短編集 零話

零光

第1話 竜の卵 

 それはある日僕の前に現れた。

 それは男で、黒の三揃いを着た不吉な奴だった。

竜の卵ドラゴン・エッグを知っているか」

 男は、石膏のような手をひらひらさせて言った。

「知りません」

 僕が首を横に振ると、男はわずかに肩を落とした。痩せた胸から吐き出されるため息は黒い煙に似て、床上のごく低い所をどろどろと滞留する。僕は男が可哀想になって_それに少し冷たく言いすぎた気もして_この、奇妙な質問にもう少し付き合うことにした。

「それはどのような形ですか、大きさとか」

 男は僕を見て少し微笑んだ。

「大きくて、丸い」

「それだけ?」

「青く見える、かな。色なんて見る者に依るからあまり確かな特徴ではないけれど」

「中に、本当に竜が入っている?」

「それも定かではない。ただ、それは様々な所で竜の卵と呼ばれている」

 男の話は要領を得なかった。

 青くて丸いものなら石でも玩具でも、探し尽くせないほど存在する。大きいといっても何と比べてのことなのか、男は明言しなかった。

「他に何か、一つでもそれと分かることはないの」

 僕はもう一度男に尋ねた。

「そうだな……」

 男は顔を上げて空を見ると、次に懐から取り出した古い懐中時計の蓋を開けた。錆びてはいるが黄色い真鍮製の蓋に、月と星とドラゴンに似た生き物が絶妙にかき混ぜられた状態で刻まれている。針の音は大きく、男の手元から秒針の規則正しい足音が流れてきた。

「その卵は直に孵化する」

 カチン__と、男が懐中時計の蓋を閉じた。

 次の瞬間、ドンッという衝撃が地面をつきあげ、あちこちで巨大な地震が始まる。僕は咄嗟に足元へと蹲った。男はまだ立っていた。

「君、竜の卵を知っているか」

 ドウドウと全身を揺さぶる地鳴りや、建物の倒壊する雑音の中で、男の静かな声がはっきりと聞こえる。

「この惑星ほしのことだ」

 遠くでアポカリプティックサウンドが鳴っている。

 オォォォン__と尾を引くその音が、僕には竜の産声に聞こえた。


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