97話 親子
「…………おい!……起きろレオ!準備しろ!もう行くぞ!」
「──おはよう歳三……」
昨日の夜はあのまま眠った。だが、私もいつまでも夢見心地ではいられない。
これから三千の兵を率いる将として振る舞わなければならないのだから。
「昨日の深夜に俺、孔明、ウルツ、アルガーの四人で作戦を話し合った」
「そうか。すまないな立ち会わなくて」
「大丈夫だ。詳細はエルフの森到着までにいくらでも話せる。……で、今日から早速戦地へ向かう訳なんだが、その前に兵たちと民らに向けての激励のお言葉が必要なんだとよ」
「……父上は既に?」
「ああ。下で待っている。だからお前も早く準備しろ」
私は重い体を何とかゆっくりと起こす。目にかかる髪をかきあげ真っ直ぐ歳三の目を見た。
「──すぐに行く」
「おはようございます」
私が着替え終わって一階の広間に出る頃には、父と母はもちろん、孔明からアルガー、タリオまで勢揃いだった。
「おはようレオ。……覚悟は出来たか?もう扉の向こうには迎えの兵が待機している。屋敷から一歩出ればもう引き返せない」
父は真剣な眼差しを私に向ける。
「もし、あなたが望むなら、影武者の準備はあるのよ。レオはこのまま家でゆっくりしていることもできる」
母は私の肩にそっと触れながらそう言った。
「レオが指揮を執らずとも、きっと上手くやってみせましょう」
孔明は羽扇の下に微笑を隠しながら目を開けずに立っていた。
「俺たちが居るんだ。負けはしないぜ?」
歳三は不敵な笑みを浮かべる。
皆の優しさに目頭が熱くなった。
だが、今の私はここで涙を流すほど、ここで逃げ出すほど弱くはなかった。進むべき道を間違えるほど幼くない。
いや、この選択が正しいなどと言える道理もないが。
少なくとも、私は自らの為に戦わなければならなかった。
「早く行きましょう。一刻も早く戦争を終わらせる為に」
私は、僅かに目を伏したマリエッタから上着を受け取り歩き出す。
「その言葉を待っていました。行きましょうレオ。……いえ、王よ」
「英雄王様と二度も同じ戦場に立てるなんて、俺は随分ツイてるみてェだな?」
口々にそう呟いて、歳三と孔明は私の横について歩く。
「行ってきます。母上、マリエッタ」
「……行ってらっしゃい。レオ────」
「行ってらっしゃいませ……」
私は後ろ手に手を掲げ、二人に別れを告げた。
母は言葉に詰まりその場に泣き崩れた。マリエッタが声をかける。
それでも私は、絶対に振り返らないと決めていた。
私自身、あまり考えないようにしていたが、当然私も死ぬ可能性は大いにある。
帝国が威信をかけて侵略したのにせめあぐねているのだ。大陸最強の帝国陸軍の足が止められているということは、相当の反撃を食らっているはずだ。
将兵の被害は計り知れない。
「……いいのか、レオ?」
「…………別れが辛くなるだけだ」
扉の前でその光景を眺めていた父が玄関の扉を開ける。
そこにはズラリと並んだウィルフリードとファリアの軍列。そしてアルガーとタリオの姿。
「お待ちしていましたウルツ様」
「レオ様、おはようございます」
私はゆっくりと一歩を踏み出し外に出る。
斜め上から照りつける太陽が一層眩しく感じた。
兵の煌めく兵装は死の恐怖と美の象徴である。
「馬はこちらに」
「ありがとう」
私は乗り慣れた黒馬に飛び乗る。彼もこれから始まる戦いに高まる周囲の熱気を感じたのか、軽く嘶いなないた。
それぞれが馬や馬車に乗り、互いに顔を見合わせ最後の確認をする。
「行こうかレオ」
「……はい、父上」
私は父と肩を並べ、馬を歩かせ始めた。
後ろから聞こえる戦列の足並みに、私は微かに昂たかぶっていた。
陣頭に立ち戦地で指揮をするのは、この戦いが初めてになるから緊張しているだけだろうか。それとも単に、私の中の闘争本能が滾たぎっているからか。
私たちは無言で広場へ向かった。
目の前にはウィルフリード・ファリア軍の本隊が整然と集結していた。厳粛な空気がヒリヒリと肌を刺す。
私たちの到着を確認した隊長らしき人物が指示を出すと兵士が一斉に動き、隊列の中心に道が作られた。
私は父に合わせてその道の真ん中を通る。
私と父以下の将兵はそのまま軍列に合流し、全戦力がここに完成した。
私と父は馬を降り、広場に設置された例の台に登った。
そこから見える景色は圧巻の一言だった。
かなりな広さがあるウィルフリードの中央広場にはち切れんばかりに詰め込まれた軍隊。遠巻きにその様子を見物するウィルフリードの領民ら。
ざっと六万もの瞳が私を見つめている。
「レオ、先に」
「はい」
トリは主力となるウィルフリードの大将である父が務めるべきだ。
私は大きく息を吸い込み、静かに吐き出す。そして軽く目を閉じ、落ち着かせてから私は口を開く。
「……まずは皆に感謝を伝えたい。こんな私に命を預けてくれることを。……私はその信頼に応える義務がある。諸君らが身にまとい、手に握る武器は領民からの税金で作られた。私はその対価に応える義務がある」
私の言葉に、兵たちはカチリと鎧を鳴らした。握りしめた手に力がこもったのだろう。
「我々は帝国に命を懸ける義務がある!皇帝陛下に忠誠を尽くす義務がある!……私は今、『義務』などと強い言葉を使った。しかし、諸君らはそのような思いではないだろう。守りたいもの、守りたい人。そんなものの為に、兵士として命を捨てる覚悟でこの場に立っているはずだ!」
私の脳裏には、日常の光景が浮かんでいた。
「それが私たちの戦う意味だ!それを忘れない限り、私たちに敗北は有り得ない!──諸君らの奮闘を期待する!」
私は可能な限りの大声でそう激励し、父へバトンタッチした。
会場のボルテージは最高潮だろう。今にも叫び出しそうな兵士の姿すら見受けられる。
「……えぇー、言いたいことはレオが全部話してしまったからな!私からは一言だ」
父は不敵な笑みでこう言い放った。
「お前たち!帝国の英雄と同じ戦場に立つ準備は良いか!?」
「ウォォォォ!!!」
「我らが英雄ウルツ様!」
「レオ様バンザイ!」
「帝国に勝利を!!!!!」
雄叫びで大地が震えた。総勢二万五千という武力が、今、その圧倒的なまでの力がこの広場に満ちていた。
「────全軍出撃!!!」
父の合図で騎馬部隊が一斉に駆け出した。彼ら斥候隊の大隊長を務めるのはアルガーだ。
「俺たちは真ん中を行く。騎馬隊が全て出ていったらそのままついて行くぞ」
「了解しました父上」
私たちは台を降り、馬に乗った。
自然と手網を握る手に力が入り、皮の手袋と手網がギシギシと音を立てた。
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