ヤギョウサン


夜行やぎょうさん】

 首のない馬に乗って徘徊はいかいする鬼、もしくは首なし馬のみを指して呼ばれる妖怪。大晦日おおみそかや節分などの特定の日の夜に歩き回っており、出会った人を投げ飛ばしたり蹴飛ばしたりして殺してしまう。



「首のない馬を見たんですよ」


 矢部さんが見たのは、いわゆる夜行さんと呼ばれる妖怪に酷似していた。

 終電を逃してしまい、酔いを覚ましながら帰路についていると、道の向こうからカポカポと馬の足音が聞こえてくる。

 令和の世で、しかも夜中だ。馬が歩いているはずがない。

 十中八九、関わってはいけないものだ。

 その予想通り、暗闇から現れたのは首なしの馬だった。目がないのに、真っ直ぐブレずに歩いている。

 すっかり酔いは冷めてしまった。

 腰を抜かして道端に倒れ込んでしまう。妖怪に関して知識がなかった矢部さんは、す術なく口をぱくぱくさせるだけ。通り過ぎていく馬を見ているしかできなかった。


「ええ、馬は本当に素通りしていきました」


 矢部さんはなにもしなかったらしい。

 夜行さんの伝承では、遭遇した場合、草履ぞうりを頭に乗せて地面に伏せていると難を逃れるとされている。

 しかし矢部さんは靴を脱いでいないし、目線も馬に向いたまま。伝承上の対処法を行っていないが無傷で済んでいる。

 そもそも、矢部さんが首なし馬と出会った日は、伝承上で出現するとされる日ではない。至って普通の平日だ。

 古くより伝わる夜行さんとは違う、別種のなにかと捉えるのが妥当である。


「それで、他にも見たんです」


 しかも、この話には続きがある。

 首なしの馬が闇の中へ消えていき、矢部さんはほっとしていた。震えて力が入らない足で、ぷるぷるしながら立ち上がり、またギョッとしてしまう。

 また、道の向こうからなにかがやってくる。

 矢部さんは再び腰を抜かしてしまった。

 今度こそ、駄目かもしれない。

 迫ってくるなにかに怯えていると、闇の中から一匹のうさぎが現れた。

 これまた、首なしだった。

 さらにその後ろからぞろぞろと、まるで大名行列のように様々な動物が列になって歩いてくる。そのどれもが首なしで、馬が消えた方向へと真っ直ぐに突き進んでいた。

 結局、首なし動物が通り過ぎるのに、一時間以上かかっていた。

 途中、さるくまなども混じっていたが、これまた危害を加えられずに済んだそうだ。


 その後、矢部さんは首なし動物が出た道について調べたそうだが、特別曰く付きではなかったらしい。また、その周辺には兎どころか猿や熊も生息していない。動物達が大勢事故死した場所、というわけでもないようだ。


「不思議なんですけど、動物なのにどうして打ち首なんでしょうね?」


 それも不可解だった。

 


 ろうそくは残り――八十六。

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