第13話

「ただいま」


 と、ドアを開けながら理子は言った。


「おかえりなさい――ってあれ? 和真くん?」

「あ、どうも」


 俺はぺこりと頭を下げた。


「どうしたの、こんな時間に? 理子を送ってくれたの?」

「え? ええ、まあ、なんというか……その……」


 俺は亜美さんから目を逸らして、助けを求めるように理子を見た。

 理子はとりあえず中に入るように俺を促すと、ドアをしめて靴を脱いだ。それから、緊張からか顔をこわばらせて、


「少し、話したいことがあるんです」

「話したいこと?」

「はい」


 理子は大きく頷いた。

 その真剣な面持ちから何か察したのか、亜美さんはこの場で深く追求しようとはせず、


「……まあいいわ。和真くん、あがって」


 と俺に優しく言うと、くるりと身を翻してリビングへと戻っていった。

 理子の『話したいこと』が何なのか、亜美さんはわかっているのだろうか? 彼女は鈍感な人ではないだろうから、俺が夜に突然訪問してきたことなどから、すべてを理解している可能性だってあり得る。

 理解していたとして――亜美さんはどんな回答をするのだろうか?


 ダイニングの椅子に座ると、いつものように温かいお茶を出してくれた。俺の隣に理子が座り、向かいの席に亜美さんが座る。

 亜美さんはお茶を一口すすると、


「それで? 『話したいこと』って一体何なのかしら?」


 と理子に尋ねた。


「……まあ、なんとなく想像はつくけれど」


 ぼそっと付け加えた。


「えっと、単刀直入に言うと……」


 理子は目をいくらか泳がせた後、亜美さんを見据えて、


「和真さんとの交際を認めてください!」


 回答はなかった。

 亜美さんはお茶をがぶがぶ飲むと、腕を組んでため息をついた。


 誰も口を開かなかったので、空間は凍り付いたかのように静かだった。正直、気まずいのだが、俺が言葉を発する場面ではないと思ったので、姿勢を正して黙っていた。


「つまり」


 やがて、亜美さんはぽつりと言った。


「ついさっき、あなたは和真くんに告白した、と」

「……はい」

「それで、和真くんが私の許可をとってくれ、みたいなことを言った?」

「ええ、まあ……」と俺。

「理子は高校生だから、大人の和真くんと付き合うのなら、保護者の私の許可があったほうがいい、か……。うーん……」


 困ったように、体を揺らしながら唸る。


「あなたが和真くんに好意を持っていることは、もちろんわかってたわ。あなたが誰を好きになり、付き合うかはあなたの自由。でもね、和真くんはあなたの一七個年上なのよ? そのこと、きちんと真剣に考えた?」

「はい」

「そのうえで――一七の年の差のことを考えたうえで、それでも和真くんと付き合いたい、と?」


 亜美さんの質問に、理子はもじもじしながら、


「その……こんなこと言うの、とても恥ずかしいんですけど……愛に年の差は関係ないというか……」


 ふふっ、と亜美さんは思わずといった感じで笑みを漏らす。


「愛に年の差は関係ない――まあ、確かにそうね」


 どうしようかな、とでも言いたげに、亜美さんは天井を見上げる。

 俺もサポートというかフォローというか、何かしら言ったほうがいいんじゃないか。でも、何を言えばいいんだろう……?

 結局、俺が何かを言う前に、亜美さんは結論を出した。


「いいわ。あなたたち二人の交際を認めましょう」

「あ、ありがとうございますっ!」「ありがとうございます」


 理子と俺は同時に頭を下げた。

 しかし、話はこれで終わったわけではなかった。山場は越えたが、話はまだ続く。


「ただし、一つだけ条件があるわ。この条件をのめないようなら、交際は認めないわ」

「条件?」


 と、俺は尋ねる。

 ええ、と亜美さんは頷く。


「健全な交際を心掛けなさい。理子が高校生の間は手出しちゃ駄目よ、和真くん。そういうのは大学生になってから。高校の間は手を繋ぐくらい――いってもキスまでよ。わかった?」

「はい、わかりました」


 たとえ亜美さんに言われなくても、高校生に手を出すつもりなんて毛頭なかった。なので、そのたった一つの条件も、まったく苦ではない。


「あ、それともう一つ……」


 たった今思いついたのか、亜美さんは急いで付け加える。


「絶対に結婚しろ、とまでは言わないけれど、高校生と――理子と付き合う以上は、将来的に結婚するという選択肢を念頭に置いておいてね」

「わかりました」

「――以上! 話終わり!」


 亜美さんは大きく両手を叩いて破顔すると、


「和真くん、今日は泊っていきなさい」

「え、いいんですか?」

「ただし、理子に手出しちゃ駄目よ。――私に手を出すのはオーケーだけど」


 くすっと笑いながら冗談を口にすると、亜美さんはキッチンへと向かった。夕食を作ってくれるのだろう。

 亜美さんの作った料理はうまい。姪の理子の作った料理がうまいのかは知らない。理子の手作り料理を俺はまだ食べたことがない。

 いや、そういえば――。


 俺はカバンから、先ほど理子にもらったチョコレートを取り出した。乱暴に開けるのは気が引けるので、ラッピングをゆっくりと丁寧に剥がしていった。ぱかっと箱を開けると、丸っぽい形の不揃いなチョコレートが六個入っていた。

 理子は何も言わずに、ただにこにこと笑みを浮かべ、俺がチョコレートを食べる様子を観察していた。


「いただきまーす」


 チョコレートを一個つまんで口の中に入れる。

 もぐもぐと咀嚼した瞬間、口の中全体におぞましい苦味が広がる。


「おいしい、ですか?」


 理子が上目遣いに尋ねてくる。

 俺は、俺は――。


「ユニークな味だね」


 適当にごまかした。

 どうやら、亜美さんと違って、理子は料理が不得手のようだ。


 二月一四日。

 世間一般的には、バレンタインデーと呼ばれる日。しかし、俺と理子にとってはバレンタインデーというだけではなく、記念すべき『交際記念日』として記憶に刻まれた。

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