Overall Hero

けーあーる

プロローグ 桃太郎とOverall Heroゲーム

俺の名前は、桃山 進太郎。普通とは言い難い引きこもり生活を満喫する18歳。

俺は、自分の名前が嫌いである。唐突にこの発表をするのは、もちろん理由がある。

桃太郎という童話は、知っているだろうか?

日本に住んでいるものなら一度は耳にしたことがあるであろう童話。

俺が住んでいる岡山県には、古くからそのような童話があるのだ。俺はその童話が世界一嫌いな人間である。

それもそのはず、俺はその童話があったからこそ、昔から学校でいじめられていたのであった。それが原因で学校へ行けなくなったというわけではないが、名前を嫌いになるには十分の理由であった。

それに加え、この岡山という県は腹立たしいことに、桃太郎を使って商いを行っているため、外に出れば桃太郎という文字を見かけない日はない。

俺がその桃太郎というワードを見かけると敏感に反応してしまうのも無理はなかった。




 眩い光がカーテンの隅から姿を見せる頃、俺は床に就く。

この時間から布団へと入るのは、些かばかりの罪悪感と背徳感を感じる。

外では、もう蝉の鳴き声が聞こえる。俺には早くこの眠気を払わなければならない使命感のようなものもあった。

その使命感の正体は、俺がプレイしている“overhero”というゲームのイベントが19時から開催されるということで、その開催からはしばらく睡眠をとることもままならないであろうと予測してのことだった。

辺りは、眠る環境には適さない工事音のようなドドドと腹に響き渡る音がしていたが、眠ることには人一倍自信があった俺はそのまま就寝した。


そして18時50分。

俺はいつものようにPCの前でゲームを開いてイベントが開催されるのを待っている。何時にもまして自分の中のワクワク感が抑えられない。

このoverheroというゲームのイベントは、他のゲームに比べて多彩だ。

今までの開催されたイベントも一風変わったものが多く、わざわざイベントのために、新しく別にアプリの開発などをすることも多々ある。

様々なことがゲーム内でできるこのゲームならではであるが、今回特にワクワクしている理由は、このイベントの詳細が一切公表されていない点も一つの理由であるだろう。

常であれば、3日前にはイベントの内容は公表されており、たちまちそのイベントの準備に駆られてたであろうが、今回そのようなことも一切ない。

それに、珍しくイベントの情報がユーザーによってリークされることもなかった。

事前に情報があったとすれば、このゲーム最大級のイベントという情報のみ。

社運をかけて行われるともいわれていたそのイベントに他の人物はどうあれど、進太郎は、誰よりも期待していた。


19時。

予定通り、イベントの告知記事が公開される。

俺は誰よりも早くその記事を開こうとマウスでその更新ページをクリックした。

進太郎には自信があった。何よりこのoverheroというMMORPGは、同時接続数1千万人を超えるほどの人気ゲーム。

その中でも進太郎は、戦力ランキングでトップ10に入るほどの実力者だ。今回のイベントも外すわけにはいかなった。

しかし、イベントページを開くと同時に進太郎は顔を曇らせた。

それもそのはず、大規模のイベントであるという告知であったのに、そのトップページに書かれていた内容は、いわゆるリアルイベントと呼ばれるものであったからだ。

進太郎は、詳細を読まずにそのイベント告知のページを閉じた。


「はぁ…期待してたのに…」


このゲームに裏切られたことは何度かある。

それは、もちろんイベントに限らない話しではあるが、ここまで前もって期待させておいて、この顛末というのは進太郎に深い心の傷を与えた。

それもそのはず、この進太郎という男は引きこもり、やるゲームといったらほぼこのoverheroのみ。このゲームをやっていなければ進太郎は、暇なのである。

家は裕福ではない。両親はすでに他界しており、身寄りは父方の祖母と祖父。

しかし、その祖母と祖父も孫である進太郎にはすこぶる甘いのである。進太郎がこの生活をしているのもその2人の力であった。


俺は、イベントの告知ページを閉じたあと、ゲーム内のメールを開いた。

進太郎はこんな時でしか、メールの項目に手を触れない。なにせこのゲームではかなり多忙であるからだ。

そんなメールの中の一通に、気になるタイトルのメールを見つける。今しがた届いたばかりのメールであった。


“【overhero運営】懸賞金配布のお知らせ”


進太郎は運営からのメールに疑うことなくそのメールを開いた。


“いつもoverheroをお楽しみ頂きありがとうございます。

つきましてはこの度、“MoMo”様に現金30億円を贈呈させていただきたくご連絡を差し上げた次第です”


「さ…30億!?」


俺は椅子から飛びあがった。

確かにこのゲームのトップ10には毎回名前が挙がる俺であったが、このゲームから金をもらえるなどということは一度たりともなかった。

進太郎にあまり金欲はなかったが、それでも30億という金額がもらえるのであれば、誰だってこんな反応にもなるだろう。進太郎は震えた手で文章の続きを目で追った。


“そのために、此度行われる大型イベントの参加をお願い申し上げます。

参加していただければ、まず参加費として10億。そして、イベントを最後までクリアして頂いた暁には20億と、“MoMo”様がお望みの物を1つ贈呈させて頂きたいと思います。

参加の方法につきましては、イベント詳細ページを見ていただいた後に、お持ちの端末で自信のプロフィールを入力して頂き、参加のボタンを押して頂ければ、参加となります。参加費はその後、数十分で口座にお振込みさせていただきます。

イベントの期間につきましては、本日から無期限となりますので、是非この機会を逃さぬようご検討のほどよろしくお願い致します。【overhero運営】”


俺は、何度もその新着メールに目を通した。

そして読み終えたあと、俺は飲み物を一気飲みして、冷静になる。

リアルイベントというのはこのoverheroで2度目。しかし1度目のリアルイベントは散々な結果だったと噂で聞いたことがある。もちろん俺は、1度目のリアルイベントに参加するはずもなかった。

1度目のリアルイベントの内容を聞けば、進太郎が躊躇うのも無理はない。

その内容とは、この俺が住んでいる岡山県で行われるものではなく、東京…。しかもユーザー名を発表し合い、overheroを題材にクイズが出題され、それに答えて景品をもらうというものであった。

俺がこの内容を聞いた時に思ったことは、1万円払って、東京まで来てね。

そう運営に言われている気がして、とても嫌気がさしたことを今でも覚えている。

前回の失敗が散々だったところを見るに、今回のこのメール。

トップ10入りを毎回のように成し遂げている俺に、参加を促している辺り運営の本気が伺える。

俺はイベントの詳細を確かめるべく、再びイベントのページへと飛んだ。


そのページには“リアル参加型イベント”とでかでかと書かれ、下のほうへとスクロールしていくと、えらく細かい文字で注意点が書かれていた。


“※生死を問いません。当運営では責任を負いかねます”

“※このイベントは、overheroが運営するものではありません”


他にもいくつか注意点が書かれていたが、目を見張るものはこの2つ。俺の中にクエスチョンマークが浮かんだ。


「なんだよ。生死がどうたらって…。ただのゲームだろうが…」


俺は1人で文句を言った。

イベントの詳細を見るに、とてもリアルでやるものとは到底思えないことが幾度となく綴られている。

戦闘、戦う、主人公、ヒロイン。そのページにいくつも登場する単語に俺はますます困惑した。

しかし、参加するだけで10億円。参加方法は簡単。そう考えるだけで、俺の手を止めることはできなかった。

金に目がくらんだといえば、そうであろうが、進太郎の家は先も述べた通り裕福ではないのだ。しかし、10億円あれば、祖母と祖父に迷惑をかけることなくこの先も生きていけるだろう。またとないチャンスである。

引きこもりではあったが、祖母と祖父に甘やかされている自覚はある。早くこの家を出て、俺という重荷を下ろさせてあげたいと思っているのは他でもない。

構わずプロフィールや振り込み先の情報を入力した進太郎は、参加のボタンをクリックした。その後、QRコードを読み取り、イベント専用アプリをダウンロードしろということだったので、自身のスマートフォンでその専用アプリをダウンロードする。

そして数十分の間、じっと身構えて、自身のスマートフォンを眺める。


すると、銀行の通知が進太郎の目に飛び込んだ。

急いで通帳のアプリを立ち上げると、そこには本当に10億円振り込まれている。

俺は勝利のガッツポーズを決めると、急いで自分の部屋から飛び出し、1階への階段を駆け下りた。


「じいちゃん。俺、この家から出て行くよ」


居間に丁度寝転んでテレビを見ている様子だった祖父に話しかけた。


「何言よーるんだおめぇは」


祖父は体勢を崩すことなくポリポリと自分の尻を掻いた。

ここから見れば、祖父の後ろ姿しか見えないが、俺はそのまま続ける。


「お金は、稼いだからある。これからは俺1人で生きていくよ。東京で1人暮らしをする」


祖父はその俺の言葉に体を起こした。

リモコンでテレビを消した祖父は、こちらに振り返った。


「おめぇな。金ある言うけど…」


俺は、その言葉に、自分のスマホのアプリを見せた。

俺のスマホを受け取った祖父は眼鏡を手に取り、その内容を確かめた。


「この金をおめぇが稼いだ言うのか?」


「そう。だから俺は…」


そう言いかけた時だった。ご飯を運んできたのであろう祖母が台所から姿を見せる。


「ええじゃねえ。どこにでも行きられー」


祖母は、別にどこにでも行ったらいいと言っているようだ。

訛りが強く、俺も何を言っているのか時々わからないことがある。


「そうは言うけど、進太郎はまだ子供じゃ」


祖父は俺のことを引き留めたい様子であったが、俺の顔をしばらく見つめると溜息を吐いた。


「まあええか…好きにしたらええ」


祖父は俺のスマホを返すと、再び寝転がってテレビのほうを向いた。

2人は俺がどこかに行ってしまうことに納得がいっていない様子であったが、俺がやりたいと言っていることに口を出すつもりはないらしい。

俺は、2人のことを置いて、2階の自分の部屋へ戻り、出発の準備を整えることにした。


翌朝。

俺は2人が起きないようにリュックを背負い、玄関先で靴を履いた。


「これ持って行きられー」


後ろから、祖母の声がした。俺は振り返る。

そこには、眠そうな顔で立っていた祖母。しかし、服装はいつも通り、割烹着をしっかりと着ていた。手には、巾着袋を握っている。俺にその巾着袋を渡したいようだ。


「ありがとう」


俺は一言祖母に告げると、巾着袋をリュックの端につけた。

祖母はそれ以上何も言わなかった。祖父もきっと何も言わないのであろう。

2人の優しさに少し罪悪感を感じる。あとで2人には俺が迷惑をかけた分いくらかお金を振り込んでおこうと心に誓い、駅への道を歩んでいった。




俺は自身のスマホでイベントの詳細を確かめつつ、新幹線に乗った。

目指すは東京。わざわざ真面目にイベントをこなすつもりはなかったが、20億と何かしらの景品を逃すのは惜しい。それに10億円もの大金を遊ばせておくよりも、住む拠点を東京に構え、そこでネトゲ生活というのも断然ありだと俺は悟ったのだ。


(東京なら桃太郎がどうとか言われることもないだろうしな)


それがなんだかんだで一番の理由なのかもしれない。

引きこもりの俺に、外の日差しや目線が気になるが、地元から離れたいのは、それ以上に強い意思があったのだ。


イベントの詳細は、大型イベントと銘打ってはいたが、内容のほとんどは、語られていない。

しかし、ゲームの内容のように、デイリーやウィークリーでこなすクエストのようなものがあったりと作り込まれてはいる様子である。

このイベント専用のアプリがあるというのも運営の本気さが伺えた。


そのアプリによれば、いくつかはもう達成されていた。

“【デイリー達成】毎日、外出する”

“【クエスト達成】県外に出る”

“【クエスト達成】装備を整える”

外出していることがこのアプリによってバレているのは心外だがまるで本当にゲームをプレイしているようであった。

俺は何気なしにそのクエスト達成の右に書かれた報酬を受け取るというボタンを押した。

画面には、【50万獲得】、【200万獲得】、【200万獲得】という文字が浮かび上がると共に別のアプリの通知が来る。

俺がその通知を確認すると、銀行のアプリのようだった。

まさかとは思いつつも、銀行のアプリを立ち上げると、今アプリで表示されたように、その金額がまるまる振り込まれていた。

俺はなんだか怖くなり、再度、その金額が振り込まれた原因であろう“Overall Hero”と書かれているアプリを開いた。


そのアプリは、“overhero”とは似ても似つかない画面で、ソーシャルゲームでありがちなホーム画面のようなものが映っている。

画面の真ん中には1人の男。2Dイラストで描かれているミニキャラがとことこと歩き周っている。俺は下のいくつかの項目にあった、“クエスト”の項目を開いた。

先ほどはなんとなく見ていただけであったが、この項目達に真実味が増す。


(このイベントはリアルでお金稼ぎができるイベントなのか?)


俺がそう思い始めた頃であった。

新幹線が、丁度、富士山の景色を見せた頃、車体が大きく揺れる。

急ブレーキをした様子の新幹線に俺は何が起こったのかと、窓の外を眺めるが、外の様子は相変わらず富士山が見えるだけで、何か外で異変が起きている様子は確認できない。しばらくすると新幹線が完全に止まった。そして、車内のアナウンスが流れる。


『えーっと、聞こえる?この中に“参加者”がいるはずだから、その人はただちに今から開くドアから外に出て』


明らかに、運転手ではない様子の女性の声が流れた。


『あ、そうそう“参加者”以外の人は、外に出ないで。危害を加えるつもりなんてないから』


その女性は、そう発言すると、車内のアナウンスは途切れた。

そのアナウンスに車内はざわついているようだ。俺もなんのことかわからず、その場で座って外の景色を眺めていた。

すぐに女の言った通り、新幹線のドアは開いたが、誰一人として、外に出ようとはしていない。俺もその1人だ。


数十分は、待っただろうか、新幹線の車内はイラつきのような声もちらほら上がっている。それもそうだ。ずっと止まったままの電車は、進む気配を一向に見せない。

運転手は襲われたのだろうか?

そんな物騒なことも思い始めるが、ここから様子を伺うこともできない。

しかし、俺のマナーモードであったスマホがここで通知を受信していた。なぜかこんな状況でも冷静さを保っていた俺は、その通知を確認する。

どうやら、先ほどのアプリ“Overall Hero”からの通知のようであった。

俺は何かまたクエストを達成したのかと思い、アプリを開くと、真ん中になんともわかりやすいように警告とでかでかと書かれていた。

警告の右下に“タップで詳細”と書かれていたので、俺は警告の文字をタップする。


“かぐや姫接近中、戦闘に勝利して、報酬をゲットしよう!”


何なんだこの項目は…。と考えを巡らせる。

ソーシャルゲームでよくあるレイドイベントというやつだろうか?

しかし、どこを触っても画面は切り替わることはない。俺は諦め、アプリを閉じた。

再び外に目線を映すと、景色とは別に1人誰かが歩いているのが見えた。その女と目が合った。その女は俺を見たあと偉く乱れた様子で早く降りてこいと俺に指示しているようだった。


(“参加者”ってイベント参加者って意味だったのか?新幹線を止められるほど運営ってすごかったのか…)


呼ばれていると感じた俺は荷物を持ち、新幹線の外へと出て行った。

外は、地元とは違う空気が流れているのを感じる。俺は軽く深呼吸をした。


「お…おいこらぁ!ボケ!早くこっちこいや!」


少し遠くで、先ほど俺のことを呼び出した女がえらく怒っている様子であった。

俺は仕方なく、その女の方へと近づいて行く。

その女は態勢を立て直すと、俺に指で着いて来いと指示をした。

こんなところでリアルイベントの催しが行われるんだろうか?

俺は脳内で考えつつも、その少し遠目の女の後を追った。




河川敷といえばいいのだろうか。

この辺りには川と砂利。あとは畑と草しかない。

女は俺の10歩ほど離れたところで止まるとこちらに振り返った。新幹線はもう、東京に向けて発車してしまったようだ。


「あのさぁ。わざわざ止めてまでアンタのこと呼んだんだから早く降りてくるのが礼儀ってもんじゃないの?」


俺に文句を言っているようだ。

しかし、“参加者”というものの説明もなしに、その言い草は不服である。

こいつは顔立ちを見るにかなり整った顔であるため、きっと人の迷惑など考えずに今まで暮らしてきたのであろう。このセリフを聞くにワガママであることは推測ができた。同世代のような若さであったため、敬語を繕うことなく俺は話しをした。


「で、イベントってここでやるの?運営の人いないみたいだけど」


かなり引きこもりの期間は長く、祖母や祖父と話してこなかったため、人と会話することに不安はあったが、なぜかこいつのことは一目見た時から気に入らなかったのですんなりと話すことができた。


「何言ってんの?」


俺の発言に本当にわからないといった様子の表情と仕草をするその女。

その言葉がここがイベントの会場ではないことを示している。

俺は女の反応を確かめると、荷物を背負い直し、スマートフォンを取り出した。


「ちょっと!?何してんのよ!!」


女は俺がしている行動に不服のようだ。

しかし、この女は今会ったばかりの他人である。今でもビービーと文句を言っているこの女に従うはずもない。


(地図によれば…うわ…ここから駅まで歩いたら2時間もかかるのかよ!?)


俺は、自分がここにいる原因を作った女のほうを睨んだ。

その目線に反応した女は、動揺しつつも精一杯の威厳を保つべく俺を睨み返した。


「なっ何よ!!」


「お前のせいで、駅まで2時間も歩くはめになるんだぞ」


「そんなことどうでもいいでしょ!アンタはここで死ぬんだから!」


様々な犯罪に引っ掛かっていそうな発言と行動に俺は溜息をその女に吐くと、女とは逆方向に歩き始めた。

女のほうに振り返ることはせず、女に聞こえるように俺は言った。


「今の言葉は聞かなかったことにしてやるからお前もこれ以上犯罪を重ねるなよ」


すると、女は俺の言葉に怒ったのか、ドスドスと足で地面を踏むと、こちらに駆け寄ってきた。


「逃がすわけないでしょうが!!」


俺の正面までわざわざ来たその女は、俺に見えるように拳を振りかざした。


「うわ、あぶな」


俺は見え見えなその女の上段パンチを、するっと躱す。

しかし、その拳は空を切ることなく、何かピンク色のオーラのような煙のようなものが拳の先から放たれた。


「なんで避けるの!!」


「なんでって当たったら痛いだろ…」


至極当然のことだろう。この女は理解力が足りないのだろうか?

いくらムカついていたからといって、殴りかかってくるこの女を見れば、頭が悪いことは一目瞭然であった。

俺は、頭が悪い女は嫌いではないが、頭が足りない女は嫌いである。

こいつは後者だと認定したので、こいつのことは嫌いであった。


「ぐぅ…それなら…」


女は、拳を胸の前で構えるとぐっと何かを振り絞るように唸っている。

俺はその女の行動に気にも止めず、先へと歩き出した。


(都会のほうには、変な人が多いんだなぁ…)


そんなことを思いつつ歩いていると、後ろでドンッという音が鳴り響いた。

さすがに気になった俺は、後ろを向くと、先ほど拳で放たれたようなピンクのオーラのようなものを体に纏わせていた。

なんとなく不思議なその光景に、俺は驚くことなくこう思ってしまった。


(なんか臭そう)


事実、その薄い膜のようなオーラは見る人が見れば、どこかの漫画のキャラみたいでかっこいいとも思うのかもしれないが、なんとなく現実味がない光景に俺はどこか自分のことを達観していたのだ。


「こ…これを直視できるなんて、アンタ相当レベルが高いのね。普通の男だったらこれを見たら射精するわ」


何を言い出したんだろうか。この女は。

この発言により、可愛い顔が台無しである。

服装と相まって、遊女のような女の発言に、俺は背筋に寒気を感じた。


「へ…へぇ…すごいですね。それでは俺はこれで…」


俺は、このままでは、体を弄ばれてお金を毟り取られるんじゃないかと恐怖を覚え、早々に立ち去ろうと早足で歩みを進めるが、30mほど歩いたところで何か透明な壁のようなものに体が当たったのを感じた。


「無駄無駄無駄無駄。この場から逃げようたってそうはいかないんだから」


どこかの吸血鬼が言いそうなセリフを吐いた女は、こちらのほうに歩みを進めている。俺は透明な壁のようなものがある場所に手を当てた。

あの女が言う通り、壁の感触を確かめると、壁はどの方向にも続いているようだ。少し柔らかいその壁は、崩れそうな感触であれど、押しても動きそうにはない。


「うーん。なるほど?」


俺は頭をフル回転させて考えた。

なぜ、こんな壁があるか?

それは恐らくあの女が設置したものだろう。

では、どうやってこの壁を作ったのか?

予め設置していた可能性はある。しかし、大がかりなギミックであることは確かだし、材質がわからない。触った感触を考えるとプラスチックでもガラスでもない。

どうして電車を止めてまで俺のことを襲おうとしたのか?

それはわからないけど、“Overall Hero”が関係している可能性は大いに考えられた。その理由にアプリで警告と書かれていた矢先にこの女が現れたことだ。

この女が“かぐや姫”なのだろうか?


俺は、女のほうに振り返った。

女はもう俺の2歩先ほどのところまで接近していた。


「逃げるのはやめた?じゃあ死ね」


物騒なことを言った女は、先ほどと同じく大振りで俺にパンチを繰り出してきた。

とてもわかりやすい軌道、それに先ほどよりもパンチにキレがない。

さっきよりも容易く俺はそのパンチを避けた。


「いっいったぁ」


すると、俺の後ろにあった壁を殴った様子の女は、涙目になり、自分の拳を一生懸命振っていた。


「なんで避けるの?ねぇ…」


「だから当たったら痛いでしょ」


同じことを聞かれても同じことを答えるしかない。

俺は自分の脳内にあった疑問をこの女にぶつけてみることにした。

この女なら色々と事情を知っているに違いない。


「お前が“かぐや姫”?」


「そ…そうだけど…?」


女が答える。俺の予想は当たった。

だからといって、襲われるいわれはないが、この女の発言により、イベント“Overall Hero”が関わっていることは確定したのだ。

そうなのであれば、この女に色々と聞きたいことがある。

俺は、女から少し距離を取ると、質問を開始した。


「なんで俺を殴ろうとする?」


「はぁ…?そんなの決まって…」


“かぐや姫”を自称した女は、黙り込んだ。

何かを考え込んでいたそいつは、先ほどの喧騒とは違い、近くの川の音が聞こえるくらいに静かだ。しかし、それは一瞬で、その女の笑い声にかき消された。


「納得がいったわ。その様子じゃ、何にも知らないんでしょ」


バカにされているようで腹が立つが、今はこの頭がおかしい女の言葉を待つことにする。


「いいわ。死ぬ前に教えてあげる。この“Overall Hero”ゲームについて」


俺はこの女の言葉を聞き入った。














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