第5話 シールドピンクが生まれる時1

 ガヤガヤとうるさい場所。居酒屋は座って話すものだというのにわざわざ一人一人立って自己紹介している。変な場所。変な人達。あまりにつまらないのでマドラーを弾いて遊んでいた。




 カララン、コロロン。




 残った氷がグラスに当たって音を奏でる。誰とも知らぬ人の口上を聞くよりも何倍も面白い。といって、すごい楽しいわけじゃ無いのだけど。


 ふと、その音だけがその場に響いているのがわかった。おかしいなと周りを見渡すと、みんなが私に注目していた。横の人が突つついてくる。見ると必死に指を上に向けて上下させていた。ああ、そういうことか。




「私は数合わせみたいなものなので、次、どうぞ」




 名前も言わずに、立ち上がりもせずに、言うだけ言ってまたマドラーを突つつき始める。何人かに睨まれた気がしたが、気にするつもりはない。こういう場所なら二度と呼ばれなくて良いから。




「こんにちは」




 しばらくしたら、物好きが話しかけてきた。コップの中はもう水だけになっている。




「お酒頼まないの」


「まあ、別に」




 飲んでも飲まなくてもあまり変わらない。




「飲まず、食わず、しゃべらずじゃ、人間死んじゃうよ。すみません」




 言うだけ言って勝手に店員を呼び始めた。




「ハイボールと、それ何」


「梅サワー」


「じゃ、梅サワーで」




 ニカッと笑ってくる。私は無視してマドラーを弾く。




「お名前は」




 私は睨んで追い返そうとする。




「さっき聞けなかったから」




 構わずニッと迫ってきて、しばらく睨み合う。・・・・・・はぁ、根負けした。




「月城玲奈。これでいい」


「影山幸治。よろしく」




 そう言って握手を求めてくる。睨んでみるけど・・・・・・はぁ。握手をすることにする。




「ありがと」


「もういい」


 ちょっとしたやり取りをしただけなのにすごく疲れた。もうだいぶ負けてあげたのだから満足しただろう。




「俺も数合わせなんだ。だから仲間だと思って」




 ちょっと悲哀のこもった言葉だった。つい、目がいってしまう。




「おっ、俺の番だ」




 ちょうどカラオケを回していて、彼の番になったらしい。そのまま見てしまう。イントロが流れ、彼がマイクを持つ。悲哀のこもった言葉を言った面影は無い。そして、歌い出す。上手かった。音を合わせるのが上手いとか(そもそも曲を知らない)、声が綺麗とかではない。音楽と一体になっている。そんな気がした。いつの間にか引き込まれていく。




「――愛してるーー」




 引き込まれていたからか、そんなフレーズが頭に入ってくる。少しその部分だけ強調していたか。いや、そんなことはないだろう。少し不思議な気分になる。


 曲が終わった。彼がマイクを次の人に回している。そんなやつの歌はどうでも良いから、もっと彼の歌を聴きたい。心の中でそう思う。




「ふぅ、どうだった、俺。歌は好きだからさ」


「上手いんだね」




 話をするつもりはないが、感想は伝える。




「本当。ありがとう。ね、今度カラオケ行かない」




 ・・・・・・少し考える。さっきみたいな歌はもう少し聴きたい。




「いい、よ」




 逡巡しているうちに口を突いて出てきたのはその言葉だった。




「本当。良かった。じゃあここに連絡して、待ってるから」


「うん」


「何か顔柔らかくなってきたね。その方がらしくて良いよ」




 確かにいつの間にかムスッとした感覚は消えていた。


 そのあとも彼はしゃべりかけ続けてきた。あまり私をしゃべらせることはしないで、簡単な質問ばかりぶつけてくる。「はい」「いいえ」「好き」「嫌い」。応えるのはそれだけで良い。それが、心地よかった。




〈次の日曜日で良ければご一緒出来ます〉




 自分でも生真面目だと思う。約束したことだから、と自分から連絡をした。あの日のことはあの日のこと。日常に戻れば何でもないこと。ただ、彼の歌で「愛してる」だけが耳に残っているのはしゃくだった。この日程が合わなければもう会うことはない。そう思いながら連絡した。




〈連絡ありがとうございます。日曜日ですね。ちょっと待って下さい〉


〈空けました〉


〈一三時からで良いですかね〉




 ものの十五分の出来事だった。




〈あっ、はい。大丈夫です〉




 行くことになってしまった。




「普段からそういう服着るの」


「うん、まあ」




 スラックスに白Yシャツにベスト。何か変だろうか。相手はというと、ハットにライダース、黒デニム。おしゃれさんだ。まあ、二人並ぶとアンバランスなのかもしれない。




「ふーん。似合ってるね」




 そう言って笑って流した。何が言いたかったんだろう。




「先歌う」




 中に入ると、彼がそう聞いてくる。聞かれて気付いた。自分も歌うのだと。さすがに焦る。歌う曲などない。




「あの、全部歌って良いよ」




 聞きに来た私としては真っ当な回答だと思う。




「えっ、少しは歌ってよ。俺、玲奈さんの歌声楽しみだったんだから」




 彼もまた真っ当なことを言っていると思う。




「じゃあ、まあ。最初は歌うから、ゆっくり決めようか」




 そういうことで、彼が歌い始めた。その歌も上手かった。でもやっぱりというか今度は好きだ」しか頭に入らない。あれだけうだうだと歌詞が並んでいるのに、変だな、と思った。




「はい、玲奈さんの番」




 楽しい時間の後に訪れる危機だ。ただ、彼の歌を聴いて一曲だけインスピレーションが湧いてきていた。




「これなら」


「なんだあるじゃん。歌って歌って」




 送信した。曲は「好きだというあなたにありがとう」だ。新生の歌手グループ「右向いて左見て右を向く」という交通安全を目指していそうなグループの歌だ。オリコンで三位になっている曲である。なんか生真面目っぽいグループ名と、曲名が好きになって少しの間聴いていた覚えがある。






 「好きだというあなたにありがとう」 詞You1 曲リーチ


 いつも見ていたショーウィンドウ


 輝ききらめく宝石たち


 どうしても届かなくて


 潮風浴びに飛んでった


 空から飴玉落っこちる




 甘い香りの大海原


 ザブンガブンと太っちょだ


 砂浜歩くとイテテテテ


 何でもない石つまずいた


 その石だんだん輝いた




 いつもありがとあなたはいつも


 私の意志を尊重し


 私の意思を大切にし


 何でない石輝かす


 好きだというあなたにありがとう




 ある日あの時あの場所で


 私はあなたを見つけたよ


 ショーウィンドウのあちら側


 じゃなくてなんとこちら側


 そんなあなたが大好きです




 きらきら輝く宝石たち


 今はただの石ころで


 ただの石ころ輝いた


 意志ころ意思ころ石ころり


 磨けば何でも石きらり




 いつもありがとあなたはいつも


 私の意志を尊重し


 私の意思を大切にし


 何でない石輝かす


 好きだというあなたにありがとう




「すごい。いいね、この曲。俺も好きだ」




 歌い終わると彼が喝采を博した。




「玲奈さんの歌声も澄んでいて心地良かった」




 彼はべた褒めである。さすがに恥ずかしくなってきた。そもそも彼の方が一〇〇倍上手い。




「幸治君の方が上手いよ」


「いやー、どうかな。なんか負けた気がする。よし、じゃあこれだ」




 そう言って彼が入れたのは、合コンで歌っていた曲だ。きっと一八番おはこなのだろう。




 「刹那の愛」 詞You1 曲リーチ


 深い深い青空から


 鋭い矛が降ってこようとも


 俺らの間は引き裂けない


 聴かせておくれ愛してる




 ムスッとしたお前の向こう見たくて


 あれこれとする俺とランデブー


 歌うお前に惚れたんだ惚れたんだ


 赤面のお前がお前らしいと思ったよ




 能面小面号面ご免と謝り


 冥土の土産に面と向かって幸せに




 深い深い青空から


 鋭い矛が降ってこようとも


 俺らの間は引き裂けない


 聴かせておくれ愛してる




 強くて凜凜しいお前に惚れて


 これが俺だと形無しで


 凝り固まったお前をマッサージ


 面汁流して文句を言ったよ




 能面小面号面ご免と謝り


 冥土の土産に面と向かって幸せに




 深い深い青空から


 鋭い矛が降ってこようとも


 俺らの間は引き裂けない


 聴かせておくれ愛してる




 白い雲の間縫って


 広い世界を羽ばたいて


 いつしか休みたくなって


 雲の上でおねんねす




 蜘蛛駆も雲苦も


 糸は垂れないけれど


 貴女はそこに居て欲しい


 明後日を見ておはようサン




 深い深い曇り空から


 大きな涙が降ってこようとも


 俺が好きなのお前の笑顔


 叫ばせてくれ愛してる




 深い深い青空から


 鋭い矛が降ってこようとも


 俺らの間は引き裂けない


 聴かせておくれ愛してる




 こういう曲だったのか。と改めて感動する。というかよく見たら作詞作曲の人が同じだ。こういう奇遇もあるんだなって思う。




「やっぱ上手いね」




 拍手をする。




「ふぅ、やっと緊張取れたか」




 返礼が来ると思ったら不思議なことを言われる。ちょっと意味がわからなかった。




「表情、柔らかくなった」




 指摘されてすぐに顔に手を当ててみる。




「そんなに固かった」


「うん。もうカチンコチン。能面みたいだったよ」


「そっか。そうだったかも」




 そう言って、笑って見せた。




「そういう顔、たくさんした方が良いと思う」


「あんまりしないかな」


「じゃあ俺が笑わせるよ。たくさん」


「まあ、君なら、出来るかも」


「じゃあよろしく」




 また握手だ。好きなのかな、握手。っていうか、




「これってもしかして」




 大きく頷いている。付き合おうってことか・・・・・・。少し考える。ま、この人なら良いか。そう思って私は握手した。




「よろしく」


「よろ、しく」




 私たちはこうして付き合うことになった。




「ねぇねぇこっちこっち。ウサギがいるよ」




 いつも彼が先導し、私が付いていく。




「あーほらあの魚綺麗だね」




 時々彼が頑張り過ぎているように見えて心配になる。




「すっごい。たっかい。なんか怖いんだけど」


「そんなに無理しなくて良いよ」




 ある時私は彼に言ってみた。彼はその言葉を聞くと、ふぅと一息吐いて腰に手を当てた。




「じゃあ、もっと早い段階から笑ってよ」




 言われてハッとする。そういえばいつも私が笑うと少し落ち着いた彼が出てくる。そうか、私がいけないのか・・・・・・。私は悟った。




 そんな折だった。あの手紙が来たのは。


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