十一月十四日 裏腹
もしかしたら、誰もが通る失敗なのかもしれない。
「いくら何でも作りすぎた……」
僕は食べても食べても減らないカレーにうんざりし始めていた。
一昨日の晩に作ったカレーだ。カレーライスにはたっぷりルーをかけたいし、二日三日と煮込んだカレーは美味しくなるだろうからと、鍋いっぱいに作ったのだ。僕の好きなじゃがいも増し増しで。もし余ったら冷凍すればいいやと気楽に考えていた。
ところが。
「おいしくない……しかも激重だし……」
昨日の昼は伯母さんたちと中華を食べたから、カレーは食べなかった。
晩に再びカレーに火を入れたら、じゃがいもが溶けてルーがねっちねちになってしまった。しかも作りたてのときはキレがあったさわやかな辛さはかき消され、まったりとぼやけた味に成り下がっている。かといって薄めようと水を足すと、またルーが増殖してしまう。
「無限ねちねちカレー地獄だ」
冷凍庫は満杯で、カレーの入る余地などなかった。こないだスーパーに行った際、特売だからとたくさん肉を買ったのをすっかり忘れていた。
いっそ捨ててしまえばいいのかもしれない。でも、僕の中に息づくモッタイナイ精神がそれを許さなかった。
昨晩から今日の朝昼にかけて、ご飯にかけ、パンにかけ、スパゲッティにかけ、カレーうどんを作り、どうにかあとお玉一杯半分を残すのみとなった。だが、もう限界だ。
「使う芋の品種を間違えたんだな」
食卓で苦しむ僕の正面で、シモツキさんは頬杖を突いてにやにやしている。
「何ですか、品種って。じゃがいもはじゃがいもじゃないんですか」
僕が買ったときの箱にもちゃんと「じゃがいも」と買いてあったのに。
「じゃがいもにも色々あるんだよ。こないだ君が箱買いしたじゃがいもは男爵芋といって、ほくほくしているからコロッケには向いているが一方で煮崩れしやすい。カレーを作り置きするなら、メークインのほうが適している」
男爵とメークイン、どこかで聞いたことがある気はするが、僕の人生にさして関わりのない情報だと思っていた。まさかこんなところで地獄を見るとは。
「うう、もう食べられない。お腹いっぱいどころか、背中もいっぱいです」
「これが本当の『裏腹』ってやつだ、なんつってな」
「冗談言ってないで、シモツキさんも一緒に食べてくれません?」
「私へのお供え物はないって、最初にそう言ったのは君だろ」
どっちにしても幽霊だから食べられないんだけどなー、とシモツキさんがげらげら笑う。ちょっと、いやけっこうむかついた。
「そんな豆知識……いや芋知識持ってるなら、早めに教えといてくれればいいのに」
「今日の今日まで忘れてたんだよ。君の特製ねちねちカレーを見て思い出したんだ」
「シモツキさんって物知りなんですね……」
昨日だって、うろこ雲が羊雲になったら雨の前兆だと僕に教えてくれたし。
僕は、はたと思い当たった。
「もしかしてシモツキさん、ちょっとずつ記憶が戻ってきてるんじゃ……?」
「んー」
顎を撫でるいつもの仕草で、シモツキさんは記憶を呼び戻そうとしている。
「何となくだが、生きていた頃の私はけっこう料理をしていた気がする。たぶん、ひとり暮らしだった。ワンルームの狭いキッチンに立っていたような……気がする。いま思い出せるのはこんなところだが」
シモツキさんは顎から手を離して、「大進歩だな」と笑った。
「この調子だと成仏できる日もそう遠くないかもしれないぞ」
「そうですね。早く成仏できるといいですね」
僕の言葉は、本心とは裏腹だった。
シモツキさんが成仏しちゃったら、寂しいな。
僕はスプーンで残ったカレーをかき混ぜる。最後の一口は、なかなか入らなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます