キセイ

エンクロ

第1話 少女

 目が覚めると、うすやみに知らないてんじょうが見えた。


 どこだ?


 目が覚める前のおくをたどる。


 イヤな記憶だった。


 その記憶があまりにも不快すぎて、思わず自分のにおいをかくにんしようとしたけれど、高熱でもあるかのごとく、体は重く、耳鳴りも酷い。


 きのせいか、頭も回っていない。


 ただ、鈍くなった五感の情報からでも、ここがごくではないことだけは感じ取れる。


 とりあえず、眼鏡を確保しようと、何とか上半身を起こしてまくらもとさぐる。


 そして、地獄でも眼鏡をしていなかったことを思いだし、暗い気持ちになった。


 視力は0.03。近視、乱視に加え最近老眼まではっしょうしているこのじょうきょうで、眼鏡無しはけっこう不便なのだ。


 だが、地獄では、この目に助けられた。


 ひどかんきょうに何とかえられたのは、この目のおかげだ。


 目が悪くて本当に良かった。そう思えるほどの地獄からせた。今はそのことだけをよろこぼう。


 ここは、知らない場所なのに、懐かしい感じがして、なぜか安心する。


 すこしけむたいけれど、食べ物のそうな匂いがしていて、地獄で散々イヤな思いをした、ぶつのにおいはしない。


 俺がかされていたのは、少々小さいがとんだし、はだかだったはずなのに、浴衣ゆかたのような服も着せられている。


 あの地獄に比べれば、清潔なだけで天国に思えてくる。


 ユラユラとれる、うすあかりに照らされた天井。


 ふすま障子戸しょうじどたたみ


 なつかしい気分になる。


 ああ、そうか、子供の頃に見ていた風景に似ているのだ。


 そう自覚したら、緊張きんちょうがするりと解けた。


 と言っても、うちの実家よりかなり立派な部屋だ。


 ボケた視界でもハッキリと分かる太いはりと立派な鴨居かもい、十二畳はあろうかという広くて立派な和風の部屋。


 緊張が解けたせいか、酷い耳鳴りが治まりだし、懐かしい音が聞こえはじめる。


 土間を草履で歩き回る音。


 まきのはぜる音に、木製のふたかまにかぶせる音。


 人がいるのは確かだ。


 現状をあくするためには、訪ねてみるのが早いだろう。

 

 声をかけようと口を開いたら、喉の奥が張り付き、壮大に咳き込んだ。


 土間から人の顔がのぞく。


 顔は暗くてわからない。


 ただかわいい声が聞こえる。



「目が覚めましたか? よかった」



 本当にあんした声が聞こえる。


 かなり心配してくれていたのがわかる。


 草履ぞうりぐ音が聞こえ、誰かが部屋へ上がってくる。


 しゃべろうとして、またむ俺に、枕元に置かれたきゅうから、湯飲みに水を入れてわたしてくれた。


 ゆっくりと、喉を湿しめらせるように水を飲む。


 水がうまい。


 体の隅々まで水が染み渡っていくようだ。


 あまりの旨さに一気に水を飲み干すと、すぐに次を注いでくれる。それも一気に飲み干し、一息ついた。


「ごめん、ありがとう、助かった」


「いえ、どういたしまして」


 部屋の灯りはいていないので暗いまま。


 彼女の顔はよく見えない。


 ただ、声がはずんでいるのだけはわかる。


「すみません、状況が分からないのだけれど、助けていただいたのだろうか?」


「はい、はまに打ち上げられていました」


くさくなかっただろうか?」


かいそうまみれで、いそくさかったですけれど」


「そうか、それはよかった。と、すみません自分のことばかりで」


「いえ、だいじょうですよ。それよりおなかがすいていませんか?」


 そう言われて自分の空腹感に気がついた。


 自覚したしゅんかん、俺の腹が鳴る。


「大した物はないですけれど、ぐに用意しますね」


 うれしそうな声でそう言い残し、彼女は土間へ下りていく。


 急須から湯飲みに水をし、喉をうるおす。


 体中に水分がわたる感覚がある。


 急須が空になるまで水を飲んでいると、灯りがともされた。


 よくは見えないが、小皿に油を注いで、しんを落としただけの、時代劇で見るアレだ。


 仄暗い炎と共に、いだことのない、独特の香りが立ち上る。


 彼女の手元にはわんったぼんがあった。


 美味しそうな匂いに、また腹が鳴った。


 相当空腹だったようだ。


「どうぞ、熱いので気をつけて下さい」


「ありがとう、助かる」


 中をのぞくと、卵粥のようだ。


 上には緑のアオサが少しだけりかけられている。


 一口頂く。


 口の中にうまみがはじけた。


 ほのかな、米のあまみ、卵のまろやかさ、あおさの塩気が一体となって口の中に広がる。


 旨い。


 なんだこれ、こんな旨いの初めて食った。


 無言で完食した。


「おかわりはいかがですか?」


「ありがとう、お願いします」


「直ぐに持ってきますね」


 えんりょしようと思っていたら、田舎いなかのおばちゃんの様なかんぺきなタイミングでおかわりをさいそくされたので、思わず返事をしてしまった。


 俺から椀を受け取って、次をよそってきてくれた。


 旨い。


 体の節々が喜んでいる。


 久々の食事に、体が喜んでいるのがわかる。


 またも無言で食べくす。


 コレが最後です。と言われた3はい目を食べ終わったところで、一息ついた。


「はーしかった、こんなしい粥を食べたのは初めてだ。ありがとう」


 ほそった、浅黒い少女がほほんでいた。


 これだけ良くしてくれていると言うのに、俺は自分の名前も伝えていないし、彼女の名前すら知らないことに思い至る。


 体はまだ重くて、自在に動かないけれど、なんとか布団の上で正座をする。


「そういえば自己紹介もまだでしたね。私はナカヤマユウジと申します」


 そう言った瞬間、少女は俺から少しはなれたところに移動して、れするような所作ですわり直すと、深々と頭を下げた。


「私は、海女あまのモエと申します」


「アマノモエさんか。この度は助けて頂いて本当にありがとうございます」


「いえ、海女は仕事で、名字はありません。どうかモエとだけお呼びください」


「名字がない? それに海女? あとなんで頭下げたまま?」


 彼女は一度も顔を上げず、へいふくしたまま受け答えをしている。

 先ほどまでの気軽さはいっさいなく、ものすごくしい感じになってしまった。

 どういうことだ?


「ナカヤマ様、どうかなされましたか?」


 しばし考える。


 天井を見上げて、電灯がない事に気がついた。


 地獄に居たときからうすうすそんな気がしていたが、ここは俺がいた日本ではないようだ。


「モエさん、顔を上げて下さい」


「いえ、そのような失礼なことは」


 話が前に進まなそうだ。


 俺はなんとか体を動かして、平伏する彼女の前で正座をする。


 自分の体にかんを覚えたが、今はモエだ。


 姿勢を正し、深々と頭を下げる。


「モエ様、お顔をお上げ下さい」


「えっと、あれ? ナカヤマ様」


 少しでも、頭を上げさせることには成功したようだ。

 俺もモエに平伏しているので、モエの様子はわからないが、もうひとしか?


「モエ様、この度は命を助けていただきありがとうございます。命の恩人であるモエ様に頭を下げられたままでは、私のがありません、どうかお顔をお上げ下さい」


「いえ、そんな、私は別に大したことはなにも・・・。

ナカヤマ様、私に頭を下げるなどされてはなりません」


「いえ、浜辺に打ち上げられた私を家まで運び、体を洗い、服を着せ、布団にかせ、水と食事まで頂いた。私はモエ様に恩を返す必要があります。そんなモエ様に頭を下げさせるなどあってはなりません」


「え、あ、その」


「顔を上げていただけますか?」


 顔を上げて笑ってみせると、こちらをうかがっていたモエと目が合った。


 平伏から、正座で手をついている状態まで上体を上げてくれてはいるが、せめて正座まで持って行きたい。


「あの、ナカヤマ様」


「モエ、ユウジだ。ナカヤマは忘れてくれ。それと体を起こしてくれ、今の俺には、この体勢は少々しょうしょうつらいんでな」


「いえ、そんな失礼なことは」


「モエが体を起こしてくれないと、俺もずっとこのままだ」


 モエがまどいながら、正座の体勢まで体を起こしてくれた。


「さて、誤解があるようだから誤解を解いておくね」


「誤解ですか?」


「そそ、名字がある人がえらいんだよね」


「はい、そうです」


「俺は日本ていう国の人間で、平民だ」


あえて日本の名前を出してみる。


「日本ですか、初めて聞きますし、その、平民とは何をする方なのでしょうか?」


 そう来たか。モエは職業と名を答えた、ならば


びんぼう農家のなんぼうと言ったら分かるかな?」


 ものすごいおどろいた顔で聞いてくる。


「農家の方なのに名字があるのですか? 。小作人ではなく、ご自分の田畑をお持ちなのでしょうか。それとも、ご先祖にさぞや名をはせた方がいらっしゃるとか?」


 おお、食いつきがいいな。


 話を合わせておくか。


「うーん、家の田畑はあるけど、おやが細々とやっているだけなんだが」


「お父様がお一人でですか?」


 ものすごく驚いている。


 モエの反応を見る限り、農機を使った農業というのもに理解がないようだ。


 俺の子供のころは、しんせきなどが集まって、手作業で田植えなどを行っていた。


 田植え機を買うまでは当たり前の光景だった。


 モエの格好、家の造りを見る限り、原動機をとうさいした農機があるようには見えない。


「んー、それじゃあ、ちがおもしろい話をしてあげよう。俺の国では全員が名字を持っている。だが一番えらい人には名字がない」


「えらい人に?」


「そうだ、だからモエが名字で俺を敬うと言うのなら、俺は名字がないモエを敬わないといけない」


「え? え?」


「どうかなさいましたかモエ殿でん


「申し訳ありません、その殿下とはいったい?」


 んー殿下は伝わらないか・・・。


「ならばモエ様」


「わたしに様付けはおやめ下さい」


「ならモエ様も最初のように私に接して下さい。でないとモエ様を敬いますよ」


「わかりました、ナカヤマ様」


「わかっていませんよモエ様、ユウジと呼んでください」


「ユウジさん、私に様付けしないで下さい、なんだかずかしいです」


「よし、それでいい、モエ」


「はい」

 

 助けてもらった人間として、敬語で接したいところではあるけれど、モエがまたかしこまると困るので、口調をくずすことにした。


「失礼ですけれど、お父様お一人でどれくらいの農地をお持ちなんでしょうか?」


「うーん、水田15枚、畑が5枚で多分だけど2ヘクタールと言ったら分かるか?」


「申し訳ありません。その、こくだかなら・・・」


 げ、石高だと、俺がわからない。


 たしか一年間に一人が食う量の事だったか?


 んー、たしか米以外もかんさんされるのだっけか?


 まあよくは分からないが、きょうだい親戚が一年10人食えている。


 まあ、食材は買い足すけれど、そんな細かいことを気にしても仕方が無い。


「んー10石位と言ったら分かるか?」


「ご家族全員でやってらっしゃるのですよね?」


「いや、親父が一人でやってる」


「そんなたくさんの田畑を一人でですか?」


 モエは聞き上手だ。彼女の反応を見るだけで楽しくなってきた。


「そう、一人で田植えをして、いねりをやるぞ」


「ものすごいお父様なのですね」


「ああ、スゲーぞ、それ以外にも仕事してるからな」


 モエの顔がポカーンとしていて楽しい。


「ところでモエ、家の人は?」


やりやまいで・・・家には私一人です」


「そうか、そんな状況なのに何処どこの馬の骨ともわからん男を助けて、家に上げてくれてありがとう」


 改めて深々と頭を下げる。


「いえ、そんな、私も久しぶりに人がいるのがうれしいんです」


「そうか、そう言ってもらうと俺も助かる。ところでモエはいくつだ?」


「14です」


「14であの料理、将来良いおよめさんになるな」


「いえ、もうよめのもらい手なんて・・・」


 モエの顔が料理をめたところまではがおだったが、嫁の話になったとたん暗くなった。


「えと、モエさん?」


「いえ、何でもありません、それよりつかれていませんか?」


 明らかに話をらされた。


 しかし俺も疲れているのは本当で、横になりたいとも思っている。


 それに他人の家の事情に、ズケズケ首をむモノでもない。


 ただ気になった事だけ訪ねてみる。


 モエの所作があまりにも美しすぎる。


 家の立派さや、所作の美しさに対して、モエの格好や職業に違和感があるのだ。


「モエはれいただしいな、親が教育してくれたのか?」


「はい、何代か前のご先祖様が、貴族様にそうを働いて無礼ぶれいちにあったとか。私も親より厳しく育てられました」


 貴族か・・・、ヤバいところに来たようだ。


「モエはすごいな、この国のれい作法は知らないが、モエの所作とことづかいは俺の国でも通用するぞ」


「そう言っていただければ」


「ただ、もう少しくだけた感じだと、こちらとしてもありがたい」


「・・・その、どのように接したらよいのか」


「うん、そうだね。この地域の人と同じで構わないよ」


「その、本当に貴族様では?」


「本当だから、安心しろ」


 モエと話しながら、彼女の顔の変化を観察する。


 昔の知り合いと同じで、感情のふくが激しい気がする。


 暗いときと明るいときの差が大きすぎる。


 だが、ここの文化と言うこともありえる。


 頭のすみに置いておこう。


「ユウジさん、お体の方は大丈夫なのですか?」


「そうだな、今日は休ませてもらうよ」


「はい、おやすみなさい」


「おやすみ」


 俺が布団に入ったのを確認してから、モエは襖を閉めて部屋から出て行った。


 横になりねむりに落ちるまで、モエの表情の変化を思い出していた。


 まあ、考えても仕方がない。


 襖の向こうから聞こえてくるモエの気配を感じながら、眠りに落ちた。



☆☆☆



 翌朝、とても良い匂いで目が覚めた。


 焼き魚か?


 襖は閉められているし、障子戸も閉められているので部屋の中は暗いが、障子に、木戸からはいむ細い光が映っている。


 日がのぼっているのだろう。


 起き上がると昨日の夜とちがい、上半身が簡単に起こせた。


 ためしに立ち上がってみる。


 体を一通り動かすと、昨日の不調がうそのように体が軽い。


 ただ、着せられている浴衣のような服が小さくて、体を動かすと服がる。


 それにあまりごこの良い素材では無い。


 助けられたくせに、服の着心地が悪いとか、俺もぜいたくなもんだなと思ってしまう。


 とにかく、俺は元気だ。


 布団をたたんで、押し入れにでも仕舞おうとふすまを開けて、すぐに閉めた。


 広くて長い廊下が見えたのだ。


 やはり、この家は大きい。


 俺のていた部屋の大きさは、たぶん畳十二畳はある。


 畳んだ布団を部屋の隅に避けて、昨日モエが出入りしていた襖を開ける。


 土間があり、モエが食事を作っている姿を見つけた。



「モエおはよう」


「ユウジさんおはようございます。食事はすぐに準備しますので」


「ありがとう、助かるよ」



 襖を開けると広い土間が一望できる。


 がりがまちに足を置き、敷居にこしけて、モエが朝食を作っている様子をうかがう。


明るい場所で見るモエは、俺のボケた目でも小さくてせすぎに見えた。


身長は130センチメートルないように見える。


14才の標準がどれくらいか覚えていないけれど、小学生のめいより小さく見えた。


「ユウジさん、食事は粥と、つうの食事どちらがよろしいでしょうか」


「え? もしかして両方作ってくれたのか?」


「いえ、あの・・・」


 返答をちがえた。


 ここはなおに感謝の意を示せばよかったのだ。


 モエの顔が、ものすごく暗くしずんでしまった。


 気がかりなことがあったので、モエに近づいて、かたたたいて顔をのぞむ。


「モエ、本当にありがとう。普通の食事で大丈夫だと思うけれど、粥でも良いぞ」


「わかりました、すぐに用意しますね」


 顔を上げたモエを見て、背筋が寒くなった。


 昨日はうすぐらい部屋で見えていなかった。


 モエの目がヤバい。


 この目を知っている。


 こわれかけの人間、あるいはこわれた人間の目だ。


 目の光だけが消えている。


 「あの、ゆうじさん、どうかなされましたか?」


 「いや、なんでもない」


 俺の奥底で何かがドクンと脈打った。


 長い間封印していたソレが、胎動をはじめた。




 簡素なぜんに乗せた朝食が運ばれてきた。


 焼き魚にしるかコレ!


 白米に、焼き魚、貝の味噌汁。


 ちょうごう


「お待たせしました」


「いや、朝早くからありがとう」


「冷める前にがって下さい」


「俺だけ? モエは」


「お客様の前での作法には、その、自信がありませんので」


「農家のせがれに気をつかう必要は無い、いっしょに食べよう」


「ですが・・・」


「一人で食べると味気ない、モエが一緒に食べてくれると俺も嬉しい」


「そうですか、それでは失礼します」


 モエの分の膳が用意された。


 俺のとはメニューが違う。


 俺の膳には白米と焼き魚、貝の味噌汁。


 モエのぼんには、一つのうつわに雑穀と小さな貝がいくつか乗っていた。


 突っ込むと別で食事されそうなので、スルーして頂くことにする。


「いただきます」


 モエが俺を見てオロオロしている。


 作法がどうのとか言っていたので、食事の作法を間違えたとか思っていそうだ。


「俺の国のご飯を食べるときの習慣だ。作物を作ってくれた人、作物や魚を育てた自然。全てに感謝を表す言葉だ。今は特に、朝食を用意してくれたモエに感謝をして頂くとする」


 アワアワしているので、感情が完全に死んでいるわけでもなさそうだ。


 壊れかけと言ったところか。


「いえ、私は全然大したことは」


  焼き魚を一口頂く。


「って、コレ旨いな」


「ありがとうございます、朝から海へ行った甲斐かいがあります」


「えっ、もしかして俺のためか」


 あ、また言葉を間違えた。


 ここは感謝を表せばいいだけだった。


 どうもえんりょぐせというか、自分本位にモノを考える癖がけない。


 思った通り、モエの顔が沈み込んだ。


「あ、えと、家に大した物がなくて」


「いや、味噌汁と飯でも全然大丈夫だよ」


「一人だと口に出来る物だけで済ませてしまって・・・」


「本当にありがとうな、すごく美味しい」


 本当にいが、日本の食材とは違う。米も日本の方が美味い。


 しかし、なぜだろうか。


 味的には落ちるが、体感というか、感情というか、ものすごく美味しいと感じている。


 魚も知らない形をしていたが、サンマっぽい味でい。


 用意してもらった膳の食事は全て平らげ、白米のおかわりまで頂いたが、なぜか食前より腹が減っている気がする。


 俺の腹は貪欲に食料を求めていた。


 「モエ、すまないが、粥があるのならそちらも頂いていいか?」


 「はい、すぐにお持ちします」


 元々大食いではあった。


 けれど、他人の家で遠慮なく食いまくるほど常識外れでもない。


 しかし、いくら食っても空腹感が収まらない。


 モエが作っていた普通の食事に加え、粥も全て平らげ終わった頃にようやく空腹感が収まった。


「すまん、助けてもらった分際で・・・」


「いえ、おいしそうに食べてもらうだけで十分です」


「本当においしかった、朝早くからありがとうな」


「ハイ」


 朝食を終え、片付けくらいやろうと膳を運ぼうとしたら、止められた。


「お客様で、がりなので大人しくしていて下さい」


 モエにはそう言われたが、昨日の不調が嘘のように体が元気だ。


 自分でも驚いている。


 試しに色々体を動かしてみるが、日本にいたときより調子が良い。


「モエは、この後仕事か?」


「はい、海女の仕事があります」


いてってもいいか?」


 今までモエはうれしそうにしていたと思う。


 それがいきなり暗くなった。


 表情の変化がきょくたんすぎる。


「それは構いませんけれど、休んでいなくて良いのですか?」


「ああ、なんか体が元気でな、外を歩きたい」


 外に出るとき、モエが草鞋わらじのような履き物を用意してくれたが、小さすぎて入らなかった。


「足も大きいのですね」


「仕方ないからだしでいいや、帰ってきて足を洗うおけとかあるか?」


「この桶を使って下さい、水はめておきますね。こちらの手ぬぐいを使ってもらって構いませんので」


 テキパキとみずがめからしゃくおけに水を入れ、がりかまちじゃにならないところに桶を置いて、手ぬぐいまで用意してくれた。


「なんか余計な仕事増やして悪いな」


「いえ、人が居るのが嬉しくて」


 足洗いの準備が整ったので、モエについて、薄暗い土間から外へ出る。


 太陽の光に目がくらんで、目が明るい場所に順応すると、そこには雑草にもれた村があった。


 家の全部、あるいは半分ほどがツタにおおわれた家々。


 雑草は自分こそが太陽の光をどくせんしようと、背をばし続けているようで、俺の胸や顔までの高さがある。


 かえると、モエの家も雑草に囲まれてはいるが、ツタはからまっていなかった。

 モエの家は、日本風木造家屋で、屋根は平べったい大きな石が三層ほど載っている。


 がわらと重しけんようで載せてあるような感じだ。


 海辺の村だし、風対策なのだろうか?


 それにしてもモエの家だけデカい。


 他の家の倍はありそうな感じだ。


 それに二階建て。


 かなりの数の家が建っているのに、モエの家以外、二階建ての建物が見当たらない。


 モエって何者?


 まあ、せんさくしてもしょうがない。


 それにしても、人が全くいない。


 そんな早い時間でもなさそうなのだが。


 俺の実家も、かなり田舎でが進んでいる。


 大水害があった後は、過疎化が加速した。


 今では立派な限界集落だ。


 この場所からも、人が減ってしまったさびしさが感じられる。


 通り過ぎる家のげんかんも雑草に覆われていた。


 草が無いのは、海へ向かう道と、小さな橋がかっている場所だけで、村の全てが草に埋もれていた。


 モエに村のことを訪ねようかと思ったが、顔が暗い。


 聞いてしくない事だと判断して、だまってモエに付いていく。


 モエの歩く先には、防風林と海が見えている。


 太陽の光を反射して、青や緑にかがやく海が、ものすごれいだ。


 暴風林に開いた道を進んでいくと、足場に砂が増えていく。


 えだと土混じりの砂から、サラサラの気持ちいい砂に変わっていく。


 防風林をけたそこはとてもれいな場所だった。

 

 ボケた視界でハッキリは分からないが、たぶん天然のわんになっている。


 海はおだやかだ。


 すなはまは真っ白で目が痛い。


 砂はきめが細かいため、みしめる足の裏がここよい。


 海の生き物が豊富なしょうだ。


 海の色も南国を思わせる。


 モエははまの入り口にある小屋へ入ると、大きなおけかかえて出てきた。


 海に木桶をかべると、服をぎ、砂浜に置いた小さな桶に入れ、海へと入っていく。


 ってか、ちゅうちょなしに裸になったな。


 モエの身長は多分120か130センチメートル。


 かなりせている。


 はだが浅黒いのは、裸で海に入っているせいだろう。


 かみは肩までのストレート。


 黒目黒くろかみで日本人にしか見えない。


 服をいだら下着無しのスッポンポンだ。


 しかし、俺の目ではかなりぼやけているが、細過ぎるように見えた。


 その割にはおなかが出ている。


 モエは桶をして、腰あたりまで海に入ると桶につかまって、沖に向かって泳いでいく。


 海の緑がくなった辺りで止まって、海に顔を何度か着けて場所を決めると、もぐっていった。


 海のあざやかな緑色の部分の下は砂である。


 太陽の光が砂で反射して、あの美しい色を出している。


 色がい部分は、岩場かさんでもあるのであろう。


 そんなどうでも良いことを考えながら、海にもぐり、浮かべた木桶に貝類を入れては、また潜っていくモエをながめた。


 浜辺で打ち寄せる波の音を聞きながら、たまに海から顔を出すモエを見ているだけで心が安らぐ。


 ここは良いところだ。


 のんびりしているし南国のような砂浜だし、リゾート気分だ。


 後ろを振り返ると、暴風林の向こうにモエの村が見える。


 おくに見えるのは段々畑だろうか?


 俺のぼやけた目では良くはわからないけれど、ここは昔、農業と漁業で栄えた村かも知れない。


 しかし、ここはどこだろう。


 昨日、俺が日本出身だと言ったがモエは知らない様子だった。


 今朝の『いただきます』も初めて見たと言っていたしな。


 それに村をふくめ、今まで電信柱を一本も見ていない。


 日本で人が住んでいる場所に、電信柱が無いとかあり得ない。


 しかし日本でないのなら、モエと話せているのも不可解だ。


 海と空を見ただけでは、ここがどこかの判断が付かない。


 今夜にでも星空を見上げてみよう。


 考え事をしていると、モエがもどってきた。


 立ち上がり、モエが取ってきたぎょかいの入った大きな桶を、一緒に浜に上げる。


 桶がデカいだけあって結構重い。


「ユウジさん、沢山取れましたよ」

 

 裸のモエが、にこやかに笑いながら報告してくる。


 あまりにも無防備だ。


 こちらが照れると逆に失礼に思えるくらい自然体である。


 しょくぎょうがら、裸にしゅうしんがないのかもしれない。


 とりあえず、なるべく顔に出さないようにモエと接する。


 しかし逆光の中の裸のモエには、もう少しお肉を付けてしいと思う。


 手足は細いし、お腹もちがいではなく、体の割にぽっこり丸い。


 服を着たモエと一緒に、大きな桶から、小さな手持ち桶に魚介を移す。


しないようにして下さいね、慣れないと手を切ってしまうので」


りょうかい、持ち方がわからないのはけるから」 


 モエは楽しそうにしている。


 防風林の手前に建っている小屋は海女小屋なのだろう。そこまで大きな桶を運んだ。


「すいません、手伝ってもらって」


「いいよ、これくらいはやらせてくれ、少しでも恩返ししないとな」


「あの、元気になったら帰られるのですか?」


 不安げにモエが聞いてくる。


 その顔を見て、また腹の奥底で脈打った。


 昔自分の中の奥深くに沈めてフタをしたはずだった。


「この場所がどこか分からないし、俺の国がどこにあるのかも分からない」


「え? そうなんですか? ここは南島です」


「すまん、分からん、国はどこなんだ?」


「えっと、たしか神の国だったかな?」


「自分の国が分からないのか?」


「私が名前を聞いたのは、3年ほど前に一度だけで・・・」


 モエの顔が暗い、知りたい情報ではあるけれど、話を変えよう。


 桶の中に入っている一番気持ち悪いのを指さして、「これ美味いのか?」と聞いて話をらした。


 モエが笑いながら、美味しい食べ方を教えてくれたが、目の光が消えているせいか、俺をだましているようにも聞こえる。


 会話をらす事には成功したようで、モエの顔が少し明るくなった。


 しかし、また大層な名前の国である。


 もちろん地球上にそんな鼻で笑われそうな国はない。


 いや、俺が知らないだけで、そう言った意味合いの国はあるのか?


 まあいい、一度星空を確認した方がいいな。見覚えのある星座が見えることをいのっておこう。


 防風林をける前から、またモエの顔がくもってきた。


 俺はこういった表情の変化を見せる少女を、昔から放っておけない。


 経験上、この顔の変化は何かしらの問題を抱えている事を意味している。


 問題が大きいかどうかは分からないが、モエにとっては大きな問題だと言うことは分かる。


 この不安げな顔を止めるには、モエのかかえる問題を、モエがなっとくする形で解決するしかない。


 どうやってモエと関わるかなやんでいると、モエがひどつらそうな顔をしていた。


「あの、私はこれから用事があるので、先に私の家に帰ってもらっていいですか?」


 モエの顔は沈んでいる。


 その顔を見てドクンと、また脈打った。


 遠い昔に封印したはずだ。


 若い頃、この感情に突き動かされ、犯罪を犯しまくった。


 警察沙汰になり、職場も追われ、俺の心も折れた。


 全ての成り行きを知っていた友人が、その時に俺に付けたあざなは『童貞やらずのハーレム王』だった。


 それ以来、心の奥深くに沈めて、蓋をしていたはずなのに、いつの間にか蓋をこじ開けてそいつが顔を出している。


 胎動をはじめて、俺の腹の奥から一つの感情を湧き上がらせる。


 モエ沈んだ顔を見て、助けたいと思ってしまった。


 知らなければ、関わり合いにならなければと、今まで逃げ続けてきた。


 しかし、今、目の前に、何かに苦しんでいる娘が居る。


 俺は思春期で困っている娘を見ると助けてあげたいと、心の底から願ってしまう厄介な病気を抱えている。


 今の言葉で表すならば、中二病と言った方がしっくりくるかも知れない。


 お前になにができる。と、もう一人の俺が囁いている。


 しかし、モエを目の前にして我慢できなかった。


 俺の中の『童貞のハーレム王』が目を覚まそうとしている。


 俺は、ただ、困っている思春期の娘を助けたいだけなのだ。


 だが、助けるというのが、そもそも間違っているのだ。


 それを理解したうえで、それでも、モエを笑顔にしたいと願ってしまった。





 来るべきではなかったのかもしれない。


 地獄だった。


 モエに案内された家の中は、酷い匂いで、小さな虫が飛び回っている。


 俺の目の前には、土間の上におかれた、木板の簡素なベッドが三つ並んでいて、それぞれのベッドには、一匹びきずつ寝かされていた。


 一匹の餓鬼は、まつな布団がずり落ちていて、痛々しい体があらわになっている。


 ほそり、手足は骨と皮だけ、体もガリガリに痩せて。骨がいている。


 そのくせ腹だけは丸々としている。


 まさに餓鬼なのだ。


 モエはこの三匹を俺に紹介して、逃げるように外へ水をみに出た。


 この場所は、かくじょ


 病人を隔離かくりするための家だ。


 ここにいるのは少女で、ミコ、アユ、ハツ。


 どの子も身長が1mほどにしか見えない。


 ねんれいは聞かなかったけれど、この身長ならたぶん小学生に上がる前か。


 顔は骨と皮だけのがいこつで、苦しみにゆがんでいる。


 とても見ていられない。


 ただ、死を待つだけの少女達たち


 俺に何が出来るのか?


 こんなの俺になんとか出来るわけがない。


 俺にはりょうの知識など何もない。


 そもそも何の病気かもわからない。


 そういえば、先ほど見たモエの裸、腹が出ていた。


 この子達ほどひどくは無いが・・・


 俺もここにいれば、この子達と同じ運命を辿たどるのかと思うと背筋が寒くなる。


 背筋にかんが走った時に、一人が目を覚ました。


 布団がずり落ちて痛々しい体があらわな餓鬼、ミコだ。


 俺の顔を見るとなみだを流しながら、動かない手をふるわせいっしょうけんめい俺に手をばす。


 思わずひざまずきミコの手をにぎる。



「か・・み・・・・さ・・・ま」



 とても少女とは思えないれた声でささやく。


 彼女には俺が神様に見えているのか?


 病でげんかくでも見ているのだろうか。



「お・・・・ね・・が・・い・し・・ま・・・す」



 ミコは俺の顔を見ていなかった。


 俺の下腹部。


 俺のお腹を向いて話をしている。


 体がまともに動かないのか、幻覚を見ているのか、どちらにしても痛々しい。


 俺もミコの視線の先を辿ってみると、俺のあしもとが光っていた。


 俺は浴衣のような前開きの服を羽織っているだけだ。


 服の中にかいちゅう電灯でもんでいるように、俺の足下が明るい。


 おそおそる服の前を開くと、俺の腹がこうごうしくかがやいていた。


 なにコレ?


 明るさを増していく腹の光。


 それとえに俺の意識が遠ざかる。


 自分の体なのに何が何だかわからない。


 段々と体の感覚が消えていき、くらやみに包まれた。


 ハッキリとはしないが、ぼんやりと意識はある。


 体の感覚も多少はあるけれど、全身麻すいをされた手術中の感じに似ている。


 なんとなく体が動いているのは分かるけれど、手が動いているのか足が動いているのかまでは分からない。


 なにが起こっているのか分からなくて、パニックにおちいっていると、体の感覚と視界が戻った。


 俺はミコの足下に立っていた。


 先ほどまでミコの横にいたのだ。


 俺の体が動いている。


 ミコを確認するが、何も変わっていないように見える。


 はだけた布団をミコにけて、顔を覗き込むと、先ほどと違って幸せそうな顔をしている。



「おい、大丈夫か?」


「み・・・ず」


「水だな、ちょっと待てよ」


 近くに置いてあった急須に水が入っていたので、そのまま飲ませる。


 ゆっくりゆっくり水を飲んだ後、口をはなしたと思ったら、パタリとベッドにたおこんだ。


 死んだのかと驚いて、胸に耳を当てる。


 ちゃんとどうは聞こえるし、胸も上下している。


 ただねむっただけのようで、規則正しいいきが聞こえてくる。


 心臓に悪いな。


 とりあえず安堵はしたが、俺はミコに何かしたのか?


 ミコの横にいたはずが、気がついたらミコの足下に居た。



「ユウジさん、すいません一人にしてしまって」


「あ、おう、だ、大丈夫だ」



 何が大丈夫なのか自分でも分からない。


「ユウジさん、この子はキナ。この子達のお世話をしています」


 モエのとなりに、モエより身長が低く、より痩せ細った、薄汚い少女がいる。


 俺に向ける目はしん人物を見る目だ。


 まあ、いきなりよそ者が来たらこんなもんか。


 いや、もしかして先ほど光っているのを見られたのか?


「あ、ああ、ユウジだ、よろしく」


「ミコに何かした?」


 キナがミコを見ながら聞いてくる。


 頭の整理が付かないまま口を開く。


「い、いや、その、ち、りょうをな」


 自分でもその言い訳はあんまりだと思うが、言葉が勝手に出てきた。


「治療ができるのですか?」


 心底驚いた顔をしたモエが聞いてくる。


 素直なモエの反応が心に痛い。


 そりゃそう言ったらこう返されるよね、俺は馬鹿なのか?


「い、いや、効果があるかはわからないからさ、やってみただけで期待しないで」


「ミコが幸せそうな顔してる」


 そういうキナはげんが悪そうである。


 俺が気に入らないのか、それともミコに思うところがあるのかまでは分からない。


「ホントだ、こんな顔、今まで見たことない。ユウジさん凄いですね」


 モエ、そんな裏表のない笑顔を俺に向けないでくれ、心が痛い。


「いや、その・・・今から何をするんだ?」


「この子達とキナの食事の用意と、体をくんです」


「ああ、そうか、食事は手伝えないから、俺が体を拭くよ」


「いえ、そんな、大丈夫ですよ」


「いや、手伝わせてくれ」


 キナとモエが食事を作っている間に、俺は餓鬼の体を拭く。


 お湯を少しもらい、ぬるま湯に布をひたしてしぼり、眠ったままのミコの体をげる。


 ミコは目を覚まさない。


 体のすみずみまで拭き上げるが、酷い。


 こんなになっても人間って生きていられるのか?


 体を起こして背中をこうとして、顔をしかめる。


 背中はとこれが酷く、見ていられないほど痛々しい。


 というか、なんで板の上に直接寝ている?


 それにお腹は、れつするのじゃなかろうかと言うくらい、パンパンにふくれていた。


 そのくせ、おしりは骨と皮だけで丸くない。


 ミイラにしか見えない。


 ミコは目を覚まさなかったので、同じ調子でアユの体をいた。


 アユの顔が苦痛にゆがむ。


 拭いても、うでを動かしても痛みが走るようで、手が止まる。


「ゴメンな、痛かったか?」


 アユからの返答はない。


 ただ苦痛の表情を浮かべるだけだ。


 なるべく体を動かさないようにやさしく拭いていく。


 さわっただけで折れそうだ。


 背中を拭こうと上半身を起こそうとすると、もの凄く痛がったので止めた。


 床擦れの状態を確認したかったのだけれど。


「モエ、ぐすりとか無いよな?」


「すいません、薬師もいなくなって・・・」


「いや、大丈夫だ」


 自分でも何が大丈夫なのか不明だ。


 ただ、不安そうなモエを見て思った。


 たとえ大丈夫でなくとも、俺が不安そうな顔をしてどうする。


 ここには子供しか居ない。


 大人の俺が不安にさせてどうする。


 そもそも俺は何のためにここに来た。


 モエを笑顔にするためだろうが。


 こんな時は、不安をあたえないように、大丈夫そうな顔くらいしなければ。


 まあ、逆に言えばそれくらいしかできないのだけれど。


 自分に何かできないかと悩んだ結果、思い浮かんだのはショボい魔法だった。


 痛いの痛いの飛んでいけ。


 痛い場所を触って、意識を分散、暗示でその気にさせる、日本のほうだ。


 パンパンに張ったアユのお腹に直接手を置いて言ってみる。


「痛いの痛いの飛んで行けー!」


 やってみると、かなりずかしかった。


 いきなり大声を出した俺に驚いて、モエとキナが俺を見ていた。


「それ・・・、もっと・・・」


 体を拭く痛みでも、声を出さなかったアユがしゃべった。


「痛くないか?」


「痛いの・・・少し・・・減った、・・・もっと」


 それからアユに言われるまま、お腹や、胸に手を置いておまじないを行った。


 毎度毎度声を出して言うのも、かなり恥ずかしいけれど、死にそうな娘にこんがんされてやめるほどではない。


 服の上から手を置いたり、肌にちょくせつふれてみたりと、色々試ためしてみた。


 どうも肌に直接手を置いてやると、痛みがやわらぐらしい。


 声を出すのをやめて、さわるだけにしてみる。


 両手を使って、お腹と胸に手をのせる。


 俺の手だけで、お腹と胸がかくせてしまうほど、アユの体は小さかった。


 アユの顔が少しだけゆるんだように見えた。


 アユが寝息を立て始めたので、隣のハツのお腹にも手を置いてみる。


 ハツの顔も少し緩んだ気がした。


 体を全然拭けていないけれど、これで痛みが少しでも意識かられてくれるのなら、それがいい。


 そういえば、整体師の資格を取るために学校に行っていた知人から聞いた話だと、手から気を出す練習をするらしい。


 もちろん、気が出ているかどうかを確かめる術はない。


 だが、授業には気を出す練習があったらしいのだ。


 アユとハツのお腹の上に手を置いたまま、気を出そうと色々頑張ってみたけれど、出ているような気もしなければ、アユとハツの表情にも変化が見られない。


 昔、保護していた娘の事を思い出した。

 その娘は生理痛が酷く、塞ぎ込んで不機嫌になるのだが、俺の手をお腹に乗せると痛みが引くと言っていた。

 生理の度にその娘は俺の手を取り、お腹に持って行っていた。

 手を放すと怒られていたな。

 その娘が、俺の手が温かくて痛みが引くと言っていた。


 アユも同じような感じなのかもしれない。


 二人のがおを見ているあいだに、食事の準備が終わったけれど、3人は寝息を立てていた。


 キナとモエが3人の顔を覗き込む。


「アユとハツも、いつもと顔が違いますね」


「触って意識をそらしてるだけだ」


「私が触っても痛がるだけですよ?」


「キナも触って」


 キナの顔が真剣だ。


「キナも痛いのか?」


「すごく」


 キナを上がりかまちにかせて、服の上からおなかを触ってみる。


「痛い・・・」


 服の中に手を入れて、直接おなかを触る。


 外見からも分かっていたが、おなかが張っている。


 アユたちと同じだ。


「あ、痛いのが遠くに行った。あったかくて気持ちいい」


 キナの顔が少しゆるむ。


 ああ、はやり生理痛の娘と同じ顔をするな。


 すこし緩んだ顔のキナに、症状を聞いてみた。


 どんな感じにおなかが痛いのか?


 おなか以外も痛いのか。


 そんな話をしていたら、キナも眠った。


「痛みであまりねむれてないみたいなんです」


「そうか、なら、しばらくこのままにしとくか」


「はい」


 キナの寝顔を見ながら、モエの体調も聞いてみる。


 モエもおなかの張りをうったえている。


 モエのおなかも触ってみる。


 他の子みたいにパンパンに張ってはいないが、おなかだけ膨れている。


 便やガスの話を聞いてみるが、よく分からない。


 まあ、全員おなかに異常を抱えている。


 この病気は一体何が原因か・・・


 考え事をしていると、モエも俺にもたれかかって眠ってしまった。


 とりあえず自分にできることを考える。


 モエはともかく、他の子の衛生状態が良くない。


 というか、この隔離所がだ。


 まずはそうか。


 建物周りの雑草もどうにかした方がいいだろうな。


 俺に医療知識は無いが、衛生状態を改善するくらいならできる。


「すいません、眠ってしまったみたいで」


 モエが目を覚ました。


 その声でキナも目を覚ます。


「気持ちよかった、こんな気分は久しぶり」


「そうか、これくらいで良ければ後でまたやってやる」


「ほんと?」


「ああ、大丈夫だ、その前にここの掃除やっていいか?」


「掃除してるよ?」


「そうか、でももう少しだけな。病人が住むならもう少しきれいな方がいい」


 話をしているとアユとハツが目を覚ました。


 とりあえずアユとハツ、キナの食事だ。


 メニューは水がほとんどの粥だった。


 固形物は米ではない穀物がやわらかくられている。


 今朝俺が食った飯には米が入っていた。


 この粥には米が入っていない。


 ただ魚介が入っているのか、香りはよい。


 モエがアユに、俺はハツに食事をあたえる。


 ハツはあまり食べなかった。


 おいしいとも思っていないようだ。


 ハツを観察すると、少しおかしいことに気がつく。


 目が少しだけだが、違う方向を向いている。


 それに手が引きつっているのか、変な曲がり方をしている。


 アユの様子をうかがうが、アユもあまり食べていないし、痛みが強いのか、顔が歪んでいる。


 二人に比べれば、まだたくさん食べてはいるが、キナもおいしそうに食べているように見えない。


 この集落の様子、モエたちの様子を見て、気になっていたことを聞いてみる。


「なあ、この村、何人生き残ってる?」


「・・・」


 暗い顔でうつむくモエに変わり、少しトゲのある声でキナが答える。


「これで全員」


「そうか」


 なんとなくだが予感はあった。


げたくなった?」


 キナが言う。


 心底馬鹿にしたような言い方だった。


 まあ、こんな所に流れてきてごしゅうしょうさまとでも思っていそうである。


「そうだな、したいな」


 モエの顔が悲しみに歪む。


 モエが悲しむのは分かっていたが、きれい事を言ったところでキナは納得しないだろう。


 だがキナの表情は変わらない。


「ここ島だから、げる場所ないよ」


「そうか、それは良かった。さずにすみそうだ」


「治療できるの」


 キナは俺に冷たい。


 この子の元々の性格なのか、この状況でこうなったのかまではわからない。


「すまん、本当にわからない」


「そう」


 そんな重苦しい空気の中、ミコが目を覚ました。


「お腹痛い、出る」


「ミコ、ちょっとだけ待って」


 キナがミコの乗った木台の下に木桶をえてミコの尻の下にいてある板を外す。


 たまま用が足せるようになっているらしい。


 なんで木の板の上に寝てるのか気になっていたが、こういうことか。


「ミコいいよ」


 そして俺とキナとモエの時間が止まった。


 ミコの中から出てきたモノが、想像していたモノと全然別物だった。


 モエは口元をさえて、ふるえている。


 キナは目を見開いてドン引き中だ。


 いち早く復帰した俺が動くことにする。


「コレ処分してくる、何処に行けばいい?」


「キナが付いていく、モエはミコに食事を」


 モエは口元をさえてコクコクうなずいている。


 木桶を持って外へ出る。


 さすがにコレをそのまま捨てるのは、抵抗がある。


 かまから燃えている薪を一本拝借してきた。


 火をいてしょうきゃく処分にするつもりだ。


 キナに案内された場所は、村の火葬場だった。


 や落ち葉を集めて火を付ける。


 火の勢いが増したところで桶の中身を投入する。


 軽くなった桶から推測するに、桶の中身は3キログラム程度はあったようである。


 あくしゅうが立ちこめるが、上に落ち葉を投入して火力を上げる。


 投入した後、少しこうかいした。


 出てきた寄生虫の種類くらい確認しておくべきだった。


 キナにも何処で処分しているのか聞いてみると、かわやに中身を捨てて、桶は海で洗っているそうだ。


 ・・・


 コレだけの寄生虫が出てきたと言う事は、下の中に寄生虫の卵が入っていたはずなのだ。


 厠は寄生虫だらけの可能性がある。


 海は塩水で死に絶えているとは思うが、もし生きていたらと思うとゾッとする。


「これからは海で洗うのは禁止で」


 と言うとキナが頷いている。


 火葬場の横に穴をり、海からんできた塩水で桶を洗い、はいすいめた。


 キナと俺はしっかり海で手洗いして、一応念のため村にあるたきで手を再び洗いモエの元へ戻った。




 モエが明るい声でむかえてくれた。


 ミコはもう眠っているが、何時もより沢山食べたそうだ。


 いつもは食べたくないと断ることが多かったが、今日は「ご飯が美味しい」と言っていたと。


「キナも治療できる?」


 キナの声がしんけんだ。


「スマン、本当に俺にも分からないんだ」


「わかった、けど、アレ見たら早くやって欲しい」


「そ、そうだな」


「私の中にも居る?」


「多分、ちがいなく」


 キナのすがるような目が忘れられない。


 俺は少しつかれたので休むと言い、一人モエの家へんだ。




 少し考えよう。


 ってか、俺、光ってたよね。


 ミコは俺の腹を見ていた。


 ヘソを中心に色々調べてみたけれど、おかしな所しか無い。


 腹が割れている。


 シックスパックだ。


 確かに俺は腹筋の運動を欠かしたことがない。


 しかし、俺の腹にはぼうが沢山ついていたはずなのだ。


 ストレスで痩せていたとはいえ、俺の腹は脂肪をためんでいた。


 その脂肪が見当たらない。


 はだつやも良くなっている。


 それに不可解な事が多い。


 体の不調が解消されている。


 あれほど酷かったようつうを一切感じていない。


 面白いもので、身体に痛みがないと、自分が腰痛持ちだったことすら気がつかないようだ。


 そういえば昨日、モエに頭を下げる際、体に違和感があった。


 そう、正座したのだ。


 俺の右足は二度の事故で、少々不便になっている。


 うんこ座りと、胡座あぐら、正座ができないのだ。


 試しにやってみると、なんの違和感もなくできた。


 現在の所、自分の体に関しては良い方向でしか変化していない。


 光は何だろう。


 人体が発光する現象。


 脳内検けんさくでヒットしたのは、放射線を浴びすぎた人間だけだった。


 俺には当てはまらない気がする。


 俺の光はどちらかと言えば金色で、青白い光ではなかった。


 それに、放射線を浴びすぎた人間が不調になる事はあれど、快調になることはないはずだ。


 原因はわからない。


 ただ、ミコが助けを求めたあと、体が光った。


 そのあと意識が遠のき、すぐに戻った。


 そして、ミコの中から寄生虫が出てきた。


 ちょっと待て、・・・寄生虫。


 日本で有名な寄生虫の話に餓鬼が出てこなかったか?


 たしか地方病だっけ? 正式名めいしょうは思い出せない。


 寄生虫の名前は出てこないけれど、なんだっけ? 門脈だったはずだ、たしかかんぞうつながる血管の中に寄生して卵を産み、卵が肝臓なんかをまらせるのだっけ?。


 よく思い出せないけれどそんな感じだったはずだ。


 肝臓が悪くなると、腹に水がたまるんだったか?


 いや、血管の中身が腹から原型を止めたまま出てくるとも思えない。


 ダメだ、考えても全くわからない。


 事実だけをまとめろ。


・俺の体が快調。

・ミコの前で体が光って、前後不覚に陥った。

・ミコの体から寄生虫が出てきた。


 以上だ。


 光と前後不覚と寄生虫。


 前後不覚の時に俺が何かやったのか?


 しかし、本当に虫下しができるとして、再現できるのか?


 あの寄生虫が病気の原因だったら、どのみち俺には何もできない。


 虫下しすら俺にはできないのだ。


 再現できるか分からないが、試してみる価値はある。


 ってか、病気のことを、俺は何も聞いていない。


 しょうじょうについては少し話をしたが、病気の話を聞いていない。


 この村は病気以外の理由で理由で過疎化が進んだだけだと思っていたけれど、病気で村人が死んだとなると致死率が恐ろしいことになる。


 この村の現状を作り出した原因が、ミコ達の病気と関係があるのか、病気について教えてもらう必要がある。


 自分の置かれている状況を理解しないことには、この先動きようがない。


 物事の基本は情報収集。


 なやむのはその後でも大丈夫だ。


 もどる前に、自分のほおを思いっきり両手でたたく。


 俺が不安な顔をしていたらいけない。


 だいたい俺が希望して、あの隔離所に行ったのだ。


 目的はただ一つ。


 モエに笑って欲しかったからだ。


 それに、俺も訳が分からないが、一番の年長者だ。


 としもいかぬ娘達に、不安そうな顔を見せてはいけない。


 なんの手立てもない。


 それでも、俺に任せておけという顔だけはしておこう。


 不安が一番不い。


 たとえ気休めでも、おれは彼女たちに対して、ささやかな安心を分けてやることができる。


 先ほどの俺の行動を思い出せ。


 モエやキナを不安にさせていた。


 不安な顔をするな。


 よし、行こう。




 隔離所へ戻る。


 モエの姿は見えないので、海へ行ったのだろうか? 


 キナの姿も見えないので外を見回すと、雑草の向こうに、その姿がチラリと見えた。


 多分畑仕事中だ。


 仕事の邪魔をするのも気が引ける。


 隔離所の中へ入り、餓鬼3人の姿を見る。


 外見から考えられることを推察しよう。


 痩せている原因はなんだろう。


 食事はモエやキナによってあたえられていた。


 しょくりょう不足による餓鬼化ではないようだ。 


 病気により内臓がやられ、栄養を体にめない?


 それとも寄生虫に全ての栄養源を取られている?


 ミコから出てきた量を考えると、寄生虫に栄養を取られて過ぎて、餓鬼化しているように思える。

 

 他のとくちょうは痩せているくせに、腹が出ている。


 パンパンに。


 水がたまっている?


 そういえば餓鬼の絵でもそうだし、貧しい子供達へのきん広告でもせこけた子供の腹だけが出ている。


 明らかに飯が食えていなくても腹だけが出ている。


 人はえると腹に水がたまる?


 いかんな、本当に俺は何も知らない。


 スマホでもあればネット検索で事は済む。


 頭の中に情報が無いことがこんなにいやなことだとは思わなかった。


 そんな何も役に立たないことを考えていると、ミコが目を覚ます。



「あ、神様だ。痛くなくなったよ」



 ミコが満面のみで言ってくれるが、顔がせこけているのでこわい。



「お、おう、ミコ、体に変なところはないか?」


「ん、お腹すいた」


「そうか、少し待て、何か無いか見てくる」



 なべの中を確認すると、粥が少しだけ残っている。


 火を付けて温め直そうかと思ったけれど、火の付け方すら分からなかった。


 仕方ないので冷めた粥を椀に盛りもって行く。



「冷たいけれど大丈夫か?」


「ん」



 体を起こそうとしているのだろうが、起き上がることができないでいる。


 ミコの体を起こしてやる。


 椀を持とうと手をばそうとするが、うまく手が動かないようだ。



「ほら、ミコ、口開けろ、あーんだ」


「ん」



 ミコに少しずつ粥を与える。



「ん、おいしい」


「そうか、もっと食べられるか」


「欲しい」



 少しずつ粥を与える。案の定、食べるスピードはおそい。


 歯が半分くらいないのは、病気のせいか、わりなのか判断が付かない。


 ゆっくりゆっくり食事を与える。


 鍋に残っていた、椀の半分ほどしかなかった粥がなくなった。



「ごめん、もうないよ」


「ん、おいしかった。あと、お水ほしい」



 急須から直接水を飲ませる。


 飲み終わったのか口を離す。



「なあ、ミコ、少しお話しできるか」


「できる」


「無理しないでくれよ、つかれたら勝手に寝ていいからね」


「ん」


「俺が神様に見えるか」


「ん、神様」


「その、なんというか治療? の後はどうだ」


「気持ちよかった。痛くなくなった。ご飯がしくなった」


「そうか、治療の前は何処が痛かったんだ?」


「全部、でもここが一番痛かった」



 胸の上に、ゆっくりと腕が動く。


 内臓か?


 まあいい。胸が一番痛かったと。



「二番目は」


「お腹と背中」



 内臓系が多い? 背中はとこずれなのか内臓なのか・・・


 考えてもわからない。多分全部なのだろう。



「そういえば、最初に俺とではなくて、神様とお話ししていたよね」


「今もしてる」


「俺とではなくて?」


「うん、神様」


「少し待ってね、俺が混乱している。えっと、俺の名前はユウジだ」


「ユウジ」


「そうだ、で、ユウジと神様は別なのか?」


「ん、別」


「神様がどこにいるかわかるか」


「ん」



 ミコがゆっくり俺の腹を指す。



「ミコ、ここに神様がいるのか?」



 ミコの手がれるきょにおなかを近づける。


 ミコ手が俺の腹に届くと、俺の足下が明るくなった。


 その後、服をとうして光が建物の中を照らし、すぐに消えた。



「神様」


「そうか、ミコは神様とお話しできるのか?」


「ん、助けてくれるって言ってくれた。助けてって言ったら助けてくれた」


「今もお話しできる?」


「ん、できる」


「アユやハツも助けられるのか聞いてくれ」


「できる」


「治療方法は?」


「ミコと一緒」


「あ、来てたんだ」



 手に持った竹かごに、作物を少しだけ持ったキナが帰ってきた。



「ミコと少し話していた。ミコありがとう、疲れただろう。眠ってくれ」


「ん」



 ミコを寝かせて、夕食の準備を始めたキナに話しかける。



「キナ、鍋に残っていた粥、ミコがお腹すいたって言うから食べさせたぞ」



 キナが驚いた顔でこちらをいた。



「え、食べたの? アレを?」


「あ、ゴメン、なんかかったか」


「ああ、そういう意味でじゃなくて、あんなに沢山食べたの?」


「いや、椀の半分くらいしかなかったぞ?」


「あ、そっか、ミコは食べないか、食べてもさじいっぱいとかもあるの」


「そうなのか? 普通に椀半分食べたぞ」


いやがっていなかった?」


「いや、お腹すいたって言ったから食べさせただけだ、美味しいって言っていたぞ」


「ユウジの治療?」


「さあ、どうだろうな、今までそんなに食べなかったのか?」


「ミコは・・・、今日か明日には死ぬと思ってた・・・」


「は?」


「何人も死ぬのを見てきた。ミコも死ぬ前の人と一緒、食べなくなって痩せ細って、苦しみながら死んでいく」


「そうか・・・」


「でも、今のミコは、ご飯食べて幸せそうに寝てる」


「そうだな。ミコが言うには、治療のあと痛みが消えて、ご飯が美味しくなったそうだ」


「は? 痛みが消えるの、この痛みが消える・・・。ねえ、ユウジ、キナも治療して!」


「落ち着け、キナ、少し待ってくれ。本当に大丈夫なのか分からない、ミコで様子を見させてくれ」


「この痛みが消えるなら、死んでもいい」



 キナの目がマジだ。


 どうようするな。


 もっともらしいことを言って、安心させろ。



「治療のために話を聞かせてくれ、ミコは試してみただけで、本当に大丈夫なのか様子を見る必要がある」


「痛みが消えるなら、死んでもいい」



 せまるキナの顔を見て、キナの痛みが少しだけ理解できた気がする。



「あ、えっと、ミコの経過が良好なら治療する」


「わかった」



 キナを上がり框に寝かせて、お腹と胸の上に手を乗せて話を聞く。


 これで少しでも痛みをやわらげられるのなら、やってあげたい。


 キナの痛みはミコと同じで、胸の奥が一番酷いそうだ。


 腹の奥にはずっしりと重い痛みがあり、横腹にするどい痛みが走ることもある。


 手足も動かすたびに痛みが走る。


 体に力が入らない。


 おうも酷くなっていくばかり。


 せきも一度出ると止まらない。


 それに咳をすると全身が痛んで苦しい。


 考えはまとまらないし、急に不安になったり、ぼうになったり、おこりっぽくなったり、イライラしたりと感情がせいぎょできない。


 もうすぐ自分も動けなくなる。


 最後に残るのはモエだろうと言う。


 自分は最後ではなくてよかったと泣いた。


 キナの頭をでていると、痛みがやわらいだと言って眠ってしまった。


 もう一度、キナの服の中に手をすべませて、直接肌に触れる。


 眠っている娘の肌をさわりまくるこうは、められたものではないのはわかっているが、餓鬼相手だ。


 今はりんより、キナの痛みを少しでも取り除きたい。

 

 モエが漁を終えて帰ってきた。


 キナも目を覚まし、食事の準備に入ったので、病気の話は後にして食事を先に終わらせることにした。


 食事を作っている間は、アユとハツのお腹に手を置いておく。


 これをやると、二人は寝てしまうけれど、痛みが和らぐのならやってあげたい。


 食事が出来上がったのでアユ、ハツ、ミコに食事を与える。


 アユとハツはさじ5杯位しか食べていなかった。


 その顔は苦痛に歪んでいて、美味しいとも思っていなさそうだ。


 ミコはニコニコしながら、椀の半分くらいを食べきった。


 キナがそれを見て驚いている。


 その後、俺たちも食事を済ませて、キナとモエの話を聞こうとしたが、キナが体の痛みを訴えた。


 布をモエに用意してもらった。


 裸になったモエとキナを俺の両側にすわらせ、こしに服を巻き付けた俺が真ん中に座って二人に腕を回し、お腹に手を置いてみる。


 布をかければ寒さもしのげる。

 

 りんてきに気が引けていたが、キナの顔を見てどうでもよくなった。


 直接接触すると痛みが引くのなら、裸でふれあう面積を増やせば効果が上がると考えたのだ。


 それに、この娘達の外見が酷すぎるせいか、まったくそんな気は起きないし、娘達も裸にまったく羞恥心を示さない。


 初めての試みだったが、触るだけより痛みが引いて気持ちがいいそうだ。


 二人の体に腕が簡単に回る。


 この二人もかなり小さいのだ。


 眠りそうになっている二人にお願いして、村の話をしてもらった。


 二人が物心ついたときには、村に病気がまんえんしていた。


 その頃は、大人もまだかなり生き残っていたらしい。


 しかし大人から先に痩せ細り、次々と死んでいった。


 俺が浜に打ち上げられる前に、最後の大人が死んだそうだ。


 嫁に行けないというのは、そういう事なのか・・・


 残ったのは女だけで、しかも全員そのうち死ぬ。


 三人はすでに動けない状態で、キナもすぐに動けなくなる。


 モエもかなり不味い状態のようだ。


 キナは私が最後ではなくてよかったと泣いた。


 モエは最後の一人になりたくなかったと泣いた。


 二人の頭をきしめる。


「よくがんった」


 俺が同じ状態ならどうしていただろう。


 俺と話しをながら、モエの顔がほころんだり沈んだりしていた時に、昔のことを思い出していた。




 若く、何の根拠もない自信に満ちあふれていた俺は、行き場が無いと思い込んでいる娘や、本当に行き場所が無い娘達の居場所を作るために、アパートを開放した。


 一度顔を出しただけで、二度と顔を見せなかった子。


 毎日同じ時間にやってきて、同じ時間に帰っていく子。


 どんどん滞在時間が長くなっていき、居着いた子。


 色んな子が出入りしていた。 


 そのうちの一人、悩みなどないように振る舞っていた、とある娘のめんどうを見切れなかった事がある。


 日曜日に、必ず顔を出す娘だった。


 悩みは話さず、部屋に居る他の娘達と談笑しては帰って行く。


 平日に制服のままやってくることも増えて来た頃、ポツリポツリと話してくれた。


 その娘の弟は、生まれつき体が弱く、10まで生きられないと言われ14まで生きた。


 だが、お別れの時が来た。


 弟は、何をするにも、人の手を借りる必要があった。


 学校にもほとんど通えず、限られたせまい人間関係の中で育った。


 弟は自分の面倒を見てくれる姉が大好きだった。


 だから両親は死にゆく弟の側に、姉を置きたがった。


 しかし、16の姉は、日に日に弱っていく弟を見ていられなかった。


 姉は両親にむけて手首を切るという行動で、何度も助けを求めていた。


 だがその助けは無視され、親は命がきる弟の気持ちを優先させてしまった。


 だが姉の精神は弟の死まで持たなかった。


 残業が終わって家に帰ると、氷点下までんだ深夜2時、アパートのとびらの前で姉は丸まっていた。


 アパートの鍵は開けっぱなしなのに、アパートのドアの横に、一人で丸まっていた。


 彼女の両親とは何度か対面して、話したことがある。


 弟のことだけでなく、姉のこともも少し考えてやれないかと。


 もちろん、赤の他人にそんなことを言われて怒らない親は居ない。


 それに、親の目は、死にゆく弟しか見ていなかった。


 姉のことはその後でいいと、精神的な問題だから、根性でなんとかなると。


 彼女の両親には、何かあればすぐに警察に通報すると釘を刺されていた。


 数人の女の子が眠っている部屋を避け、姉を台所に連れて行き、やかんでお湯を沸かす間、腹が減ったので弁当を買ってくるとだけ告げて外に出ると、公衆電話で姉の両親へれんらくした。


 深夜二時、未成年の女の子を家にんで、犯罪者になりたくないという俺の保身もあったけれど、家に連れ帰られると不味い子も俺の部屋に居たのだ。


 通報だけは、なんとしても避けたかった。


 親は弟が悲しんでいるから姉を返せといかくるった。


 そこに、弟を心配する親心は感じられたが、姉に対するづかいを感じることはできなかった。


 姉のことも、世間体を口にするばかりで、姉本人を気遣う言葉は最後まで聞けなかった。


 嘘をせい事実化するために、弁当を買って家に帰ると、姉が止まっていた。


 やかんのお湯はすでに沸いており、やかんの蓋がカタカタと音を立てていて、それに全く関心を示していなかった。


 俺の保身を優先せず、助けを求めてきた姉を優先するべきだった。


 呼吸はしているが、目は開いたまま、まばたきもせず、すわった体勢のまま、電池が切れたロボットのように動かない。


 頬を叩いても、呼びかけても反応はしない。


 生きたしかばねだ。


 最悪だった。


 弟は姉に見守られることなく、息を引き取った。


 姉は、たまに現実に返ってくるけれど、またすぐに自分の中に帰って行く。


 現実に返ってくる時間の方が短いのだ。


 親の怒りは俺に向いた。


 警察がやってきて、泣き叫ぶ娘達は、無理矢理家に帰された。


 殆どの父親は怒り狂っていたが、なぜか一部の母親は俺に優しかった。


 アパートを追い出される前に、うちにいた娘の一人が連れ戻された後、自ら命を絶ったと、母親から連絡を受けた。


 会社も解雇されて、精神的にもどん底にたたき落とされた。


 俺の行為は犯罪でしかなかったのだ。


 なぜか、告訴が全て取り下げられたが、そんなことはどうでもよかった。


 そんなことより、自分の世界に逃げ込んでしまった娘や、死んでしまった娘の事が悔やまれた。


 俺ならなんとかできたのになど、微塵も思わなかった。


 俺の家で亡くならなかっただけマシなのだ。


 他人がどうこうできる問題では無かった、そう自分に言い聞かせるしかなかった。


 そして、俺はやめたのだ。


 少女を救うなどという幻想を捨てたつもりだったのだ。


 しかし、光の消えたモエの顔を見た瞬間から、またあの時の思いがわき上がってきた。


 自分の世界に逃げ込んでしまった姉の顔が、姉の事情を知る前に、何度も俺に助けを求めていた顔が、モエの喜んだり沈んだりする顔と重なっていたのだ。


 モエも放っておくとこわれると思った。


 だからいやがるモエに無理矢理付いていった。


 今回は、たまたまく転がっただけで、モエが壊れる可能性もあったのだ。


 最後に残されるのが分かっている人の気持ちなんて、想像もしたくない。


 俺にどうにかできるかはわからない。


 姉は救えなかった。


 自ら命を絶った娘も。


 今回もそうだ。


 わかっている、俺に何もできないことくらいわかってはいる。


 ただ、あの時と違い、この娘達が死んでも、最後に残るのは俺だ。


 最後の一人になりたくなかったというのなら、俺が最後に残れば良いだけの話だ。


 それに、だれもとがめることのないこの場所でなら、そんな後ろ向きの考えで行動する事も可能だ。


 俺を含め、ぜんめつするかくだけはしておこう。


 目の前で死なれるのに、俺の精神が持つかどうかはわからないけれど、病気ならあきらめられる気がする。


 しかし、今回は不可解な状況もある。


 ミコだ。


 ミコはアレの後、調子が良さそうではあるが、俺は何が起こっているのか理解していない。


 ミコの話を信じるならば、俺の中に神様がいて、神様が治したらしい。


 事実、ミコに反応して光っていた。


 普通の人は光はしない。


 それに、きしめただけで痛みをやわらげることなど不可能だ。


 明日、ミコにもう少し神様の話を聞こう。


 それにモエやキナの仕事を手伝って、彼女達の負担を減らす。


 ねむる二人をりょうわきかかえ考える。


 キナは、今、痛みが消えるなら、死んでも良いと言った。


 どんな痛みなのか。


 痛み止めのある世界で育った俺には、想像もつかない。


 腹痛で死にそうなときの痛み。


 深夜足の骨を折って、先生が出勤するまで痛み止めもなく簡易ベッドに寝かされていたとき。


 手術の後、足がって一晩中もがき苦しんだ時。


 尿にょう結石で腹がじょじょに重くなり、あぶらあせが止まらない痛み。


 最大級の腰痛で身動きすらできないときの痛み。


 経験した事のある酷い痛みを思い返す。

 

 もしかしたら、それを総合したような痛みを感じているのかもしれない。


 他人の痛みなどわからないのだ。


 心の痛みも、体の痛みも、自分の経験から想像するしかない。


 人間はどこまで行っても、繋がることなどできないのだ。


 疲れ果てて眠る二人の体温、まだ生きている。


 そう思うだけで、俺の奥底からドクンドクンと強く脈打ちながら、強い思いが湧き上がってくる。


 俺にどうにかできるとも思えないけれど、それでも、できる限りの力を尽くそう。

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