俺と未来の夫(仮)
瀬川
第1話 出会い
一人で生活するのに慣れたからとはいって、孤独を全く感じないわけではない。
むしろ寂しさは募っていく一方で、その感情を見て見ぬふりをしていた。
山の中は、常に感情が変わる。
晴れていても突然雨が降ってきたり、大雨の後は山崩れを警戒する必要がある。
穏やかな陽気だとしても安心は出来ない。
自分にとって動きやすい時というのは、他の動物にとっても動きやすいということだ。
イノシシやクマに会ったら、無事でいられる保障は無い。
勝てない戦いはしない主義だ。
命を大事にする、それが今のモットーである。
だからトラブルには巻き込まれたくないと、山の奥の奥に住居を構えていた。
孤独を感じているのに矛盾していると思われるかもしれないが、色々と事情があるのだ。仕方が無い。
今日も俺は特に冒険することなく、見知った場所で木の実を採り、川で魚を釣ったり、飲み水の確保や洗濯をしていた。
そういうのは大体昼前までに終わらせて、午後は家に帰ってのんびりとしているのが一日の流れだ。
ここ数年、悪天候じゃない限りはそうやって生活していた。
今日だって、途中まではいつも通りだった。
木の実や魚の数は少なかったが、備蓄もあるし騒ぐことのほどではなかった。
カゴに入れた木の実を落とさないように、気をつけながら歩いていた俺は、微かな音と風に乗って運ばれてきた血の臭いに気がついた。
最初は無視しようとした。
どうせ食われかけた手負いの獣だろうし、まだ食事中だったら俺に危険が及ぶ。
全ての命を助けるなんて、そんな理想論を振りかざすほどの若さもない。
弱肉強食の世界では、食べなくては生きていけない。
何かを助けたら、その命を最後まで背負う覚悟が必要だ。
その場の感情だけで行動すれば、結局待っているのは死である。
非情かもしれないが、それが現実だった。
なんの命も背負う覚悟は無いから、俺はそのまま見て見ぬふりをしようとした。
でも結局は音のする方向へと進んでいたのは、音の正体がかぼそい鳴き声だと分かってしまったからかもしれない。
「絶対に面倒なことになるって、分かっているんだけどな」
まだそんな心が残っていたのかと、自分でも呆れる。
ただし助けるかどうか決めるのは、状況を判断してからだ。
そんなふうに誰に対してかも分からない言い訳を考えたが、助ける率は半分を超えているのだから意味は無い。
恥ずかしさといった感情を隠すために、俺は勢いよく頭をかき回した。
「……この辺りのはずなんだが……いないな」
鳴く声はあまりにも小さかったから、俺は臭いをたどって進んだ。
近づくにつれて、どんどん臭いは強くなっている。
これは最悪の事態も覚悟しておいた方が良さそうだ。
やはり関わるべきではなかったかもしれない。
でも、ここまで来て引き返すのも無理だった。
「せめて食事中はよしてくれよ」
食後のデザートは勘弁だ。
俺は祈りながら、さらに細かく臭いのする場所を探した。
「……お」
地面を隅から隅まで確認して、ようやく見つけた。
随分と丸い。
汚れているのか元々なのか、茶色というよりも黒に近い毛並みをしている。
ゴワゴワとしていて触り心地は悪そうだ。
人間の赤ん坊ぐらいの大きさで、丸まって震えている。
先程聞いた鳴き声もする。
探し物はこれだったようだ。
パッと見ても酷い傷を負っていて、体の一部が血で黒く光っている。
どう考えても致命傷だ。このまま放っておけば、いずれ死ぬ。
今だって、その鳴き声はか細くなっていた。
呼吸するのも辛いのだろう。
来たはいいが、俺は医者じゃない。
自分が出来る範囲も分かる。
そしてこれは、俺の力じゃどうしようも出来ない状態だ。
助けられないとしても、せめて楽にしてやろう。
腰にある短剣の手をかけ、トドメを刺そうと狙いを定める。
心臓の辺りに切っ先を向け、そのまま押し込もうとした。
その時、視界の端にあるものが入る。
「っぶな」
動きを急には止められなかったから、狙いをなんとかそらした。
短剣は体に刺さることなく地面をかする。
どうして急に狙いをそらしたのか。とあるものを見つけたからだ。
それは薬草だった。
その効果は回復で、死んでいなければ全ての傷を治せるという、とてつもなく貴重なものだ。
普通はこんなところに生えているはずがない。
それなのにまるで用意していたのではないかというぐらいに、ぽつんとそこにあった。
「運がいいな。お前」
俺は傷口にとった薬草を塗り込みながら、その毛並みを撫でた。
最近は全く動かしていなかった表情筋が、自然と緩んでいた。
それから深い傷口が塞がるまで、俺はずっと傍にいて治療を続けた。
薬草のおかげもあり、容態は落ち着く。
気を失ったのか目を閉じて寝息を立てているので、今のうちに観察をしてみる。
「……クマだ」
毛玉の正体は、子供のクマだった。
耳、牙、爪、全てを確認したから間違かった。
まだ子供だから可愛さは残っているが、危険なことに変わりはない。
「怪我は治っただろうから、もう大丈夫か」
この様子だとどこかに親がいる可能性は高いし、仮にそうじゃなくても今回のようなことにはそうそう起こらないはずだ。
これは見捨てるんじゃなく、野生のままにしておくだけ。
自分で自分に弁解して、俺はその場から離れるために立ち上がった。
木の実の入ったカゴを傍に置いたのは、ただの気まぐれで別に深い意味は無かった。
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