野生動物と愛玩動物《side: 玄葉ナキ》
小さな女王様が仁王立ちになって科戸を見下ろしていた。大きな目の奥には強い意志が宿っている……が、目蓋がやや腫れぼったいか。夕べは友人の事が心配で泣いていたのかもしれない。
夕方になってまたウトウトしてきた科戸は今は眠っていて、位空に連れられてクリニックに来たこのかは声もかけずにただその寝顔を見ていた。
「位空さま。科戸の呪いはもう解けたとお聞きしましたが、科戸の表情は少し苦しそうに見えます。やはりまだどこか悪いのではないですか」
固い声でこのかは尋ねた。
確かに科戸の寝顔は安らかとは言えない。昼間話している時は平然としていたが、今は眉間に皺を寄せて気難しげな顔で眠っていた。
「体調は問題ありませんよ。ベッドの寝心地が身体に合わないんでしょう」
「和泉からも聞いていると思いますが科戸にかかった治療費は全額、深際家に請求してください。彼女にはお金のことは気にせずしっかり休養してほしいと伝えてください」
少女はぴくりとも表情を変えず淡々と言葉を返す。
「……」
ナキはちらりとこのかを見た。
この少女を溌剌とした印象にしているのは眼差しの真っ直ぐさと、こまっしゃくれた口の聞き方だと思うが、こうも冷然とした態度だと美貌だけが際立ち、まるで人形のようだった。
「彼女のことをどうぞよろしくお願い致します」
このかは深々と頭を下げ、踵を返した。
「美鶴木様が起きるのを待たなくていいのですか?」
付き従っていた和泉が声を上げる。このかは立ち止まり振り返らずに言った。
「もう科戸には会わないわ。彼女にもうちに来ないように伝えてちょうだい。今回迷惑をかけたお詫びはきちんとしておいて」
「このかお嬢様……」
「アンタはそれでいいのか」
ナキが言うと、このかは赤くなった目でキッと睨み返してきた。
「良くないわよ!」
少女の瞳の奥で赤い火花が散った。
「でも仕方ないじゃない!」
「何だ元気じゃねぇか」
シュンと萎れているのかと思ったらとんでもなかった。苛烈な程勢いがある。
「元気じゃないわよ!」
なかなかの迫力でそう吠えるとお嬢様は廊下へ出ていってしまった。慌てて和泉が追いかける。
「ちっちゃい台風みたいだな」
「ああ、元気だね彼女。良かったよね」
「……で?お前は追い掛けないでいいのか?」
「ん?ああ、僕?」
位空の野郎は相変わらず……下界を見下ろす釈迦の如きいけすかない態度だった。ベッドサイドに立って患者の寝顔を眺めていた。
「まぁ大丈夫だと思うよ。いくら頭に血が上っても一人で病院の外に出て行ったりしない。思慮深い子だからね」
「ふーん」
「激情型に見えるけど、しっかり周りに気を遣える子だよ?自分の立場や守るべき人達、これまで受けてきた恩恵と責任。そういった事をちゃんと考えられる。夕べだって科戸さんが心配ですぐにでも駆けつけたかったろうに、じっと待ってた。僕が迎えに行くのをね。だからやっぱり何をしでかすか分からなくて目が離せないのはこちらのお嬢さんかな?」
「……」
位空の視線の先で科戸は寝息を立てている。
「死ねば呪いが解ける……か。死なない為に呪いを解くんだけどね」
シーツの上に散らばる彼女の髪の毛、その毛先をゆっくりとなぞりながら位空は呟く。
「そんなにいらないなら僕が貰っちゃおうかな。頭から爪先まで全部……いや、頭はいらないか。やっぱり何も考えられないようにしてあげた方が彼女にとっては幸せだろう。ねぇ?玄葉さん、どう思う?」
「なぁ」
「んー?」
「お前だろ。美鶴木科戸の足長おじさん」
「ふふ」
位空が珍しく無邪気に笑った。
「直球だなぁ……。駆け引きとかしないよね、君は」
「何が目的だよ」
「目的?」
「どうにもならなくなった人間を救って心酔させて手駒にするのがお前の手法だろ」
「ん、ちょっと待って?僕は昔玄葉さんのことも助けたはずだけど心酔どころか扱いは雑な気がするな」
「迷惑が恩義を上回ってんだよ。美鶴木科戸が深際このかに出会うように仕向けたのは
「……」
「つーかお前、深際家の執事に言ってやれよ。そしたら美鶴木科戸が疑われることもなかったろ」
「んー……それはちょっと」
「いや何でだよ。お前、科戸に何させたいんだ」
「彼女に望むことなんて何もない」
「あぁ?」
「むしろ何もしないで欲しい」
「はぁ?」
意味が分からない。
「初めて会った時この人は死にかけていて、傷だらけの野生動物みたいで……檻に入れて管理するとストレスで死んでしまいそうだったから、のびのびとした環境で時間をかけて傷を癒した方がいいと思ったんだ。そのうち心の傷も癒えて人に慣れていくだろうってね。だから今までは好きにさせてた。けどそれは間違いだったね。やっぱり野生動物が人に近付きすぎると良くないんだよ。適切な距離感を学び直させないと……」
「お前な……」
「人との適切な距離感が分からないから、こうやって死にかける羽目になる。理性より感覚で生きてる。野生動物だよ」
「……」
位空の声はいつも通り穏やかだった。けれど吸血鬼の心の空洞から凍えるような冷気が漏れているのをナキは感じていた。
「この人の従順さは見かけ倒しで擬態だからちゃんとしつけないと……でもどうしようかな?言葉で教えても理解しないだろうし。優しく甘やかすと大抵の人間は懐いて言うことを聞いてくれるようになるけど、君や彼女ってむしろ警戒心を強めるよね?痛みを使っての調教は反抗しそうだし、僕もそういうのは嫌いだ。薬を使ったり洗脳したりするのはつまらないから好きじゃない……そうなってくると人質とか弱みを握ってとか、そういう話になるのかな?」
「檻にぶちこまないといけねぇのはお前だろサイコ野郎。美鶴木科戸に何の恨みがあるんだ」
「恨みだって?まさか。今回も八年前も、鬼籍に入る寸前だった彼女の傷を癒した。知人が営む孤児院に入れるように手配して、生活に困らないように配慮もしてきたつもりだ。恨みどころか随分丁寧に扱っていると思わないか」
「誰がどこで野垂れ死にしようがどうでもいいと思ってる奴のくせに科戸には随分構うな。放っといてやれよ」
「君は僕に対して誤解があると思うな」
「事実だろ。俺は『吸血鬼至上主義』を壊滅させるっていう目的があってお前とつるんでる。俺に勝手に首輪をつけた吸血鬼に必ず制裁を与える。けど科戸は平和に生きていきたいんだろ。なら構ってやるなよな。吸血鬼に興味を持たれるなんて一般人にとっては厄災なんだから。愛玩動物志望の人間なら困ってないだろ」
「……」
怒るかと思ったが、位空はナキの言葉を興味深そうに聞いていた。
「玄葉さんはさ、一見無法に見えて実は貴方の中は常に秩序が保たれているよね。何処にいても、誰といても、決して不平等に傾くことのない心の天秤を持っている。貴方と話しているとこちらまで安定する……そういう効能をもった人なんだろうな」
すぐコレだ。
真剣な話をしていてもすぐに茶化されて煙に巻かれる。腹立たしい。だからこいつとは議論する気が起きない。
ため息をつくと位空が困ったように笑った。
「珍しく本音だったんだけどな」
何が本音だ。例え本気で褒めていたとしても全く嬉しくない。背中がゾワゾワするだけだ。そもそも『効能』という表現に位空の尊大な性格が顕れている。こいつはナキの事を
「玄葉さん、思ってること全部顔に出てるよ」
「出してんだよ」
「可愛い人だな」
「うるせぇ」
「手のひらで転がしたくなるよね」
「音速で滅びろ」
「……」
ふわりと甘ったるく微笑まれて、それを直視してしまって精神的にダメージを負った。
多分ナキにとって位空と顔を会わせる最もベストな周期は二年に一度、時間は五分程だと思うが、昨日から一緒にいる為に疲労感がとてつもない。こいつの話に付き合っていると疲れるが、その疲れが癒えないうちに次の言動でまた疲れている。
「お前と同じ空間にいると蓄積疲労がひどい」
「心にはいつも僕がいるという、照れ屋な君なりの愛の言葉なのかな」
「耳か頭がおかしいな」
「恥ずかしがらないで」
「頭だな」
「う……」
枕元で騒がれてうるさかったのか布団にくるまっていた科戸が身じろぎした。目が覚めたわけではないようで、眉間に皺を寄せて安眠からは遠い寝顔を見せていた。
「……」
位空が科戸の頭にそっと掌を載せる。耳元に唇を寄せ囁いた。
「……もう少し、いい夢を見なさい」
「う……っ」
微かに呻いた科戸が布団に潜り込み位空の声から逃れた。
「全く……貴女が望むなら永遠に幸せな夢を見せてベッドに縛り付けておくことだって出来るのに」
出来るなよ。
「さて、僕はそろそろこのかさんを追いかけようかな。家まで送って差し上げなくては。ああ、そうだ。さっきの話だけど僕、愛玩動物を飼うなら君がいいな」
「いいぞ。噛み殺すけどな」
「情熱的だね」
霞のような微笑みを残して立ち去る位空の後ろ姿をナキはイラッとしながら見送った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます