこの書庫から持ってきている、子供向けの本らしいのでニーナやミリアに頼めば本の入れ替えもしてくれそうだが、そうなると本を読む速度について突っ込まれそうだったので、書庫へ行って読むことにしたのだ。



 西の屋敷に入って、書庫は二階の奥にあるらしい。


 東の屋敷は生活のためのもので、西の屋敷は仕事関連という分け方をしているらしく、西の屋敷に入るのは男性がほとんどらしい。

 接待のためにミリアやアリーナなども入ることはあるらしいのだが、公爵領で接待することはほとんどないだろう。



 ここが書庫だな。



 アルは書庫の扉を開いた。


 そこは始めてくるのに、どこか懐かしい感じを受ける場所だった。



 本独特の紙の匂いや本棚いっぱいに敷き詰められた壮観な光景は、前世の図書館通いの日々を思い出させる。


 まだ読んだことのない本たちにアルは胸を躍らした。



 晩御飯まで大体2時間くらいしかない。


 アルは時間の許すかぎり書庫にこもるようになったのだった。










 その日から、アルは毎日のように書庫に通うようにした。


 しかし、午前中はガンマやミリアが部屋に訪れるので、書庫へ向かうのは昼食のあとだ。

 ただ、部屋の本は読み終わっているため、部屋にいるのも暇なので東の屋敷を見て回る。



「坊ちゃん! 待ってましたぜ」



 料理場の前を通るとダンが待っていた。

 レシピを教えた次の日、料理場に行くとダンが約束通りハンバーグの試作品を作ってくれていた。

 ただ、本人の中ではまだ納得のいく段階にはないらしく、毎日のようにアルに味見を頼んでいた。


 アルからすれば十分美味しいと思うので、家のご飯に出してもいいのではといっているのだが。



「ダンさん! うまくできたんですか?」


「おぅ! 今回のは会心の出来ですぜ」



 そう言って、料理場の中へと入っていく。

 アルのダンの後について入っていくと、以前は委縮していた他の料理人たちも集まってくる。

 料理人たちの中で、アルの味覚を「神の舌」と呼んでいるらしく、いつの間にかアルはダン以外の料理人たちとも仲良くなっていた。



「これですぜ!」



 ダンはハンバーグを半分に切ったものを差し出した。


 切り目を見る限り、以前より玉ねぎを細かく刻んでいるし、肉のまとまりもいいように思う。

 ナイフで一口切ってみると、弾力も以前とは段違いだし、肉汁も出てきておいしそうだ。


 アルがハンバーグをじっと観察していると、料理人たちの中で緊張感が漂っていた。


 アルは一口サイズに切ったハンバーグを口に入れる。そして、ゆっくり味わう。



「どうですかい?」



 ダンはアルの顔を覗き込みながら聞く。普段はお調子者のダンからも緊張が見て取れた。



「今までのものの中で、段違いにおいしいです! 『バリソンの角煮』といい勝負です!」



 アルはニッコリ笑顔を浮かべてダンにそう言う。


 料理人の中で「おぉ!」というどよめきが起こる。

 「バリソン」とはこの世界の中でもかなりの高級牛で、その角煮はレオナルドの大好物でもあった。


 ハンバーグに使ったのは普通の牛肉なので、料理人の腕でその領域まで引き上げたという事になる。



「本当ですかい⁉︎ 坊ちゃん!」



 アルはダンにもう一度頷いて見せる。



「はい! じゃあ、次は香辛料をたくさん使ったとろみのあるスープを作ってください! 野菜は人参と玉ねぎ、ジャガイモがいいです!」



 喜ぶダンたちをよそに、アルは次の料理のリクエストを伝える。

 ダンたちは一瞬、目をぱちくりさせたが、「分かりやした!」と満面の笑みで答えて見せた。



 その日から、我が家の食卓に「ハンバーグ」があがるようになった。






 料理場のあとは、中庭へ向かう。



「あっ、アルフォート様!」



 緑髪の青年がこちらへ走ってくる。手には木刀を持っており、さっきまで素振りをしていたのか、汗まみれだった。



「カインさん! お疲れ様です。今日の訓練はお休みでは?」



 走ってきた青年・カインにアルはそう言う。この青年は騎士団の方で、初めて修練場へ様子見しに行ったときにしごかれていた人だった。



「はい! でも、アルフォート様に素振りを見てもらいたくて」



 カインはアルのことを師匠のように思っている。









 話は少しさかのぼる。


 アルがいつもの様に書庫へ行こうとしていると、中庭で素振りをしている青年を見つけたのだ。

 向こうの方もアルに気が付いたらしく、その場で礼をしてくる。アルもしっかりと礼を返して、書庫へと向かおうとする思ったが、彼の顔色を見て少し気が変わった。



「しっかり休めていますか?」



 アルはカインにそう話しかけた。


 カインは驚いて、数秒固まっていた。そして、はっと我に返り視線を下へ向ける。



「はい! しっかりと休憩は取っております」



 カインはそう返答する。


 今日は騎士団の訓練は休養日であった。騎士団見習いの仲間たちは屋敷の外へ行ってしまったが、カインだけは自主的に訓練していたのだった。



「そうですか?」



 アルとて、今日は騎士団の訓練が休みであることはわかっていた。

 しかし、この青年は休養日でさえ訓練しようとしている。無理をしていることは顔色を見れば明白なのだが。



「じゃあ、僕と少し遊びませんか?」



 アルはその青年にそう提案する。

 青年は「へ?」と素っ頓狂な声を上げた。



「遊び、ですか?」


「はい!」



 アルは中庭に半径3メートルほどの円を書く。



「ルールは簡単です。この円の中で、僕を捕まえてください!」



 そう言って、アルは円の中へ入る。



「はぁ……?」



 そう言って、カインも円の中へ入ってくる。



「では、どうぞ!」



 アルは開始の合図を出した。


 カインの年は16歳。2歳児なんてすぐに捕まえられるだろうと思って、少しずつアルに近づいていく。そして、アルが動き出すのを待った。


 アルが右の方へ動き出す。



――よし! 捕まえた!



 カインもその方向へ動く。しかし……。



「残念、こっちです!」



 カインが動いた方向とは逆にアルは動いていた。



――おかしい、確かにこっちへ動いだしていたのに!



 カインはアルに翻弄され続けるのだった。







「はぁはぁ……。アルフォート様、あれはどういう原理なんですか?」



 疲れ切った青年がアルにそう聞いてくる。時間にして大体10分くらい経ったくらいだった。



「あれはフェイクです。この前、修練場であなたの相手役が使っていたものですよ」



 そう言って、少し離れた所から見せてあげる。


 近くにいると、足まで見ることは難しい。

 そのため体の流れに騙され、逆を取られてしまうのだ。青年もアルの動きを見て、それに気が付いたのだろう。



「なるほど……。そんな技術があったんですね」



 青年は少し笑みを浮かべる。

 14も下の子に翻弄されたのだ、自分の非力さを実感していた。



「素振りするのもいいですが、たまには体を休めてくださいね。一度離れて見えてくるものもありますから」



 アルはそう言って、書庫の方へ歩いていく。



「アルフォート様! 私はカインと言います!」



 カインは歩いていく背中に名前を名乗る。アルは一度振り向いて、「カインさんですね。頑張ってください!」と返答し、また歩き出した。









「どうですか! アルフォート様!」



 素振りを開始したカインは、自分の振りに対する意見を求めてきた。2歳児に何を求めているのやら。



「そうですね……、もう少し踏み込みを変えてみてはどうでしょうか。一定の踏み込みしかできないと対応しにくくなるのでは?」



 アルは気になった点を指摘する。



「なるほど!」



 カインはアルの言う通り何パターンかの踏み込みで素振りを開始する。



――これ、いつまで続くのかなぁ。



 アルは昼食の時間になるまで、中庭でカインの素振りを見続けるのだった。

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