三尺箸異説

 ある寺の和尚が気がつくと、大勢の人々と大きな卓を囲んでいた。真中まんなかには種々様々な山盛りの料理が所狭しと並んでいた。

 空腹を感じたので和尚は料理を食べようとした。目の前に取皿がなく、あるのは三尺――人の腕くらい――はあろうかという異様に長い箸だけだった。

 仕方無しに和尚はその長箸で料理を取ろうとしたが、あまりに長いので上手く口まで運べず、口に運ぶ前に掴んだものをすべて取りこぼしてしまう。

 何度繰り返しても箸で上手く口まで運べないので、和尚は箸を使う事を諦め、目の前の食べ物に手を伸ばした。すると、不思議な事に皿が向うへ独りでに動いた。何度手を伸ばしても皿が勝手に動いて食べ物を掴めない。手が駄目なら口はどうだ、と顎を突き出しても同じように皿が逃げ出して捕まえられない。

 上手く食べられない、周りの人はどうしているんだろう、と見渡すと他の人達も同じ様に食べ物を口に運ぶのに悪戦苦闘している。箸を使っても上手く使えず、箸を諦めても皿が逃げるので誰も上手く食べられないようだ。

 到頭とうとう、卓の一人が奇声を発しながら箸を振り上げ隣の人を殴りつけた。殴られた方もすぐさま応戦し喧嘩が始まった。

 そんな光景を見て和尚が周りを見渡すと隣の人と目が合った。隣の人は和尚の視線に気づくと「何ジロジロ見てやがる。見世物じゃないぞ!」と長過ぎる箸を振り上げた。和尚は避けようと席から立とうとした。しかし、尻が椅子に張り付いたかのように全く動かない。和尚の脳天に箸が振り下ろされ、和尚は意識を手放した。


 和尚が再び気がつくと、前と同じ様に大勢の人々と大きな卓を囲んでいた。真中には種々様々な山盛りの料理が所狭しと並んでいて、やはり目の前に取皿がなく、人の腕くらいはあろうかという異様に長い箸があるだけだった。

 先程の記憶を思い出して和尚は席を外そうとしたが、なぜか尻が椅子に張り付いて動けなかった。

 和尚はまた空腹を感じたが、先程の事もあり、どうしたものかと逡巡していると、眼前に食べ物が差し出された。見るとそれはあの長過ぎる箸に掴まれた肉で、視線を伸ばすと向かいの席の人が微笑みながら和尚に差出してくれている。その人は和尚の視線に気づくと「どうぞ」と会釈した。

 恐る恐る和尚が周りを見渡すと今度の卓は少し様子が違った。 

 一人が長箸で器用に食べ物を掴むと、自分の口ではなく箸先が近い人の口元へ食べ物を運んでいるのだ。食べさせてもらった人はお返しにと、運んでくれた人や他の人の口元に食べ物を運び、決して自分で自分の口へ食べ物を運ぼうとする者は居なかった。

 和尚は礼を述べて肉を口に含み、同じ様に卓の料理を長過ぎる箸で取って相手の口元へ運んでやった。すると相手も礼を言った。

 こうして和尚はその卓で美味しく食事を摂る事ができたのだった。お互いに食べさせあって食事を満喫すると、満腹感とともに心地よい眠気が和尚をくるみ込み、やがて和尚はその席で意識を手放した。


 和尚が三度みたび気がつくと、そこは自分の寝室でいつもの寺の朝だった。不思議な夢を見たものだと毎日の勤行ごんぎょうを始めた。

 その日、寺に来客があった。近所の大学で教鞭を執る学者先生である。所用が済み学者先生と雑談しているとき、和尚は今朝見た夢の話をした。

「――という夢を見たのです。あれはきっと御仏みほとけが天国と地獄を見せて下さったのでしょう。いやあ、天国と地獄とは同じ風景でも、住んでいる人が全く違いますなあ。やはり自分の事ばかりではなく、他人様ひとさまに与える事を考えねばならぬと身に沁みましたよ」

 学者先生は興味深そうに和尚の話を聞き、しばらく考え込んでからゆっくりと口を開いた。

「差し出がましいかもしれませんが和尚さん、それはきっと天国と地獄ではなく貴方方あなたがたが説かれる餓鬼道がきどうの風景でしょうな。席を立つ事もできず、自由に食べ物を食べられない。許されるのは不自由な長い箸だけ。もし私がその立場だったら、そんな三尺もある長箸なんて折って普段使ってる長さに近づけるでしょうな。けど、きっと箸は折れますまい。なぜならそれを与えたもうた神だか仏だかは、我々が四苦八苦している様を眺めている嗜虐主義者サディストか、適切な援助を施せない低能かのどちらかだからです」


 貧者は自身にそぐわない道具の使用を無理強いされる、とこの話は解き明かしている。

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