見たことのある物語

四葉ゆい

第1話 ランディ

「……やっぱりこの話、知ってるような?」

 始めはあれ? と思う程度。例えていうならノドにいわしの小骨が引っかかったような、本当にその程度の感覚だった。

 康介は今読み進めているWeb小説の物語に触れる度この感覚に陥いった。

 物語なんて今この瞬間も、いくつもいくつも生まれている。その中のひとつやふたつにどこか懐かしい感じがするとか、知ってる気がするとか、そんな感じがあったって不思議じゃないだろう。これは普通の事なのだ、と思おうとしてきた。

 知ってるような気がする。というそのデジャヴュにも似た感覚はWeb小説『空の孤島と地底の鳥』の更新のたびに読み進めてしまうという康介にかけられた魔法のようだった。


 『空の孤島と地底の鳥』は突如として小説投稿サイトに登場した異世界ファンタジーであり、『さよなら世界』さんという謎の作者による初めての投稿作品のようだった。物語はといえば、幼馴染二人が離れ離れとなり、その後に再会する物語……といったら聞こえは良いが、それでめでたしとはなっておらず、今現在、物語は再会した二人はある誤解から非常に険悪な局面を迎えていた。

 この物語、魔法や魔族など登場するにはするが、今、主流になっている「ざまぁ」や「チート」といったストーリー展開ではないない。けれど、この話は「先の予想が付きにくい、気になる」と人気があった。最初は康介も同級生の勧めによって軽い気持ちで読み始めたが今は物語に夢中になりつつある。

 先の予想が付きにくい、というのが多くの読者の共通認識に反し、康介にとっては予想が付きにくいことは全くないといってよかった。まるでよく乗る電車の次の駅の名前を友人に訪ねられて答えるように話の続きを思うのだ。

 書き手が上手いのかどうなのかは素人の康介にはわからないが、例えば前半で幼い2人が村の祭りの前日にそれを待ちきれず、同じベッドで布団を被り、眠らずに夜を過ごした高揚感を描いた部分は幼なじみなどいない自分なのに何故か「あぁ、そうだった! あの時は楽しかったなぁ」と錯覚の回顧をしてしまったほどだ。

 

 康介はその日、友人数人と学校から駅までの道のりの途中にある公園で少し遊んで帰ることにした。いい歳をした高校生が、という苦情を受けそうだったので子供たちが家に帰ろうとする18時過ぎ、やけにはしゃいだ、制服姿の男子高生数名が夕暮れに遊具が浮かぶ公園に集まったのだった。

 本当にアホらしい理由だったのだが、だれが一番にジャングルジムに登れるのか、という論争が巻き起こったためだった。それを解決しようとするなら、公園にいって登って決着をつけるしかなかった。康介をはじめ他3人は5メートル離れたところからジャングルジムを臨んでいた。

 審判役に連れてきた友人が声をかける。

「よーい、スタート!」

 一斉にジャングルジムに向かって駆けだし、みんな一気に登ろうとがむしゃらになっている。康介は持ち前の運動神経の良さであっという間にもうすぐてっぺんというところまできていた。あと少し足を上げてあそこに引っ掛ければ……そう思って今ある場所から一段高い場所に足をかけ、その先へと手を伸ばした瞬間。

「あ、詰んだ……」

 ぐらりと身体が揺らいだ瞬間、康介は悟った。自分が仕損じてしまったということと、下へ下へと落ちてゆくのだということを。そして同時に、

「そうだ、俺は、あの時もこうやって足を滑らせて谷底へ落ちてしまったのだ」

 と、そう思ったのだった。その思いはすぐに、え? あの時って? という思いで打ち消されたが、すごい衝撃と共にあっという間に目の前が真っ暗になって全てが一時停止した。

 次に康介が目を開けたのは病院のベッドの上だった。ジャングルジムから足を滑らせそのまま落ちた康介は意識を失ったらしい。目をなかなか覚まさなかったこともあるが、打ち所が悪いといけないから、と誰かが救急車を呼んでくれたのだそうだ。

 目を開けてすぐに康介は自分が足を滑らせ、ジャングルジムのてっぺんから地面まで落ちてゆく間のことを反駁した。

 ほぼすべてを思い出した。を……。

 自分の事ですらにわかには信じられないし、ひょっとして落下時のショックで頭がどうかしたのではないか、いやむしろそうだったらその方がまだ納得がいく、と康介は考えていた。『空の孤島地底の鳥』ランディが自分だったなんて……。

けれども、康介の記憶は、物語には全く描かれていない部分まで鮮やかに思い出せるのだ。

 ジャングルジムから落ちた怪我のせい、とはいえない冷たい汗がタラリ……と康介の背中を伝っていった。

 前世の記憶というのだろうか? 以前読んだファンタジー、小説がトラックにひかれた青年の異世界転生みたいな話に逆パターン的によく似ているような……、って待て待て待て! これ本当の前世記憶???

 康介は急に心拍数が上がったことを感じると必死で深呼吸を始めた。

 落ち着かなければ、と思うほどにドキドキは増してくる。

 

 康介は自宅へ戻るとパソコンを開いた。そして改めてあの物語、『空の孤島と地底の鳥』を読み返した。

 ……やっぱり、間違いない。全部を思い出したわけじゃないけれど、2人でいるときの記憶は完全に一致している。この物語の主人公はアルフィだから、アルフィ目線で描かれているようだ。

 だとするなら、この話を投稿しているのは、きっと……。きゅっと口を引き結ぶと康介はそのまま話の作者の『さよなら世界』さんをPCで検索し始めた。名前で検索したら彼について何かがわかるのではないかと考えたからだ。『さよなら世界』さんはSNSをやっていた。プロフィールには特段個人が特定できることは書いていなかった。この人はアルフィなのだろうか? 

 俺はこの人と話をしないといけない気がする。アルフィとあんな別れ方をしたままなんて。あの時、最後にアルフィは何を話したかったのだろう。

 康介はグルグルと思いを巡らせながら『さよなら世界』さんのSNSの手紙マークをクリックする。ダイレクトメッセージを送るためだ。


「もしかしたら変にに思われるかもしれない、気持ち悪いってはっきり言われる可能性だってある。……でも、それでもDMしなくちゃいけない気がする。だって俺が本当にランディだったら、この人はきっとアルフィなんだ」

 

 康介は夢中で文字を打つと、躊躇することなく紙飛行機のマークをクリックする。メッセージはしっかり反映されているように思える。あとは『さよなら世界』さんがこのメッセージをどうするか。ドキドキしながら画面を見つめていると、送ったメッセージに目玉のマークが付く。既読のしるしだ。

 康介はどうにも落ち着かなくなった自分を一度リセットしようと『さよなら世界』さんの返事を待たずに画面を閉じたのだった。

 1週間後、康介は都心の病院の病室前にいた。もう10分もそこに立ったままでいる。中に入る勇気が出ないのだ。

 なんと声を掛けたらよいだろう。迷いに迷っているうちに扉の前に人の気配。そのまま扉はガラリっと開いた。

「やぁ、どうも。待ってたよ」

 目の前に立っていたのは白髪の優しそうな老人だった。

「さぁさぁ、入って入って」

 康介の言葉を待たずに康介の手を取り病室の中へと誘う。まさか、現実のアルフィが俺よりだいぶ年上の人だったなんて……。戸惑いながらも取られたその手の感覚は老人と孫、というよりはやっぱり懐かしい友人と触れ合ったあの気持ちがあふれ出る感覚であることに安心感を覚えながら歩き始めた。

「アルフィ……」

 康介が思わず口にすると老人はいたずらが見つかった子供のように笑いながら、

「その名前で、呼ばれるのは随分久しぶりだねぇ」と口にしたのだった。

『さよなら世界』さん―—今は雄一郎という名前の、アルフィがこの話を投稿しようと思ったのは自分の余命がそう長くないと分かったからだと、穏やかな口ぶりで康介にそう話した。

 まだ、死とは程遠いところにいる高校生の康介にはその衝撃はとても大きなものだった。浮かぶ言葉もないほどに。

 雄一郎はその様子を見て取ると転生を繰り返している僕たちはまた次の人生へと向かっているということなんだよ。生きることと死ぬことは順繰りにやって来る。と、先ほどと全く変わらぬ様子で話し続けた。

 「私は、あの人生で君と分かり合えないまま2人の関係が終わりを告げたことをずっと後悔していたんだ。まだまだやりたいこともあったしね」

 雄一郎は康介の目をみつめながらそのまま話し続けた。

「出会えれば幸運だ。出会えなかったとしてもどこかに自分たちの物語を残しておいたら自分がこの世界での寿命を終えていなくなったとしても、いつかランディが読めばきっと気づいてくれるだろう。自分の想いは物語に込めたから」

 こうして康介と雄一郎は穏やかに病室で時間を過ごしたのだった。

 

 せっかく会えたのに、雄一郎はもう自分の人生を終えようとしている。 

 そんな雄一郎いや、アルフィにしてやれることはあるだろうか?  

 康介はそれからしばらくの間、時間を見つけては雄一郎のもとへ通い続けた。前世の思い出話をすることもあれば、今の現在の自分のことについて話すこともあった。そしてたまには病院を抜け出してこっそり近く美味しいと評判のパン屋さんに買い物に出かけることもあった。

 看護師は

「お孫さんですか? 仲、およろしいんですね」と話しかけられることもあったが2人してニッコリと笑顔でごまかした。


 一か月ほどたったころ康介は試験で2週間ほど雄一郎をたずねることができなかった。その間も物語の更新はされていたのできっと雄一郎は自分と一緒にいたあの時代を思いながら、(病気なのに変な言い方だ)元気に物語を書き進めているのだろう、と康介はすっかり安心しきって更新される物語を懐かしく思いながら読んでいた。


 けれどもある日『空の孤島と地底の鳥』の更新はパッタリ止まってしまった。


 康介にはついにその時が来てしまったのだと分かった。あぁ、とうとうこの日が来てしまった。康介はPCを開き、もしその時が来たら、と雄一郎から聞いたIDとパスワードを使って『さよなら世界』さんとして小説投稿サイトにログインする。

 悲しいとかつらいとか様々な思いがないまぜになっているが、康介には果たさなければいけない雄一郎との約束があった。

 康介はそのまま下書きのページに飛ぶ。


 保存されている残された文章、それが雄一郎からの最後のメッセージだった。

「既に私が書き上げた1章はそのまま投稿してほしい。未作成の2章分は君が書いてサイトに投稿してくれないだろうか。

 ランディ、今世では勇気を出してよかった。短い間だったけどこの人生で君と話せたことはアルフィとしても雄一郎としても幸せだったよ。ありがとう。また会おう」と締め括られていた。


 ランディの涙なのか、自分の涙なのかそんなことはどうでもよくなるくらい涙をながすと康介はアルフィの遺言通りに行動した。

 自分が描かなければいけない残り物語は、作者が変わったことを気づかれないように最新の注意を払い、何日もかけて書き進めた。


 一番最後は実際にランディが前世でアルフィを訪ねて行ったことをそのまま書いた。こんな感じだ。


 すっかり老人となったランディはアルフィの墓前にひとり立つ。

「お前の好物を持ってきたぞ」

 ワインとチーズ、野菜の煮込みを墓前で広げ、そこにひとり眠るランディに思い出話や自分の人生に起こったことをとひつひとつゆっくり語り始めるのだった。


 康介は「了」まで書き終えると、深い深いため息をひとつついた。


「本当に少しの間だったけど、ありがとう。また会えるのを楽しみにしているよ」

 

 そっとランディに語りかけると康介は雄一郎の好物だった水羊羹を買うために立ち上がった。   

                                  了

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