第183話 帝国の面子

「ライヒハルト大佐。即刻、この侵攻作戦を中止し、軍を撤退させて下さい」


死んだと思われた直属の部下であるメイヤー中佐を連れて帰ってきた、神官で貴族の娘であるツェツィーリアの発言に思わず顔を顰めた。


「それは一神官としての進言か?それとも……公爵家次女ツェツィーリア・フォン・デアフリンガーの立場としての発言か?」


戻って来た部下の話しを聞けばこの娘、神の遣わした死神と対等に渡り合い、それどころか力を授かり、死の間際にたった部下を甦らせて戻ってきたという。

その証が額に浮き出た聖痕なのだと。

涙滴の紋様を周りを茨の縁取りがされた様なその痣を神の遣いにより授かったと。


他の兵士達は「助かる見込み無し」と見捨てざるをえなかった指揮官を連れて帰ってきたツェツィーリアを兵士達は聖女と讃えた。


地獄のような戦場から戻った兵士達は、血みどろになって兵士達を救っていた姿を直に見た者達も多く、『血溜まりの聖女』と口々に称賛し、既に崇拝する者まで現れていたのだ。


それでもまさか……


「大佐殿。ツェツィーリア様は先日、ゼンラ聖教会より聖女としての認可を得ており、現在は聖女位としてのお立場にあらせられます。"一神官"とは少々異なるとご承知いただきたい」


神官長の言葉に「余計なことを!」と口に出すのを堪える。


神やソレに属する類いの何かに祝福された者、聖なる証である聖痕が発現した者を聖教会が『聖人』もしくは『聖女』と認定するのだが……


まさか、こんなに早く『聖女』として認定されるとは!


「それは失礼した。昨日の今日で、"あの"聖教会がこんなに素早い対応をとるとは思っておりませんでしたので」

「神の思し召しでありますれば、聖女様の誕生を総主教様も、いたくお慶びになられております」


バチバチッと互いの視線に火花が散る。


神官長程度ならまだしも、聖女の発言を蔑ろにするわけにはいかない。


軍は戦場で門外漢に口出しされぬよう、聖教会からの人員は神官長以下を旨としていたのに。


「お二人ともその辺で。大佐殿、我々が軍事行動や政治的な決定に口出しする事を善しとしないのは重々承知しております」


「では、「ですが、今回の件は聖教会から皇帝陛下へと申し入れる事となりました」っ!」


この小娘め!隣りの神官長の口元が緩みそうになるのを見逃さなかった。


教会は帝国軍に協力はするが、領土拡大の為の戦闘行為には批判的な立場である。

帝国臣民はほぼ聖教会の信者であり、我々軍人もそれは同じである。

聖教会の発言力は中々に大きい。


皇帝陛下も無視はできまい……


しかし、「私の判断だけでは軍の撤退を決定する事はできない。本国からの命令がなければ、到底聞き入れできない"お願い"であるな」


「それでこの"侵攻軍"が全滅してしまってもですか?」


「何を仰るかと思えば、我々は侵攻軍ではなく討征軍である。水源の一つである、サセ湖とその周辺の安全の為に派遣されたのですよ?」


勿論、そんなのは建前に過ぎず、対協商連合国への圧力をかける為だ。

まぁ、そんな事を知らない人間はいないだろうが。


「神は嘆かれておいでです」

「その御使とか言う死神がおっしゃったと?」


「ハイ」コクンと頷く元ご令嬢の聖女様の顔は、氷の様に恐ろしく冷たい表情である。


「確かに酷い被害を受けたのは事実ですが、残りの四千以上の兵力を相手に、その"死神"とやらが我々を皆殺しできるとは到底思えませんがね」

軽く嘲笑を加えてそう答えた。


「大佐は、地獄を経験された事がおありですか?」


冷たい表情をそのままに、よもや軍人である私にそのような事を問う。


「愚弄するか!小娘!たかだか一回、戦場を経験しただけで!」


「大陸最強の帝国軍を。その高級将校である大佐を愚弄することなどありえましょうか。私はこ度遠征に従軍する際、帝国軍が窮地に陥るなど想像もできませんでした。そんな経験をした先達も記録もなかったからです」


「我がゼンラ帝国に敗北など……」

「大佐、目の前で将兵達が蹂躙される光景を見た事がおありですか?最強とされる帝国軍でありますればこそお聞きしたいのです」


「……」

死ぬのも軍人の仕事である。とはいえ、一方的な蹂躙などいまだかつて経験した事などない。

それは、私だけではなく帝国軍全ての人間に言える事である。

近年の戦争行為において、ほとんどはコチラの一方的な勝利しかないはずである。


兵達の士気はかろうじて下がりきってはいない。

それは目の前にいる、聖女ツェツィーリアのおかげであるとも言える。


今の状態で戦えるのか?

逃亡兵などはまだ出ていないが、それも……


次に負ければ自分への責任は免れないだろう。


「湖の脅威はすでに排除されているのでしょう?」


「は?あ、いえ、それは相手からの通告であって、まだコチラは確認がとれておりませんが……」


真意はともかく、一応の名目は水源である湖の、治安回復の為の派兵である。


「ならば、その確認と協商側とのを行なってはいかがですか?湖の安全が確かめられれば兵を引く事に何の問題もないでしょう」


こちらの葛藤を悟られたか……


強行すれば被害は増大し、兵士達の状態を見るに叛乱もありうる。

しかし、兵を引くにしてもそれなりの理由と名目が必要だ。


「本国に連絡する。特使を派遣する用意を!聖女様には、是非とも特使の派遣に参加していただきたいのですが?」


「勿論です」


部下達に命令を下し、本国に報告と交渉を行う。


「連絡将校、本国と通信を開け」


これは敗北ではない。そう、戦争ですらないのだ。

"不幸な事故"が起きただけである。

なんとしてでも帝国の面子を保ち、私の経歴に汚点を残さぬようにしなければならない。

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