第8話前半 理想の将来

「人間には無限の可能性があるなんてよく言うけど、あれって詐欺みたいなもんだよね」


 いつもの放課後。

 いつもの部室に集まった僕達に、万智まち先輩は難しい顔をしながらそう言った。


「いきなりどうしたんです、万智先輩?」


「わたしは未来をうれいているのだよ、レンレン。

 本当に無限の可能性があるのは人間というしゅであって、わたしやレンレンといった個人の事では決してない。それなのに世間は、あたかも私達一人一人に、努力次第でどこまでも羽ばたける翼があるかのように、『君達は何でも出来る』『君達は何にでもなれる』と言う。これってある意味社会規模での洗脳だと思う訳よ」


 何だか今日の万智先輩はやけに饒舌だ。


 しかし洗脳云々はさておき、そんな当然の事を今ここで言って万智先輩は一体どうしたいと言うのだろうか?

 

 そんな僕の疑問はすぐに解消される。


「だからこそ! まだ進路について考えていないのは、わたしが悪いんじゃないの! この国が、ひいてはこの国の大人たちが全て悪いのよ!!」


 なるほど、そういう風に話が着地するのか。


 どうやら万智先輩は進路の事で今日なにかひと悶着あったらしい。


散夜ちるよはな、もう二年生の夏前だと言うのに、就職か進学かすら決めていないんだ……。それで今日担任から進路相談室に呼び出しを受けた」


「この時期にそれは……ちょっとマズいかもしれませんね。散夜先輩も色々考えているのでしょうが……」


 浅香あさか先輩はそのひと悶着の内容をすぐさま僕達に開示。そしてそんな万智先輩の現状のヤバさにかおるちゃんも顔を青ざめる。


 僕達一年生はまだ進路の事で何か言われたりしていないが、夏休み明けには第一回の進路希望調査と進路相談が始まると聞いている。


 にも関わらず、二年生のこの時期に何も決まっていないまっさらな状態と言うのはちょっと……いやかなりマズイ。


 社会と大人達に責任転嫁してる場合じゃないですよ、万智先輩。


「でも意外ですね。てっきり僕は浅香先輩も万智先輩も、大学に進学するものだと思っていました」


 浅香先輩は何でもできる完璧超人だし、大学に行った方がその才を遺憾なく発揮出来ることだろう。


 万智先輩は万智先輩で楽しい事が大好きだから、てっきり就職なんか後回しにしてキャンパスライフを満喫するものだと思い込んでいた。


「わたしもねぇ? 始めは大学に行こうと思ってたの。一年生の頃は実際にそう進路希望調査にも書いてたしね」


「では何故?」


 何か考えを改めるきっかけとなった出来事でもあったのだろうか?


「驚くことに、大学に行くには入試を突破しなければいけないらしい……」


「そりゃそうですよ。逆にどうやって大学に行くつもりだったんですか?」


「……裏口入学とか?」


「浅香先輩、ここに犯罪者予備軍がいますよ! 粛清しちゃってください!」


 まさか教師も、裏口入学を期待して大学進学を希望する生徒がいるとは思わなかっただろう。


菱井ひしい、残念だが私立大学に限った場合で言うと、裏口入学は違法性が無い場合がほとんどだぞ?」


 え? そうだったの!?


 ……でもだったらもっと世間で裏口入学が流行ってないとおかしくない? 受験勉強って大変だし。


「うちの親が釣り上げたマグロを大学に送れば、僕も裏口入学出来ませんかね?」


 うちの父さんはマグロ漁師なので、年に数匹は超デカいマグロを釣り上げるのだ。うちにお金は無いがマグロならある。


れん君……。マグロを送り付けられても、大学側が困っちゃいますよ? 生臭いし、新鮮さはどんどん失われていくしで、むしろ送らない方がマシまであります」


 なんてこった。やはり僕は受験勉強から逃れられない運命なのか……。


「そうだ、万智先輩。進路に困ったら、まずは大目標を立てて、そこから逆算して計画を立てていくといいですよ?」


「大目標? 逆算?」


「そうそう。まずは大目標として自分が30歳の時に、どんな風に生活を送っているのかを想像します。

 そこから、その生活を送るにはどんな会社で、どのくらいのお給料を貰っていなければならないかを考えます。

 すると、その会社に就職するにはどんな学歴が必要で、どういったスキルを保持していなければいけないかが見えてくるんです」


「おお、凄い! 凄すぎるよ! 超お手軽だよぉ!」


「一回ご自身でやってみて下さいよ。きっと自分の進むべき道が見えてきますから」


 僕のその言葉に、万智先輩は30秒ほどうんうんと唸りながら考え込み、そして口を開いた。


「まずは30歳のわたしだよね? 30歳のわたしは背が190㎝あってぇ、胸もHカップくらいでぇ――」


「ちょちょちょちょ。え、先輩? 今進路の話してましたよね? スタイルの話なんかしてましたっけ?」


 僕の話をどう聞いていれば、身長とおっぱいの話になると言うのだろうか。


 それにいくら10年ちょっとの時間があっても、そんな化け物みたいなスタイルは手に入れられないよ。いや、先輩がサイボーグにでもなれば、まだ可能性はあるが……。


「やだなぁレンレンは。進路の話に決まってるでしょ? わたしはレンレンの言う通り、大目標について考えてるんだから茶々入れないでよぉ」


「そ、それはすいませんでした」


 確かに自分が一生懸命考えてる時に他人からとやかく言われることほどウザったらしいものは無い。万智先輩の話だって、きっとここから軌道修正されるハズだ。 


「当然、結婚はしてて、子供は20人くらいかな? やっぱり兄弟は多い方が楽しいもんね。それからそれから――」


「万智先輩、万智先輩。何度も止めて申し訳ないんですが、子供が20人ってそれ……正気ですか?」


 万智先輩が今16歳だから……14年間で20人も産むって言うのかこの人は!? 大学進学や就職なんてしてる暇ないじゃないか! 


 いやそもそも、早く夫を見つけないと、後々もっとノルマが厳しくなってくる。ただでさえ数年に一回は双子を生まなきゃ間に合わないって言うのに……!


「はぁ。レンレン。これは理想の将来の話でしょ? 実際に出来るかどうかは関係無いの。こうだったらいいなぁっていう話。だから現実的じゃないなんて野暮なこと言わないでよ」


「す、すいません……」


 また怒られてしまった。


 まぁそうだよね? 理想の話だからね。本人でも無いのに、それは無理、それはやめておけ、なんて空気の読めない事は言わない方が良い。


 ……いや、だとしても子供20人は多すぎない!?


「朝は夫が出社する直前に嫌々ながら起きて、いってらっしゃいのチュー。そしてその後わたしは二度寝を敢行」


「チューするためだけに起きてくるのを褒めるべきか。それとも怠惰な生活にツッコミを入れるべきか……」


 いや、まだこの状態では判断が出来ない。出勤時間のズレから二度寝に入ったのかもしれないし。


「11時頃に2度目の起床。朝ご飯がてら、近所の仲良し奥さんたちと一緒にフランス料理を食べにランチへ」  


「朝ご飯がてらランチへって言ってておかしいと思いましょうよ!」


 にしてもここから優雅にランチとは。どう考えても万智先輩は働いていない。


「ランチを食べたら運動するために、行きつけのジムへ。ふぅ、今日はランニングマシーンで3分も走っちゃったよ」


「その程度ならそこら辺の近所を走った方がマシですよ! ランニングマシーンの無駄遣いです!」


 最大3分のランニングの為に一体どれ程の金額が掛かっているのだろうか。


「そしてその後はお気に入りのエステへ。うんうん、やっぱり人妻として、美容には気を使わないとね」


「美容の前に家庭のお財布に気を使ってください」


「全ての用事が終わり、家に帰ると豪勢な夕食と凝ったデザートを作って待っててくれる夫の姿が……!」


「旦那さん、良くできた人ですね!? てか専業主婦なら晩御飯くらい作りましょうよ!」


 自分は一生懸命働いていると言うのに、家に帰って来てからも、遊び呆けている万智先輩のために晩御飯まで作ってくれるだなんて……。もしや旦那さん、万智先輩に弱みでも握られてるのでは?


「あれ? そう言えば、お子さんはどうしたんです? 20人もいるのに、先輩の日常に全く姿を現しませんね?」


「あぁ、子供はうちのお父さんとお母さんが面倒を見てくれてる。なんか孫が可愛くて仕方ないんだってさ」


「ホント先輩に都合良い世界ですね! 下手すりゃ育児放棄で通報ものですよ!?」


 万智先輩の理想はどこまでも理想過ぎた。


 理想的過ぎて全く進路の指針とはならないくらいに。


「まぁざっとこんな感じかな? どう? これで私の進路、見えて来た?」


「そうですね、まずは石油王と結婚することから始めましょうか」


 一般企業の社長くらいじゃ、妻にここまで好き勝手やらすことは難しいだろう。


 万智先輩の理想を叶えるには、よっぽどの金持ちで時間が有り余っている人か、万智先輩を死ぬほど愛していて万智先輩の為なら腎臓だって売れるくらいの人が夫でなければ不可能だ。


「そうかぁ。うん、それじゃあ次の進路希望調査には『石油王のお嫁さん』って書いておくよぉ」


 絶対にこれまでの比にならないくらい教師にキレられると思うが、むしろ万智先輩はもうちょっと怒られておいた方が良いのかもしれない。


「シズは30歳の理想の自分は何をしているの? やっぱりお嫁さん?」


 自分の理想の将来を語っていたら、気持ちが軽くなったのだろう。万智先輩は浅香先輩にも理想の将来を尋ねる。


「そうだな、私は……日本の王様になっているかな」


「日本は民主主義国家だよ!?」


 流石は浅香先輩。理想の将来とは言え、王にまでなってしまうとは。


「私は誰かの下につくというのが大の苦手でな。どうしても普通の企業でサラリーマンとして働くと、いらぬ折衝を起こしてしまう」


 確かに浅香先輩が上司に向かってぺこぺこと頭を下げているシーンは全く想像できない。むしろ、浅香先輩が上司を顎で使ってそう。


「ふーん。でもシズだったら親の会社があるじゃん! そこで二代目社長になっちゃえば問題無いんじゃない?」


 浅香先輩のお父さんは建設関係の会社の社長さんだ。なるほど確かに、社長を継いでしまえば、誰かの下につくという事を経験せずに、人の上に立つことが出来る。


「いや、社長と言っても、結局は取引先や工事の元受け企業に気を遣いながらぺこぺこと頭を下げなくちゃいけないのは一緒だからな」


「へー、社長さんってのも大変なんだねぇ」


「だからこそ、そんな不愉快なマネをしなくていいように私は王様になる!」


「いや、そこでどうしていきなり王様にまで飛躍しちゃうのよ……。もうちょっと段階を踏もうよ、段階を」


「誰でも一度は夢見るだろ? 一国の主」


「ふつうそこまでの夢は見ないよ!」


 一国一城の主を夢見る人は数多くいるが、その99.99%の人の夢が差しているのは一城の主の方で、自分だけのマイホームという意味だ。浅香先輩だけだよ一国の主なんて夢見てるの……。


「それで? 日本の王様になったシズは一体どんな事をするの?」


 浅香先輩みたいな横暴な人間が権力を握ったら碌な事にならないと思うんだが、一体何をするつもりなのか。


「そうだなぁ。まずは私の親衛隊を作るかなぁ? 王ほどの権力者となると、暗殺が心配だから少なくとも10万人は欲しい」


「そ、そんなに!? 親衛隊だけで町が作れちゃうよ?」


 10万人って言うと、かなり大きい市町村の人口くらいだ。千葉の鎌ケ谷だったり、大阪の池田市だったり、それクラス。


「あとは、少しでも満足度の高い毎日を送るために腕の立つ料理人100人と最高のマッサージ師50人、バックダンサーは300人くらい必要かな?」


「一体シズのためにどれだけの国家予算が無駄に費やされているのよ! それとバックダンサーってなに!?」


「あぁ、私が仕事をしている最中に、私の気分を盛り上げてくれる精鋭達だ。ちなみに私の集中力を削がない様に音は一切立てることなく、仕事してる私の後ろでただひたすら踊ってる」


「想像以上に無駄極まりないよ! と言うか音を立てずに背後で踊られても、むしろ気になって集中できないんじゃないかしら!?」


 無音で踊り続ける300人のバックダンサー達か……。うーむ、シュールすぎる。


「そうだ、皆の事も私の権力で雇ってやろう。散夜は私が話す事に対して、ひたすら相槌と作り笑いをする仕事だ。どうだ? 簡単だろ?」


「それホントに必要な仕事なの!? そんな意味分かんない仕事してたら、長年築き上げて来た友情もあっけなく崩壊しちゃうよ」


「いやいや、私達の友情パワーを甘く見るな? 先程の簡単な仕事が、友情パワーで時給1億円だ」


「完全にお金だけの関係に成り下がってるよね!? と言うかそんな仕事で大金を貰ってたら、わたしこそ国民に暗殺されそうだよ。お外出歩けないよ!」


 一体どうすれば、そこまで無駄に金を使えるのかというようなアイディアが湯水の如く溢れ出てくる浅香先輩。


 そりゃこんなお金の使い方をしてたら、暗殺の一つや二つ起こされますよ……。


「ちなみに大道寺は、私が今何時? と聞いたら時間を答える仕事。菱井は、24時間常に私をバカでかい扇子せんすあおぎ続ける仕事だ」


「なんか僕だけ仕事内容が過酷過ぎません!?」


 王様なんだからどうせ冷暖房は完璧に整備されているだろうに、何故僕が一日中浅香先輩を扇ぎ続けなければいけないと言うのか。完全に嫌がらせでしかないでしょこれ。


「私は私で凄い暇そうで困ります……。それに時計があれば私完全にいらない子ですし」


 確かに、いつ浅香先輩が時間を確かめるか分からないから常に傍には居続けるけど、特に何をするでも無いと言うね。これはこれで、キツそうだ。


「もうなんかシズの将来の話は良いかな……。欠片も参考にならなそうだし」


 だからアンタが言うな、アンタが。

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