第30話 『そういうものなの?』
「映画~、映画~、え・い・が~」
放課後、沙知は帰り支度をしながら、楽しそうに歌を口ずさんでいる。
僕とデートの約束をしてからというもの、沙知はご機嫌でずっとこの調子。
心なしか彼女の長く結ばれたポニーテールが犬のしっぽみたいに揺れているような気がする。
そんな彼女を眺めながら、鞄に教科書をしまっていると、不意にクラスメイトの佐々木が声をかけてきた。
「なあ、島田」
「ん? 何?」
僕は教科書を鞄に入れながら、返事を返す。すると佐々木は羨ましそうな視線を送ってきた。
「お前はいいよな、あんな美少女とデートなんてできて」
「何でさ、散々、沙知はないって言ってたじゃないか」
事あるごとに沙知を貶していた佐々木。まあ、否定できない要素が沙知本人にはたくさんあるのは事実だけど。
「いや、それはそうだけどよ……やっぱり、あんな美少女とデートできるならしたいじゃん」
佐々木は羨ましそうな表情でそんなことを言ってくる。彼の言葉に僕は勝ち誇った顔で答えた。
「そんなに彼女が欲しいなら、気になる相手に告白すれば?」
「んなもん、とっくにしてるよ、でも未だに付き合えないんだよ!!」
佐々木は自棄になって、僕の肩をバシバシと叩いてくる。痛いからやめてほしい。
「だからこそだ!! お前があの佐城妹を落としたのかが知りたい!!」
「別に沙知とは落としたとかじゃなくて……」
僕は思わず口を濁してしまう。確かに付き合ってはいるが、沙知は僕に恋愛感情を抱いているわけじゃない。
ただ単に恋を知らないから、知りたいという気持ちがあるだけだ。でもそんなことを言えるわけがないので僕は言葉を濁した。
「ったく、あんなに彼氏とのデート楽しみにしているなんて、めっちゃラブラブじゃねえかよ」
「そう見える?」
「そうにしか見えねえよ、むしろ、何に見えんだよ」
佐々木の言葉に僕は思わず苦笑いしてしまう。確かに傍から見たら、そう見えるのかもしれない。
そんなことを思っていると、トコトコと僕の目の前に沙知がやって来た。
「ねえねえ? 笹山くんとなに話してるの?」
僕と佐々木が話している内容が気になったのか、沙知は首を傾げながら聞いてくる。
そして、相変わらず佐々木の名前を間違っていた。
「だから、佐々木だって言っているだろ!! 佐城妹!!」
「あれ? そうだっけ? ゴメンゴメン、里山くん?」
沙知が首を傾げながら、佐々木の名前を呼ぶ。その間違いに佐々木は頭を抱えて蹲ってしまう。
「だぁぁぁ!! 何故、また間違える!!」
「あははっ、あたし興味ないことは一秒で忘れちゃうから!!」
沙知は楽しそうに笑いながら、佐々木に向かって悪びれずそんなことを言う。
「俺のこと、そんなに興味がないってことか!? すげー傷つくんだけど!!」
「うん、そうだけど?」
沙知の悪気のない一言に、佐々木はガクッと肩を落とした。
「ねえねえ、そんなことよりもそろそろ帰ろうよ」
落ち込む佐々木を無視して、沙知は僕の袖をくいくいと引っ張ってくる。そんな彼女の様子に僕は苦笑を浮かべるしかなかった。
「そうだね、帰ろうか」
沙知の言葉に同意して、僕は帰り支度を済ませた鞄を手に持った。
「猿渡くんバイバイ~」
「だから俺は佐々木だっての!!」
沙知はニコニコと手を振りながら、教室から出て行った。そして僕も彼女を追いかけるように教室を出る。
そんな僕の後ろ姿を佐々木は恨めしそうに睨んでいた。まあ、可哀想ではあるけど、沙知が相手では仕方ない。
僕は心の中でそんなことを思いながら、教室を後にした。
「沙知、待ってよ」
沙知と合流した僕は彼女の後を追いかけるように廊下を歩いていた。
僕の声を聞いて、沙知はクルッと振り向くと、頬を緩ませながらとことこと僕の元までやってくる。
そして沙知は僕の前に立つと、笑顔を浮かべながら言った。
「へへっ、映画楽しみ~」
そう言って機嫌良さそうに身体を左右に揺らす沙知。そんな彼女の仕草に僕は思わず微笑んでしまう。
「気が早いよ、沙知、まだ一週間も先だよ」
「えへへ、分かってるけど、楽しみなんだから仕方ないじゃん!!」
沙知は子どもっぽい笑みを浮かべながら、僕を見上げてくる。その笑顔に僕はドキッとしてしまう。
本当、沙知って笑顔が可愛いんだよな。この笑顔でお願いされたら、大抵のことは聞いてしまいそうになる。
ホント、惚れた弱みってヤツは厄介だってつくづく思う。
僕はそんなことを考えながら、沙知と一緒に下駄箱の前までやってきた。そして自分の下駄箱から靴を取り出して、上履きをしまう。
それから二人でローファーに履き替えて、校舎を出る。夏も近づいて最近は日が沈むのも遅くなった。
僕たちは校門を出ると、沙知は鞄をゴソゴソを漁り始める。おそらくセグウェイを探しているのだろう。
「沙知、ちょっと待ってくれる?」
「ん? なに?」
沙知は鞄から顔を上げ、僕の方を見る。そんな彼女に僕は口を開いた。
「今日から少しだけ一緒に歩いて帰らない?」
「えっ? なんで……」
沙知は僕の提案に青ざめた顔で僕を見てくる。
まあ、沙知の反応は当然だ。体力のない彼女にとって、長距離を歩くのは、かなり辛いだろう。
「あたしに歩かせるなんて、頼那くんはあたしを殺す気なの?」
沙知は青ざめた顔のまま、僕に迫ってくる。
これに関しては真面目に冗談ではなく、事実あり得るから、質が悪い。
「いや……別に沙知を殺す気はないけど……」
「ならどうして? あたし、絶対に嫌だよ」
案の定、沙知は本気で嫌がっているようで、首を左右に振りながら後ずさる。
僕は慌てて言葉を続けた。
「そんなずっと歩けとは言わないよ、ただ、デートをする上で、体力をつけた方が良いと思うんだ」
今回行く映画館は大型ショッピングモールの中に入っている。店内でそれなりの距離を歩くのは必然だ。
それに最寄りの駅から歩く必要も出てくる。となれば体力は少しでもつけておいた方が良いと思ったからだ。
「そうだけど……でも……」
困った表情で僕を見ている沙知。そんな彼女の表情に僕は真っ直ぐと沙知を見た。
「辛くなる前にすぐに僕に言って、無理はさせないから」
「う~……でも……あたし……歩くの……結構……遅いし……疲れたら多分、当分動けなくなるから……帰るの遅くなっちゃうよ」
沙知は視線を泳がせながら、申し訳なさそうに言ってくる。僕はそんな彼女の態度に優しく微笑む。
「いいよ、いくら遅れても僕は待つよ」
「ホントに?」
沙知は僕の目を見ながら、首を傾げる。そんな彼女の仕草に僕はドキッとしてしまう。
ホント、こういう不意打ちをしてくるから、困るんだよな。
思わず目線を逸らしたくなりそうだったけど、なんとか耐えて僕は沙知に頷いた。
「ホント」
ただそれだけの言葉。だけど、その一言に沙知は嬉しそうに表情を綻ばせる。
そして、腰を少し曲げて、僕の顔を覗き込みながら上目遣いでニッコリと微笑む。
「うんっ……頼那くんがそういうなら信じるよ……」
「ありがとう」
僕はお礼を言うと、沙知の目の前に手を差し出す。すると沙知は僕の顔と手を交互に見比べてきた。
「えっと……これは?」
状況がよく分かっていないのか、沙知は困惑している様子だった。そんな彼女に僕は照れながら答えた。
「えっと……手、繋がない? せっかく、恋人同士で一緒に歩いて帰るから」
「そういうものなの?」
「うん、そういうものなの」
そんな僕の言葉に沙知は納得したように頷いた。そして彼女は僕の手を取ると、僕の手の感触を確かめるように、にぎにぎと小さな手で僕の手を掴んでくる。
そのせいで沙知の手の感触が直に伝わってくる。
柔らかい。それに小さいな。指も細くて、今にも折れてしまいそうだ。
そんなことを思いながら、僕は沙知の手を軽く握り返す。すると彼女は嬉しそうな表情を浮かべた。
「そういえば、初めて会ったときにも手を繋いでいたね」
「えっ? う、うん……」
沙知の言葉に僕はあの時のことを思い出す。初めて彼女と恋人関係になったときに、沙知に手を引っ張られながら歩いたっけ。
今思えば、あれが沙知と初めて手を繋いだ瞬間だったような気がする。
「あの時は特に気にしてなかったけど、頼那くんの手ってあたしの手より大きいね」
「まあ、男だからね」
「ふふ、そうだね」
沙知は笑いながら、僕の手の感触を確かめるようににぎにぎと手を握り締めてくる。
そして僕は恥ずかしさを誤魔化すように口を開く。
「さ、さあ行こうか、日が暮れちゃうし」
「うんっ!!」
そんな僕の言葉に沙知は元気よく頷くと、僕の手を握って、ゆっくりと歩き始める。
僕もそれに合わせて、沙知のペースに合わせて、歩いていく。
それから少し彼女と歩いて分かったことがある。
彼女の歩幅はとても小さい。ちょっとでも僕が早歩きになると、沙知は付いてこられないだろう。
だから僕は彼女に歩調を合わせて歩いていく。
下手に歩調を乱すと、すぐに彼女の体力が底をついてしまう。
これは多分、電車でちょっと立っているだけでも貧血をおこしそうだな。
そんなことを考えながら、僕は沙知のペースに合わせて歩いて行く。
あと、一緒に並んで分かったことだけど……。
すっごく沙知の良い匂いがする。なんかずっと嗅いでいたいくらい、良い匂い。
視線を横にすると、沙知の顔がある。その横顔はとても綺麗で、可愛くて心臓の高鳴りが止まらなくなる。
手を繋ぐとこんなにも沙知の顔が近くなるんだ。思わず彼女をずっと見てしまいそう。だけど、流石にそれをしてしまうと、僕が持たないので視線を前に向ける。
それにそんなに長く沙知と一緒に歩いているわけには行かない。
沙知は僕を信じて一緒に歩いてくれている。なら、ちゃんと頃合いは見て、沙知に声をかけないと。
既に一緒に歩いてから三分ほど経っている。前に沙知が話したこと通りなら、そろそろ切り上げないと不味い。
「沙知、今日はもうこの辺で歩くのは止めよう」
僕はそう言って、歩くのを止める。すると沙知もピタリと足を止めた。
「はぁ……ふぅ……」
僕が足を止めると、沙知は肩を上下させて、呼吸を整えている。そんな様子に僕は心配そうな顔を浮かべる。
「大丈夫?」
「うん……なんとかね」
そんな僕の心配の言葉に沙知は苦笑いしながら、呼吸を整えていた。
「ごめん、無理させちゃったよね」
「ううん、このくらいならギリギリ……むしろ、ちょうど良いタイミングだったよ」
沙知は息を整えながら、僕にそう言ってくる。僕はその言葉を信じることにした。
「それならいいんだけど」
「うん、心配してくれてありがとうね、頼那くん」
沙知は嬉しそうに微笑んでお礼を言ってくる。その笑顔に思わずドキッとしてしまうが……今はそれどころではない。
この僅かな距離でこうなる。これがデート当日ならその時点でアウトだろう。
沙知の体力を考えると、いかに適度に沙知を休ませるかちゃんと僕が考えて行動しないといけない。
沙知は映画に誘っただけで、ずっと楽しそうにしている。きっとデート当日ならテンションだって、もっと上がっているはずだ。
ここまで映画を楽しみにしている彼女に悲しい顔はさせたくない。むしろ、最後まで笑顔でいてもらいたい。
それが彼氏として僕が彼女にしなければならないことだ。
沙知の彼氏として、しっかりしないと。せっかく僕のことを信じてくれている沙知に申し訳が立たない。
僕はそう心の中で決意するのだった。
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