第16話 マルへの尋問
『求愛給餌とは。生物に見られる異性を引きつけるための求愛行動の一つ。ふつうオスがメスに対して獲物を与える行動が知られているが、獣人に関しては異なる場合がある。オスからメス、メスからオスに獲物を互いに与えることで、番になるのを了承する意味合いを持つ』
「……これ、知っていたのか?」
本を真ん中に広げて、俺とマルは向かい合って座っていた。
マルは唇を噛みしめてうつむいている。そして質問に答えようとはしていない。
後ろめたいことがあるのは明白だ。
つまりは知っていたということになる。
「獣人の生態をきちんと理解していなかった俺も悪いけど、分かってやっていたのも悪いよな」
マルがさらに唇を強く噛んだ。
切れてしまいそうだから、そっと手を伸ばした。
「切れたらしみるから、力を抜け」
「……ん」
唇に触れれば力は緩んだが、うつむいたままだ。
怒っているというよりも、言わずに勝手にしたことに納得がいっていないのが大きい。
「……悪い」
「とりあえず謝るくせは止めろ。そういうのが一番良くない」
「悪い」
「だから……」
駄目だ。これじゃあ話が進まない。会話が一方通行なだけになって、何の解決にもならない。もっと違う方法で話し合わなければ。
俺はマルの脇にしゃがんで、顔を覗き込んだ。
「どうしてあの時、誕生日の日にあんなこよを頼んだんだ? 食べさせて欲しいって。その後も、食べさせたり食べさせてもらったりしていたよな」
出来る限り優しい声を意識して、俺はマルに尋ねる。答え次第では、教育する必要があった。このまま成長したら、絶対に良くないことになる。
それでも頑なに答えようとしないから、次の作戦でマルの体を持ち上げて椅子に座る。
そして、落ち着いて話してくれという意味を込めて、背中をさすった。気分は母親だ。その優しさを目標としている。
俺の優しさはちゃんと伝わっていて、マルの体から力が抜け、俺の胸に顔を埋める。
「……最初はただ言ってみただけだ」
しばらくそうしていれば、ようやく口を開いた。落ち着いて話す気になったらしい。
「シュウも知っていると思って、出来るわけな言って拒否されるだろうって。でも簡単にいいって許可されたから、舞い上がったんだ」
「欲望に忠実になったってことか」
俺の無知な言動も、そうさせるきっかけを作ったわけだ。
マルの口調から考えて、常識レベルに近い事実らしいから、知識不足が否めない。
この本の内容は、後で全部目を通しておこう。
「……でも相手が知らない場合は無効だから、ただ、シュウにしたりしてもらうのが好きで、止められなくて」
「そうか」
知らない間に夫婦になっていなくて良かった。
マルに妻ですと紹介される場面を想像したら、頭痛が襲ってきた。
「シュウの気持ちも考えずに、黙っていたのは良くなかった。でも、それだけ好きなことも分かってくれ。子供としか見られないのは、辛くてたまらないんだ」
子供らしくない表情だ。そんな顔はしないでほしい。
「あー、もう。分かったよ」
降参だ。
昔から押しに弱かったけど、ここで発揮されるのか。
「シュウ、謝るから見捨てないでくれ。頼む」
俺の言葉を、どういう意味で変換したのだろう。顔に絶望を浮かべてすがりついてくるから、そうじゃないと示すために額にキスを落とす。
「本気で言ってるって信じるし、前向きな方向で検討してやるよ」
「……それって!」
「ただし仮だからな。他の誰かには、そういう話は絶対しないこと。バレたら捕まるのは俺だ。そうなったら、番どころの話じゃなくなるぞ」
ここまで思いをぶつけられて、絆されないわけがなかった。
「あくまでも仮だし、番の契約を結ぶのは成人してからな。それまでに気持ちが変わった場合は、いつでも文句を言わずに解消すること。分かったか?」
「ああ!」
これなら、なんとかショタコンと言われずに済むだろうか。人には絶対に言えないが。
「シュウ、ありがとう」
考え無しに受け入れた感じがするが、マルが本当に嬉しそうに笑うから、まあいいか。
俺の心もポカポカと温かくなり、マルのことを痛くないぐらいの強さで抱きしめた。
マルの方も俺にすり寄り、そして顔を近づけてきた。
何をするつもりなのか察して、唇の前に手を差し入れた。
手の甲に柔らかい感触。その向こう側から、マルの不満げな声が聞こえてきた。
「何するんだ」
「それはこっちのせりふだ。今何しようとした」
「そんなのキスに決まっている」
「……決まってないんだよ。こういうのは無しだ。あくまでも仮だからな」
全く油断も隙もない。
呆れて冷たい目を向けてしまった。
「絶対に駄目だからな。人に見られたら、俺の立場が弱くなるんだから」
「……気をつける」
ここでやらないと言う辺り、そのうち隙を見られてキスをされそうだ。
その時は、今みたいにガードすればいいか。
いくら強くなったとはいえ、まだまだマルには負けられない。
反射神経も鍛えた方が良さそうだと、俺は特訓メニューの編成を頭の中で変えた。
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