旬~月虹

十一月十八日 旬

 ピーン、ポーン。

 古いインターホンは相変わらずのどかに鳴る。来客もネット通販の到着も予定していないときのインターホンには身構えてしまう。新聞や宗教の勧誘だったら面倒くさい。

「大沢旬さんにお届け物です。こちらにサインを……」

 宅配便のドライバーさんは迷わず僕にボールペンを渡した。隣にいるおじさんの幽霊は見えていないようだ。

 運ばれてきた大きな段ボール箱には、「ふじ」と書かれていた。けっこう重い。

「差出人の『大沢美智恵おおさわみちえ』さんってのは、旬君のお母さんか?」

「そうです。何か送るときは事前に連絡してくれっていつも言ってるんですけどね」

 荷物を受け取ったとき、僕はありがたいと思うどころか、開けるのが億劫だった。

 母から送られてくる荷物といえば、たいてい使い道に困るものばかりだった。たとえばお中元にもらったサラダ油の余り(料理はする暇がないと何度言っても忘れてしまう)、近所のスーパーで安売りされていた紳士物のポロシャツ(ファッションに興味のない僕でも、ちょっとださいと分かる)、夫婦で行った海外旅行のお土産のキーホルダー(どこに付けろと?)などなど。

 そして、今回も。

 カッターで段ボールを開けた瞬間、爽やかな果実の香りが広がる。鮮やかな赤い実が、緩衝材に守られてぎっしりと詰め込まれていた。

「出たー、大量のりんご」

「嬉しくないのか? 信州産のりんごなんて、ありがたいじゃないか」

「二、三個ならね。でもこんな箱いっぱい送られても食べきれないですよ。そう毎年言ってるんですけど、全然覚えてくれないんです。いままでは会社の人に配ってたけど、今年からは……」

 僕の周りには、食事をしない幽霊おじさんしかいない。

「フクマツ不動産の人たちにおすそわけするのは?」

「伯母さんは母の姉なんですよ。毎年これの三倍は送ってます」

 シモツキさんが肩をすくめた。

 とりあえず一個食べてみることにした。果物ナイフで皮を剥く。僕が剥いた皮は、くるくると赤いリボンのように細く連なっている。

「上手いじゃないか、旬君!」

「これでも長野県民ですからねー」

 僕は少しだけ得意になる。手先はまあまあ器用なほうなのだ。

 芯の部分を取り除いて、一口かじる。小気味のいい歯ごたえとともに、透明な果汁が弾けた。

「おいしいのはおいしいんですよね。多すぎるのが問題なだけで」

 一個食べたらお腹は満足だ。スーパーで売っている袋売りくらいの量ならともかく、段ボール箱いっぱいのりんごは、さすがに持て余す。

 と、シモツキさんが名案を思い付いた。

「りんごジャムにすればいいんじゃないのか?」

「ジャムなんて、家で作れるんですか?」

「知らんが、たぶん作れるだろ。ググってみたらどうだ?」

 早速僕はスマホの検索窓に「りんごジャム レシピ」と入力してみる。何通りものレシピがずらりと表示された。

「へー、砂糖とレモン汁があれば簡単に作れるらしいです。僕でもなんとかなりそうですね」

 実家では寒い物置の中に保存していたが、東京では冷蔵保存するのがよい気がした。祖母の遺した大容量の冷蔵庫のおかげで、なんとか入り切った。

 空になった段ボールの底に、白い封筒が入っている。「旬君へ」との表書きは、母の筆跡だ。



 旬君へ


 今年もりんごの旬がやって来ました。

 「旬」とは、一番良い時期という意味です。

 あなたが生まれたとき、いつでもあなたの人生が良いものであるようにと願って、この名前を付けました。

 いまは違うかもしれないけれど、きっとまた良い時期が来ます。

 私もお父さんも、その日が来るのをあなたと一緒に待つつもりです。

 焦らないで、ゆっくりでいいからね。


 母より



 何かを察したように、シモツキさんの気配が消えた。

「別に泣いてませんし」

 誰にともなく強がってみたものの、本当は三粒くらい泣いた。

 シモツキさんの本当の名前も、こんな風に願いを込められてつけられたものだったのだろうか。

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