髪フェチ男子が告白したら、相手は女装してました。

山下東海

【プロローグ】西陽さす廊下に、赤風船が転がる


 北八里きたはちり高校文化祭も、一日目の夕べを迎えている。

 飾り立てられた中廊下に人気はなく、薄暗さが漂う。

 落ちている赤風船に西陽が差し、そこだけが仄かに明るい。

 静寂。遠くより響いてきた鉄道の警笛。

 すべてを借景にして、黒長髪の女子生徒は佇んでいた。

 ただしめやかに、そして輝くように――


 だから佐藤さとう竹寿たけとしは、彼女を呼び止め、頭を下げた。

「好きです! 付き合ってください!」

「ぇ……」

 彼女が小さく息を呑む。

 十月の風は、そよとも吹かない。

 彼は視線を持ち上げる。そして、またもその女子生徒の姿に見とれる。

 斜め四十五度に振り向いた体躯は、すらりとしている。細いというよりも、薄い。肩にしても胸元にしても、セーラー服を着てなお薄いと驚かされる。

 そして、流れ下るような、黒いロングヘア。

 癖は無く、柔らかに丸い頭部から肩へ胸元へ、あるいは背中へと下りていく。光を取りこんで、その黒は艶めきを増しているよう。豊かさと健やかさが生み出す、自然な色艶だ。前髪を押さえるヘアピンのカクレクマノミは、まさに今この時の太陽と似たオレンジ。

 先まで教室で転た寝をしていた佐藤には、それは夢かとすら思われた。

 あまりに美しく、いかにも理想的だ。未だかつて出会ったことのない、その――

「あ、あの……」

 女子生徒の控えめな声。彼は慌てて体勢を起こし、正面に彼女を捉えた。

 彼女は胸の前で手を合わせ、指先をもじもじさせている。卵形の顔の輪郭を、サイドの髪が見え隠れさせている。その中で黒目がちの瞳はそわそわと落ち着かず、佐藤を見たり俯きがちになったり。

 その恥じらいの仕草が、彼にこれは現実であると強く意識させた。

 おぼつかない口元が、「わ、わたし……」と自称を紡ぎだす。

「その……、わたし、あなたのこと、知らなくて……」

「あっ、あぁ悪い! 先に名乗るべきでした」

 佐藤は自分の失態を恥じつつ、急ぎYシャツの第一ボタンを留めた。

「俺……あーいや、ぼくは、一年四組のサトウタケトシといいます。一番多い

名字の『佐藤』に、植物の『竹』とめでたい『寿』で、竹寿です」

「そ、そう……、一年の、佐藤くんね……。わたしは、二年二組の……」

「あ、あぁ、先輩でしたか。これはとんだ失礼を」

 佐藤竹寿は彼女の声にかぶせて頭を下げる。

「いえ。そ、そんなことはないけど……」

 二年生の彼女はあたふた両手を振る。その後で胸を押さえて、一つ息を吸い吐きした。

「それでね、その、……す、好きって、いうのは、どうして? あのっ、イヤとかじゃなくてね……う、うれしい、んだけど……」

 佐藤の鼓動が早まる。彼女の顔はますます赤くなる。

「で、でもね。わたしはね、佐藤くんのこと、全然知らないわけで……」

「それは俺も、いえ、ぼくも同じです。むしろ初めて先輩を見ましたっていうか」

「え?」彼女が目を丸くする。「そ、それならなおさら、どうして?」

「一目惚れしたからです! 先輩の……」

 佐藤は身を乗り出し気味にして、


「あなたの、髪に!」


「……ぇっ……」

 風が吹く。身動ぎすら中断した彼女の、髪の毛先だけを踊らせる。

 佐藤はその揺らめきにも見とれつつ続ける。

「自然な髪の流れ、素の色艶の美しさ! まさに異彩を放つその黒髪が目に入ったその瞬間に、俺は惚れてしまいました! 先輩の髪以上のものを、俺は見たことがない! だから……」

「いやぁっ!」

 彼女の金切り声。佐藤はようやく我に返った。

 自らの髪を押さえた彼女。目はきつく閉じられ、顔もいつしか蒼白になっている。

「いやっ! やぁっ!」

「あっ、す、すみません!」佐藤の発声が図らず裏返る。「俺何か悪いことを……」

「いえっ、その、違くって」彼女は両手を振りつつ後ずさり、「これはそのっ、きゃっ!」

 突然身をひねった。赤い風船が蹴り飛ばされて、薄暗がりへと転がっていく。

「あぶなっ!」

 佐藤が言うより先に、バランスを崩した彼女は後ろざまに転ぶ。

 佐藤は咄嗟に目を背ける。鈍い音が耳に刺さった。

 その後に、須臾しゅゆの静寂があった。

「……だ、大丈夫ですか?」佐藤は急ぎ見返って、「お怪我、と、か……?」

 言葉を失った。

 転倒しているのは間違いなく彼女のはずだ。本校のセーラー服、薄い体つき、卵形の輪郭。

 ここまでは相違ない。だが、しかし――

「……いぃ……、いったぁ」

 彼女が上半身を起こし、弾みで打ち付けたらしい頭部をさする。

 そして、彼女も身を固くさせた。

 自分の頭にペチペチと触れる。右手左手、双方で数度、慌ただしく、ペチペチと。

 まるでゆで卵のようにつるりとした頭に、触れている。

 見とれるばかりだった黒髪は、そこには無い。

「……あ、あの」かろうじて佐藤は声が出す。「う、後ろに……」

 佐藤の指さす方に、彼女も振り向く。

「……ぁっ!」

 そこにあるものを慌てて胸に抱えこんだ。

 黒い毛のかたまりを。黒のロングヘア、を模したウィッグを。

 そして彼女が、ばっと面を上げる。二人の視線が一本に重なる。

 ――彼女が? いや、もしや。

 卵形の顔が、表情が、ゆがむ。

「い、いやぁぁぁぁっ!」

 中廊下を貫くような絶叫。佐藤は咄嗟に目と耳を閉ざす。

 そして走り去っていく――。何かの香が鼻先をかすめ、だがすぐに消えた。

 やがて、静けさが戻ってきた。佐藤は元になおって、辺りを見回す。飾り立てられた中廊下に、佐藤は一人だった。闇の色が先よりも濃くなっている。

 頭を垂れ、一つ大きく溜息を漏らす。

「……とちっちまった、か……。ん?」

 床に何かが落ちているのを見つけ、拾い上げる。

 それは、まん丸な目とぽけっと開いた口をしたカクレクマノミだった。

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