「魔王幽閉」

「いや……参ったな……」


 一旦整理する時間が欲しかったので、ものすごい早口で「ヘリオスと一緒にやりたいことリスト(400字詰め羊皮紙1500枚相当)」の詠唱を始めた彼女に一言断りを入れて御手洗ウォータークローゼット逃避行エスケープを決め込んだわけだが。

 が、である。


「何でこんな事に……」


 理由はわからない。わからないが、勇者は何故か私に恐ろしいほどの執着を抱いている。これは間違いない。そして現在私の置かれているこの状況、これは彼女の異常な執着心の結果とみて間違いないだろう。

 自分よりも圧倒的に強い相手、それも敵対勢力の最大戦力にこんなゆがんだ感情を向けられているという事実は正直生きた心地がしないが、現状それよりも留意するべき点がある。


「異空か……こんなものが本当にあるとはな」


 異空。魔術の類に関する文献の豊富な魔族領にあって尚伝説上の存在であるとされた空間。創界神にのみ許された権能、創界。圧倒的な魔力をもって疑似的にその権能を再現することで生み出すことの出来る極小の世界。

 御伽噺にしか出てこないようなこれがまさか実在し、それも人族である勇者が巧みに使いこなしているということは純粋に驚きだった。

 窓の外を少し見やっただけでも、青い空に白い雲、燦燦と輝く太陽が青々と茂る森や草原を照らしているのがうかがえた。完璧に形作られた世界、目の前に広がっている光景はそう例えるにふさわしい光景で、私にはそれが何より恐ろしかった。

 魔族に語り継がれる神代の伝説の登場人物たちでさえ、異空は小部屋程度の広さでしかなく、つくりも質素なものであったという。異空とはあくまで緊急時の退避先、もしくは武器庫として運用しているのが精々だったのだ。それがどうだ。あの勇者の生み出した異空には見渡す限り果てなど見えず、私たちの暮らす創界神の生み出した世界と比べても遜色がないというディテールのきめ細やかさ。

 それらの事実は、彼女の能力が創界神に迫るものであるという事の証左に他ならない。

 それだけでももう笑うしかないくらいどうしようもない状況だが、さらに厄介なことにこの異空と元の世界との間の移動については、術者本人か、それに匹敵するほどの空間魔法の使い手でなければ不可能なのだ。


 つまり、現状私はこの広大な彼女の世界に幽閉され、外に出る手段を持たないという事になる。その上彼女と一対一でだ。


「これは……参った、参ったぞ」


 便座に腰かけたまま、腕を組んでうなる。今私と勇者がここにいるという事は、宗主の館……人族の言うところの魔王城は今、私の腹心たる四天王と勇者パーティの面々が戦っているはずだ。だとするとまずい、四天王が勝とうが、勇者パーティが勝とうが、どちらにせよまずいことになるのは間違いない。互いに互いの最高指揮官を欠いた状態で実質的な最終決戦に挑む形になるのだ、戦いが終わった後どうなるかは目に見えている。何せ周りの者からしてみれば、私も勇者も諸共に死んだと思っているのだ。仇を討とうにもその感情をぶつけるべき相手はすでにいないのだから、そうなると自然にその憎しみは魔族、人族という大きなくくりでぶつけられることになるだろう。

 それはダメだ。それだけはダメだ。そんなことになってしまえばこれまでのすべてが無駄になってしまう。それだけは避けないといけない。


「だが、どうやって……」


 戦いでは勝てない。異空と元の世界をつなぐほどの空間魔法の腕もない。当の勇者は私と死ぬまでここにいるつもりだ。まともな会話が通じる状態とも思えないので、説得による解放を目論むのは現実的ではない。


「時間も長くは掛けられないが……あの場にはアルバもいたはずだ。あの子ならある程度の時間稼ぎは可能だろう……」


 東の四天王、アルバ。最も苛烈を極めた東方戦線を指揮し、勇者一行と一番多く刃を交えた精鋭中の精鋭。私が最も信頼を置く仲間の一人だ。

 あの状況から戦いを中断、ないしは遅延させることは至難の業だろうが、アルバであれば可能だろう。アルバは理屈は分からないが私が口にしていない内容であったとしても即座に察して行動に移すことができた。おそらく今回も私の意を察して動いてくれるだろう。


「そうなってくると後の問題は私がどう動くかだな……」


 正攻法での脱出は不可能。説得ができる相手とも思えない。なら一体どうすれば……。


「っと、いけないいけない。そもそも用を足しに来ていたんだった」


 ついつい考え込んでしまったが、ひとまずは出すものを出してから考えよう。あまり御手洗に時間をかけて怪しまれてもいけないからな。

 そういうわけで私はズボンをおろしt


「ひっ」


 目、目が。きっちり占めていたはずのドアの隙間から目がこちらを覗いている。今まさに下げようとしている私のズボンの股間部分を食い入るように凝視している。

 というかドアの隙間から二つ目が見えているということはこれ横向きに体を倒して覗いてきているのだろうか。怖っ。


「あ、あの、勇者さん……?」

「続けて?」

「えっいや」

「続けて?」

「いやでもその用を足してるところなんでそこ閉めてもらえると……」

「続けて?」

「いやだからそれだと色々と見え」

「続けて?」

「これもしかしてはいって言わないと先進まない奴?」

「続けて?」


 ……本当に私は、どうやってここから脱出すればいいのだろうか……。

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