一ノ瀬からら

第1話で最終話

 「この本、面白いよ」


 手渡された一冊の本で、私は魅了された。


 それまで私の知る本は固くて、堅くて、難いものでしかなくて。

 物語をなぞる文章が、生き生きとしていて、現代的で。

 作文とも、教科書や新聞とも違う、主体的な言葉の羅列。

 小説でありながら、まるで漫画でも読んでいるように聞き馴染みのいい文章だった。


 でも何より、本について友達と話すことができるのが嬉しかった。

 彼はクラスメイトたちに自身の持つ本を薦めては楽し気に会話をしていた。羨ましかった。

 私もその輪に入りたくて、一世一代の覚悟で、声を掛けた。


 貸してくれた本は何故か、皆に渡して会話していた本とは違った。

 小学生の頃に転校してきた彼とは、かつては絵が上手な友達同士、それに図書室にあるファンタジー小説を読んではお互いに話し合っていた関係だった。

 しかし今更、会話するような仲だとは思っていなかったのかもしれない。


 けれど私は、その本を読んだ。

 世界を滅ぼしかねない特級の存在たちが、疑似の家族から本当の家族になっていく話だった。

 不思議で、意味不明で、けれど爽快感があった。気が付けば一心不乱に読んでいた。

 大興奮した私は、しかし何食わぬ顔で本を返した。きっと会話を期待していなかったのだと思う。

 でも、彼は私に「面白かった?」と聞いた。


 途端、言葉が溢れ出した。


 こう思った、こういう場面が好きだった、けれど序盤のこういう場面が来るまでは読みづらかった。でもやっぱり面白かった。

 いや俺はこう感じた、この場面もいい、それは分かる。面白いよな。


 何故か、会話は止まらなかった。


 その話を聞いて、他に本を借りていたクラスメイトが、自分も読みたいと言い出した。楽しそうだと他の人も続いた。


 気が付けば私は彼が次に流行らせたその小説の、彼以外の初めての読者になっていた。

 他の人とは違う本を選んでくれて、私は会話の中心に立ち、一緒に感想や考察を述べ、笑い合うことができた。

 嬉しくなった反面、やはり以前の中心だった本も読みたくなって、彼にお願いした。彼は快く貸してくれた。読み終われば次の本も見繕ってくれた。


 そして、私は文章を書き始めた。

 理由は明快。皆の話の中心になる小説を書いてみたかった。そして迫りくる期末試験の息抜きにはちょうどよかった。

 クラスメイトたちを主役脇役など役割を持たせて登場させて、皆意味不明で愉快な設定を持たせて、一緒に旅に出るという話。


 いつの間にか徹夜で書いていた。出来たのは文庫本でたった数ページ分程度の文章だった。

 誰に見せるつもりもなかったけれど、見てほしいとは願っていた。


 そんな引っ込み思案であまのじゃくな主張をする私の初めての小説を見つけてくれたのは、やはり彼だった。


「小説書いてんの?」「うん、そうだよ」「ちょっと読ませて」


 まるで入試の合格発表、一人で壇上に立った時……いや、そのどの瞬間よりも緊張した数分間だったと思う。


 第一声は「面白い」だった。

 シャーペンで書きなぐったお粗末な文章を、彼はにこやかに面白いと言った。


 顔が、胸が、本当に燃えてしまうほど熱かった。


 クラスの中心人物となっていた彼の一声に、色んな人が私の文章を読んだ。

 私から見ている歪んだ世界観が伝わっていることがたまらなく恥ずかしかった。

 でも皆、お世辞も理屈も抜きに「面白い」と言ってくれた。

「よかったよ」とか「いいんじゃない」とかではなく、面白かったんだ。


 続きを書いてほしいとねだられた。私は嬉しかった。嬉しすぎた。

 人生で最高の瞬間を聞かれたら、他のどんな成功よりも、この瞬間だったと胸を張って言えるくらいには。

 どこに発表するわけでもない、クラスメイトたちのための小説を私は卒業まで書き続けた。


 多分きっと、今でも書き続けているのだと思う。


 あの時、本人がどう思って他人とは違う本を貸してくれたのかは知らないままだ。

 けれどその数奇な掛け違いが、私に“書く”力をくれた。


 友との繋がり――。それが私にとっての本であって、文章なんだ。


 時折私は、彼に会いたくなる。

 今何をしているかも知らない彼と、また夢中になって話したくなる。

 話題はなんでもいい。小説でも、漫画でも、大人びた話でもいい。

 分からなかったら聞けば、ちょっとだけ馬鹿にしたような、けれど嫌味のない笑い方をしながら教えてくれるから。

 無知な私に、喜びを教えてくれた人。


 いつか聞いてほしいな。


「貴方のおかげで私は、文章を書いて生きている」ってお話を。

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一ノ瀬からら @Ichinose_Karara

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