19.旅の道づれ

アマリアが雑木林へ引き返すと、エンリケはコルクがしの太い枝の上に立っていて、オリオンは木の下から彼に石を投げていた。彼の周囲の枝には弾丸の跡がいくつもあったので、オリオンは手持ちの銃弾をすべて撃ち込んだのだろう。彼女の剣はまだエンリケが持っている。


あのふたり、どういう関係なんだろう、と思いつつ彼らに近づいていくと、アマリアに気がついたエンリケが頭を抱えた。


「ちょっと、ちょっと、何、戻って来ちゃってんの、君?」


オリオンも目を見開いてアマリアを振り返る。


「アマリア、あなた、どうして……」


「私、女公爵になりたくない。ジュネーヴにも行きたくない。ポルトで今まで通り香薬屋を続けたい」


アマリアは呼吸を整えつつ、正直に、端的に答えた。手に持っていた偽物の杯をごとり、と足元の草むらへ投げ捨てる。エンリケは舌打ちした。肩の傷口からはまだ血が滴っていて、顔色が悪い。


「わがまま言ってる場合じゃないっての。君に選択肢はないの、分かる?」


コインブラ大学の博士は小馬鹿にしたように言ったが、アマリアは気にせず、手に持ったぺんぺん草を細かくちぎり、真鍮製しんちゅうせいの振り香炉に詰め込んだ。修道女の服の下から香薬の種の入った革袋を出し、木の上のエンリケに投げる。米粒サイズの種が4粒しか入っていないが、多少の効能は得られるはずだ。


「博士、その傷、まだ血が止まってないでしょ。手当てをしますから、それ、口に入れてください」


「はあ? いいよ、僕、医者とか薬とか苦手なんだよ。それより、君、僕の話、聞いてる?」


「聞いてますから、治療させてください」


香炉に火のついた木炭片を入れると、振り香炉から白い煙がもうもうと立ち上った。手持ちの薬草が少なくなってきているので生花を代用したのだが、水蒸気が多い。アマリアがエンリケの真下に立つと、彼はゲホゲホとむせこんだ。


「アマリア、こいつは盗賊よ。治療なんてしなくていいわ。どんな死に方をしようと、身から出たさび


オリオンは不愉快そうに言って、振り香炉から立ち上る煙を両手で仰いだ。


「そういうわけにはいきません。ほら、博士、早く止血しないと、そのうち倒れてオリオンにやっつけられちゃいますよ。わがまま言ってる場合じゃないです」


アマリアが睨み上げると、エンリケは渋々と種を口に含んだ。それを見てオリオンは鼻で笑った。


「こいつが人から勧められたものを口にするところ、初めて見たわ」


「僕はもう引退してるんだ。ちょっとはガードが緩くなってんだよ。そんなことより、アマリア、君ねえ、往生際が悪すぎだよ。みんなが君のためにどれだけの危険を冒し、どれだけの苦労をしたか、ちっとも理解してないし、恩知らずにもほどがある。後見人の顔が見てみたいよ」


香薬の煙を吸い込みつつ、エンリケは木の上からアマリアを糾弾した。アマリアは振り香炉をゆっくりと振りつつ、素直に謝った。


「自分勝手なことをして、すみません。私、サルースの杯を使って香薬の種を生成できる人を探したいんです」


突拍子のないことを言っている自覚はあった。自分ひとりでは実現できないことも分かっている。アマリアは隣に立つオリオンの顔を見上げた。美貌の女傭兵は怪訝そうに尋ねた。


「自分の身代わりを探し出して、その人を女教皇猊下に差し出そうってことなの?」


「違います。私は香薬の種の生成量を増やして、それを国外へ輸出できるようにすべきだと思うんです。もちろん、ジュネーヴにも」


病に苦しむ人は世界中にいるが、そのすべてを救えるわけではない、ポルトゥカーレ人の治療を優先するのは当然のことだとアマリアはレネに言った。だが、女教皇のように、香薬でしか救えない患者もいる。そういった人々に香薬が行き届く体制をつくりたいのだ。


「種の密輸は今もされているわ。ジュネーヴに到着する頃には、半分以下の大きさになってるし、それを扱うのはモグリの香薬師だけどね」


「それも改善すべきだと思います。生成したての種を届け、試験に合格した正規の香薬師を派遣できるようになれば……」


「もしもーし」


話し込むアマリアとオリオンに水を差したのはエンリケだった。ぺんぺん草の香薬には増血の効能もあるので少し顔色がよくなっていた。


「君、もう一回説明しなきゃだめなのか? 王女様を待たせてるんだぞ。夢物語を語るのは後にして、さっさと女公爵になる覚悟を決めなよ。王様や王女様の顔をつぶす気?」


「何と言われても、私は女公爵にはなりません。私はルイシュさんのところに行って、サルースの杯を手に入れます」


「そんなの、王女様にお願いすれば、すぐに連れてってもらえるさ。ほらほら、行った行った」


「王女様にはお会いしません。王女様にお会いした上で公爵位の授与をお断りしたら、それこそ王様と王女様のご面目が丸つぶれです。爵位をいただかないなら、私はこのまま行方不明になるべきなんですよ」


「君、正気?」


「はい」


アマリアが胸を張ると、エンリケは「理解不能!」と唸りながら自分の赤茶の髪をかきむしった。オリオンは心配そうにアマリアを見た。


「どうやってルイシュ・ダ・コスタに追いつくつもり? あなた、馬には乗れないでしょう?」


「そうだ、そうだ、ひとりじゃ何もできないくせに」


元盗賊に睨まれ、アマリアは内心で身を縮めたが、勇気を奮い立たせて木の上の男を見上げた。


「博士、ヒュギエイアの杯を手に取ったことはありますか?」


「偽物の杯を鋳造する時に見せてもらったけど、手を触れることは許されなかったよ」


「サルースの杯は?」


「偽物とすり替えたのは僕だってば。四短にすぐ取り上げられちゃったけど」


「ルイシュさんが王宮に着いたら、サルースの杯は厳重に保管されることになりますよね。あの王墓の発掘に尽力したあなたが、この作戦に誰より奔走したあなたが、学術的調査をできぬまま、ですよ。それでいいんですか? もしも普通に発掘されていたら、普通に調査できていたかもしれないのに」


「それは……」


アマリアの揺さぶりを受け、エンリケは簡単に心をグラつかせ始めた。よほど不満に思っていたのだろう。


「ルイシュさんにサルースの杯を貸してもらえたら、博士にも見せて差し上げます」


エンリケはコルクがしの幹に手をつき、内心で葛藤するように額を押さえた。


「国宝の又貸しかよ。まあ、でも、そうでもしない限り、あの杯を拝むチャンスはないか? いや、でも学長に……」


「お望みでしたら、私が種を生成するところもお見せします。誰かに何か言われたら、私に脅されたと言ってください」


「マジかよ……僕、何でこんな面倒ごとに巻き込まれてんだ? ていうかさ、四短が君に杯を貸さないって言ったら、どうするつもりなの?」


「その時は、これとすり替えてください」


アマリアは足元に投げ捨てた偽物の杯を拾い上げた。ルイシュがサルースの杯を貸してくれない可能性は十二分にある。その時のためにエンリケの協力は絶対に必要だった。


アマリアの答えを聞いて、狼狽うろたえていたはずのエンリケが愉快そうに声を立てて笑った。


「あはは、四短は君のこと目に入れても痛くないくらいだってのに、あいつ、その君に欺かれるのか、そりゃ、おもしろそうだな」


もうひと押しでエンリケの協力を得られる。光明が見えた時、横からオリオンがアマリアの肩をつかんだ。


「アマリア、本気なの? こいつは元盗賊だって言ったでしょう、信用しちゃだめ。それに、女に手を出すのが異常に早いのよ。ふたりきりで旅するなんて危険過ぎるわ」


「じゃあ、あなたも一緒に来て。伯爵夫人はあなたと私に“身を隠せ”と言ったんでしょ。だったら問題ないんじゃない?」


アマリアは名案とばかりに提案した。身元不明の元盗賊、しかもルイシュの天敵と行動を共にするなんて不安が無限大だ。オリオンがいてくれたら心強い。


「それは、そうかもしれないけど……」


美貌の女傭兵は青灰色の瞳に戸惑いを浮かべ、木の上のエンリケをちらりと見上げた。エンリケは気まずそうに頭をかき、枝から飛び降りた。


「話が着いたんだったら、急ごうよ。あの短気な大臣のことだから、僕たちの想像を絶するスピードでポルトに向かってるかもしれないし」


エンリケはオリオンの剣を地面に突き刺すと、離れたところで草をんでいる自分の馬へ向かった。オリオンは煮え切らない表情で自分の剣を回収し、それを鞘に収めた。


「アマリア、生成したての種をジュネーヴに届け、正規の香薬師を派遣できるようになれば、ってあなたは言ったけど、それは難しいと思うわ。何年か前に教皇庁からポルトゥカーレへ打診して、すでに一度断られているの」


女傭兵は容赦なくアマリアの甘い構想を一刀両断にした。そういえば、そんな話をエウゼビオから聞いたことがあった。


「どうして教皇庁からの申し入れを断ったんでしょう。教皇庁や女教皇様に恩を売ることは、決して悪いことではないはずなのに」


「種の密輸で大きな利益を得ている者がいるわよね。そいつと何か関係があるんじゃないかしら」


そう言ったオリオンの口調はどこか不自然だった。まるで答えを知っていて、そこへ導くヒントを示しているかのような。


「もしかして、密輸犯を知ってるの?」


アマリアの問いにオリオンは「さあね」ととぼけた。


「教えて。その人を捕らえてしまえば、種の輸出や香薬師の国外派遣が可能になるかもしれないんです。女教皇様だって、もっといい治療を受けられます」


アマリアがオリオンに詰め寄った時、遠くからエンリケが手を振った。


「おーい、まだなの?」


オリオンは気の乗らない顔でため息をつき、それから自分の馬に向かった。


「種を密輸しているのは香薬師協会の会長よ。種は王妃ルシア様やフランシスカ様のツテを経由してジュネーヴまで運ばれるの」


アマリアの頭に好々爺然とした風貌の白髪の老人の顔が浮かんだ。つい3日前に協会本部の会議室で会ったばかりだ。


「アルメイダ会長が、種の密輸を?」


「そう。アルメイダ本人から聞いた話だけど、彼は王妃ルシア様と親しいらしいの。何でも、ルシア様が嫁いできたばかりの頃、アルメイダが王宮香薬師としてルシア様を癒し、厚い信頼を得たんですって。種の輸出に断固反対したのも香薬師協会だと聞いたことがあるわ。自分の利益を守るためにジュネーヴへの種の輸出を認めなかったんじゃないかしら」


アマリアは固く拳を握った。ルイシュに再会したら、このことを彼に伝えよう。そして、アルメイダが逮捕され、香薬師協会に新しい会長が就任したら、香薬の種をジュネーヴへ輸出するよう嘆願するのだ。そうすればジュネーヴへ行かなくて済むかもしれない。


「アマリア、素直に王女殿下の馬車へ向かうのが得策よ。あなたを救うためにお膳立てしてくれた国王陛下や王女殿下の顔をつぶし、後見人の顔に泥を塗るなんて、やめた方がいい。それに、香薬の種の輸出のことも上手くいくとは限らない。それでも、やるのね?」


オリオンは自分の馬にまたがりながら言った。彼女が最後に心配したのは、自分の立場などではなくアマリアのことだった。厳しいことも言うが、結局のところオリオンは優しい人だ。アマリアは改めて思った。


「やります。行きましょう」


アマリアが答えると、その身体はオリオンの腕によって馬上へ引き上げられた。彼女の前に座らされ、アマリアはしっかりと馬のたてがみをつかんだ。偽物の杯は麻袋に入れて馬の背にくくりつけた。


「あ、そうだ、これ、先に言っとくよ」


エンリケが馬の脇腹を蹴りつつ、思い出したように言った。


「もし何か不都合があれば僕は途中でも抜ける。それは覚えといてね」


元盗賊は肩越しに鋭い視線をアマリアへ向け、不敵に笑いながら雑木林の中を駆けていく。オリオンは手綱を操って馬を走らせ、サソリのような形に編み込まれた赤茶の髪を追いかけた。

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