1997年式信仰ノ勧メ

三題噺トレーニング

1997年式信仰ノ勧メ

 --鰯の頭も信心からという諺をご存知だろうか?

 そう、どのようなものでも信仰心があつければ尊く思えてしまう。誠に不可思議ではあるが、悲しきかな人とはそういったものなのである。

 はて、しかしこれは真実なのだろうか?

 幼き私は疑問に思い、ではここでひとつ実験をしてみようと思うに至った。実験とはいってもそれはあまりに大したものではなく、時は1997年、私は齢9つのガキであり、5つ歳の離れた兄と5つ年の離れた弟がいた。

 そう、1997年。まさに1997年である。この年を聞くと人にはピンとくるもの、こないもの、その2種類に分かれる。

 前者はまさに空前絶後の大ブームを巻き起こしたエヴァンゲリオンを認知しているもの(そのような朋輩は大抵エバというと怒るのである。エヴァ、とウに点々、ここ傍点で読んであげる必要がある、厄介な25年に囚われた人種なのであるが、ここではこれを割愛する)後者はしていないものだ。兄は前者だった。弟は後者だった。私はその中間にいた。

 当時の兄は親からねだった小遣いで、一丁前にコーヒーを嗜んだ。それもブラックコーヒーではない、エヴァの劇中に登場したUCCコーヒーだ。そのエヴァンゲリオンが劇場アニメになるにあたって、当時はレアなコラボレートされた商品として、UCCコーヒーは装いを新たに登場した。

 そう、エヴァンゲリオンのキャラが描かれたUCCコーヒー、通称エヴァ缶である。

UCCコーヒーは歴史的な交点となった。現実とアニメの文字通りの橋渡しとして、だ。ハガキで応募する形での抽選のために兄は血眼になってUCCコーヒーを飲んでエヴァ缶に応募した。

 もちろん私も母も父も手伝わされた。我が家は一時期不眠症の家族だった。そんな努力の甲斐もあり、兄はエヴァコラボのUCCコーヒーを当てた。

 それは当時珍しかった描き下ろしイラストのついたコーヒーで、あまりのレアリティに兄は開封を躊躇った。今の私ならばその当時の兄の気持ちが痛いくらいによくわかるがしかし、その頃の私はそうだ、これを使えば『鰯の頭も信心から』の検証が可能になるのではないか、とほくそ笑んでいた。我ながらイヤなガキだった。

 兄は当選したUCCコーヒーを神棚に置いた。特に当時は綾波レイがお気に入りだったらしく、綾波が頬まで缶を持ち上げたイラストの描かれたエヴァ缶は丁重に丁重に扱われた。私はそれを見て、弟にも兄と同様にエヴァ缶を丁重に扱うよう求めた。

 弟は最初は戸惑いを覚えていたようだが、当時放映していた電磁戦隊メガレンジャーのレッドが好きでその繋がりからか惣流・アスカ・ラングレーが描かれた缶を気に入り始めたようだった。しめた、と、思った私は弟の見ている前では必ずアスカの缶にお参りをした。

 ちゃぷちゃぷと鳴るコーヒーの缶を恭しく扱い、試験の前なぞ必ずこれに願掛けをした。それを見て育った弟も私の真似をしてアスカ缶に1日に1度はお参りをするようになった。

 かくして弟はUCCコーヒーを崇拝するに至った。ここまで崇拝される飲み物なぞ1997年製エヴァ缶以外に存在するまい。

 兄が高校を卒業して家から出て、もう要らないから中身は捨てろよ、と弟にエヴァ缶をあげた時も、新劇エヴァがスタートして折角だし兄弟で見るかとなった時も、弟の大学受験の時も、弟は必ずエヴァ缶にいやアスカ缶に拝んだ。

 かつて私が思い描いた妄念は、やや薄気味悪い形ではあるがここに結実したのだった。


 そして時は流れてエヴァも終わる。

「あれはエヴァじゃねぇから。俺の中ではまごころで終わってるから」とシン・エヴァをATフィールドがごとく拒絶した兄を置いて私は弟とシン・エヴァを見る。

 そう、その頃には弟もすっかり物語の虜になっていた。生粋のオタクであり、血は争えないものよと思わざるを得なかった。

「最後までいい夢を見させてくれますよーに!」

 Qでも振り落とされなかったこの男はいつものように錆びついたアスカ缶にお参りを済ませると、私と共に気合の劇場鑑賞を決めた。

 我々兄弟はサブスクなどという軟派なシロモノを待つことなく、きっかりきっちり3時間、スクリーンの前に座っての鑑賞と決め込んだ。

 劇中、隣の弟が震えているのが見えた。

 そうか、思えばエヴァンゲリオンと出会って幾星霜、漫画版7巻のクリスマスフィギュア付を綾波ver.にするかアスカver.にするかで揉めたり、髭剃りとコラボしたゲンドウになんか幻滅したりと自分と弟の傍らにはいつもエヴァンゲリオンがあったような、そんな気がするのだ。

 感慨なのか何なのかが分からなかったが私も何故か胸がすくような思いと、駆け抜けた25年に想いを馳せた。

 が、しかし、弟が震えていた理由は私が想定していたものとナナメ45度くらいの違いがあった。

「いや、こんなんじゃねーだろ!! アスカよぉ!! アスカよぉ!!!」

 終劇後、感涙を頬にしたたらせる私をよそに弟はブチ切れ気味であった。

 ーーそして、私はその刹那に全てを理解した。 

 そう、この25年間の結末は何も別に私の仕込んだ『鰯の頭も信心から』が実証されたわけではなく、弟の初恋の人がアスカだというオチだったのであった。

 幼き日の弟が旧劇エヴァを「かわいそうだから観ない!」と言い張ったり、破のネタバレをして流血沙汰の喧嘩になったりした理由の答え合わせが、図らずもなされた2021年の夏であった。

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