0009 精霊王オルフェウス
魔弾による迎撃が無理だと悟ったアビスは、魔装銃を素早く右腰のホルスターへと仕舞い、空いた右手で背中の下に備えてあった「鞘」から柄を引き抜いて双剣へとぶつけた。
魔装銃同様に、薔薇が巻かれた箱舟の意匠が刻印された、漆塗りのダガー。刻印をなぞるようにして通っているのは、白い光。
「改竄」を成す、魔の白光。
黄金の双剣と交錯して甲高い音と火花を散らす。
「短剣……っ⁉」
「特注のダガーですよ。あなたのソレ同様に、ね!」
二つの刃と拮抗させているダガーを握る手にさらなる力を加えたアビスは、右腕全体を勢いよく振り払い、常の限界を遥かに超えた速度で振るわれた右腕を中心に、竜巻のように回転した。先程、少女が身を捻った速度を利用して斬りかかって来たように。
ガィンッ! とひときわ高い轟音が鳴り、弾かれた少女は「うぐぅ⁉」と悲鳴を上げて己の意図に反して宙を舞う。
その隙に、アビスは漆黒のダガーに送った改竄魔術の術式の効果を見極めていた。
体勢を立て直すべく、宙で二度、三度と旋回をして飛ぶ少女の双剣が、淡い光を纏う。
――魔装ダガーを用いた、さながら「斬り変え」。
その効果は……、
「斬撃の瞬間を狙っても、無理か」
諦観をまじえて呟いた通り、双剣の旋刃が回って風が吹き、少女は消えた。
少女は恐らく、アビスが放つ弾丸、今のダガーにしても、彼が扱う武器による攻撃を完全に受けると不味いということに気付いている。
突風のような速さで動く彼女にとって、その危機的意識のもと、攻撃を受けて後手に回っても尚、「消失」という形でアビスの攻撃を無力化することは簡単だ。
ともあれ、アビスは既に、少女の術式の正体とつけ入る隙を導き出すことに成功していた。
彼は、落下と共に、ランスローズの群生地帯の面影が無くなった草原を見遣り、その地表にダガーを突き刺し、着地と同時に足裏でダガーの柄を踏んでマナを送った。
この、改竄の内容をダガーにトレースした際に、アビスは前方から視界の端まで、二〇メートル四方の範囲を目で捉えていた。それが、そのまま書き換わる範囲となる。
同刻、アビスの脳天に、少女が刺突と共に降り注ぐ。
その刹那、アビスがひらりと身を引いたのを合図に、彼が移動した地点を除く辺り一帯が、「溶岩の泉」へと書き換わった。
「不味――っ」
「さあ、どう出ますか」
アビスの好奇心が、麗らかな少女を燃やして灰にする……なんていう鬼畜な悲劇は起きず、少女は風を吹かして目の前から消え、トン、とアビスの頭上に両脚を揃えて着地していた。
お風呂上りに立ち昇る湯気のように、碧色のスパークを纏って。
その少女が、黄金の双剣をナイフ遊びの要領で手の内で飛んだり掴んだりしながら言った。
「アンタ、思った異常にクソ野郎ね」
アビスは、人としての重さを感じさせない程の身軽さで頭上に立つ少女を見上げようとしてうっかりスカートの中を覗いてしまった……なんてことはせずに、微笑を浮かべて言葉を返す。
「そういうあなたは随分と破天荒なお方だ」
「モノの構造を容易く変えちゃうアンタにだけは言われたくないセリフね」
「ばれてましたか」
「隠す気、無かったくせに」
溶岩の海が煮えた鍋のようにグツグツと音を立て、少し強めの涼風が二人の頬を掠め、辺りの木々を揺らす。
「ついつい気分がアガってしまって」
「緊張とは無縁のようだけれど。まあ、戦闘狂特有の変態チックな高揚感に浸っていたんでしょうね」
「生存本能は人より何倍も機能しますよ」
「――。私が「オルフェウス」の宿主であると察しての文言だとしたら、その機能、ポンコツだと言わざるを得ないわね」
意外にも、アビスが立てた仮説の答えは少女自らが言ってくれた。
――「オルフェウス」。
上位種血統に含まれる精霊族が一種。
且つ、魔術学における基礎四属性に沿って存在する「風」、「水」、「地」、「火」における「風」――その頂点。
それほどまでに、驚異的なのだ。
風を浴びては自身が「霊化」し、風を浴びせればその者を「霊化」させてしまう精霊は。
アビスが「あー」と、見つめられている訳でもないのに、視線を泳がせて応じる。
「実は、そうなんじゃね? っていう具合に勘付いてはいたんですけど、仮に僕がうっかりあなた風の極位精霊の術式授かってます? とか聞いちゃって思い切り地雷踏んだようなムードになってしまったら、その先の任務に支障が出てしまうかもしれないじゃないですか」
「建前を聞いているんじゃないの。アンタ自身が私の事情を知って、どう思ったのかを聞いているのよ」
「昂っていますよ、気分が」
少女が息を飲む気配がした。
困惑、しているのだろう。
「それは、私の艶やかで麗らかな裸を目の当たりにして――」
「そういうのではないってことぐらい、あなた自身は分かっている筈だ」
「……」
茶化そうとした少女の言葉を遮る形で、やや低めにそう言ったアビス。
彼は言外にてこう述べたのだ。
彼女と過ごした刹那の交錯は、アビスにとっては心が躍るものであった、と。
いくら相手が人々から忌避されるような精霊を宿していようとも、その事実は変わらない。
「というか」
アビスは飄然と続ける。
「貴重な『天敵』と出会えたんですよ? 僕が、あなたの今までの人生であなたに危害を加えたような惨めな連中と一緒の行動をとるわけが無いじゃないですか」
「……、天敵?」
純粋に疑問に思ったのだろう少女のオウム返しに、アビスは「はい」と、喜色を含めて答える。
「霊化は文字通り、人体を跡形も無く消し去って霊体としてしまう術式。今の今まで、あなたはその霊化を自分自身にしか使っていなかった……多分、僕のことを霊化してしまわないように配慮してくれたのでしょうけれど」
「違っ、そんなわけ、」
「でも、その霊化を……「オルフェウス」の恩恵たる術――『霊恵術』を最初から使われていれば、恐らく僕は改竄魔術を使う対象を見失い、窮地に陥っていた」
眼下で溶岩がひときわ大きく唸り、涼風が生ぬるくなって肌を撫でる。
その一瞬に、少女が僅かに息を漏らすひと時があった。
アビスもまた、自らの保有術を少女に晒した。
これでお相子。そして、アビスとの戦闘で彼が使っていた特異な魔術とそれが起こした異常な「事象の書き換え」について少女は腑に落ち、しかし、詳しく問い詰めるよりも先に口をついて出た言葉があった。
「――イーリャ」
鈴の音色が、言の葉を紡ぐ。
「イーリャ・イフィクロス」
金髪の少女の名が、明らかになる。
アビスは自身の頭の上に立つ少女の――イーリャの靴裏から「微かな照れ」を何となく感じ取り、そして彼女が改めて自分と対等に戦ってくれるのだということを察した。
「僕は、アビス。アビス・アルゴローズ」
イーリャは少年の名を小声で反芻し、
「ふぅん。先天的か後天的か分からないけれど、アンタの改竄魔術とやらにお似合いな名前じゃない。底の知れない深淵……先の交戦、反芻すると思わず身震いしてしまうわ」
「ははっ。その割にはすぐに対策を講じてきましたけど?」
反射的に、アビスはイーリャを見上げてしまった。
そう、彼女の朱色のグラデーションが成されたデザインのロングドレスの中に映る……その一糸纏わぬ、霧すらも纏わない、金色の草原に咲く花弁を。
少女の「深淵」を、少年は覗いてしまったのだった。
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