十一月十五日 おやつ
昨夜は久しぶりに寝つきが悪かった。カレーを食べ過ぎたせいかもしれない。
薬に頼った僕は昏々と眠り、二度寝三度寝を繰り返し、目を覚ましたときには、もう昼の二時を過ぎていた。
洗面台の鏡の中で、僕はむくんだ顔をしている。寝癖が四方八方に向けてびよびよと跳ねていた。
「おはよう。よく寝たみたいだな」
顔を洗う僕の頭上にひょっこり顔を出したシモツキさんは、鏡には映っていない。
「寝過ぎました。コンビニでデザート的なものを買ってきて、今日の朝昼ご飯の代わりにしようかと」
あれほど僕を苦しめたねちねちカレーはどこへやら、胃は虚無感を訴えていた。そのくせ、食べたいものはこれといって思いつかない。昨日炭水化物を摂取しすぎたせいだ。
「デザートって、ケーキとか?」
「ケーキはあんまり好きじゃないです」
もっと口溶けのいいものがいい。プリンとかアイスクリームとか。
「バナナならまだキッチンに残ってるぞ」
「バナナは僕にとって朝食ですね。デザートと呼ぶには、がっつりし過ぎている気がします。おにぎりとか、サンドイッチと同じジャンルです」
「バナナはおやつに入らない派か」
「入らない派ですね」
シモツキさんは「入る派」でしたか?
口に出しかけて、やめた。
ヘアワックスで寝癖をごまかして、僕は「行ってきます」と家を出た。シモツキさんが姿を隠す。
いや、隠れているのは僕のほうだ。
コンビニまでは徒歩五分。道すがら、僕はシモツキさんに隠れてため息をつく。
ひとりで歩いていると、脳内の僕が絶え間なく独り言を繰り返す。頭の中でもやもやと重たいそれは、不安と区別がつかない。
シモツキさん、ひとつ気になったことがあるんですけど。
僕は名探偵ではない。だからすぐには気づかなかった。でもよくよく思い出せば、シモツキさんはおかしなことを言っている。
シモツキさんは、気がついたら電車で僕の隣にいたって言ってましたよね。降りる駅に着いたのに僕が居眠りしてたから起こしてくれたんだって。
でもそれって変じゃないですか? どうして僕が降りる駅を知ってたんですか?
おかしなことは、他にもあった。
電車の中で、シモツキさんは僕の名前を呼んだ。
初めから僕の名前を知ってたんだ。
幽霊ってそんなものなのかなって思ってたけど、彼は姿を消している間のことは何も知らないはずなのだ。それならなぜ、僕の名前を知っていたのか。
シモツキさんは何か僕に嘘をついているのか? 本当は生前の記憶があるとか? 姿を消している間も全部見ているとか?
次々に湧き起こる疑問を、どんな言い方で質問すべきか僕は決められずにいる。
コンビニではプリンを二種類買って帰った。固めなのと、やわらかいのとをひとつずつ。
僕の「ただいま」に応えるため、シモツキさんが玄関先に立つ。
「おかえりー。何かいいおやつは見つかったかい?」
シモツキさんの表情には何の屈託も見受けられない。嘘をついているとは、とても思えない。
「シモツキさん……」
「ん? どうした旬君?」
僕はシモツキさんと目を合わせられなかった。
「……いや、シモツキさんは、プリンはカチカチ派かやわやわ派か、どっちかなと思って」
どうでもいい質問で茶を濁した。
僕は恐れている。シモツキさんが成仏してしまうことを。僕の質問がきっかけで、シモツキさんが記憶を取り戻してしまうことを。
やわやわ派かなー、とシモツキさんがのんきに答えた。
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