説教《side: 美鶴木科戸》
「ごめんなさい」
夢の中で科戸は素直に謝罪した。
……誰に?
自分は今、誰と喋っているのだろう。
……ばあちゃんかな。
多分、そう。
だってこの人怒ってる。
目映い光に包まれる夢。また夢だ。けど悪夢じゃない。夢の中で科戸は誰かと喋っていて、その誰かは全然怒鳴ったり捲し立てたりしないのだけど、でも怒っているのが伝わってくる。
……子供の頃、野猿のようだった科戸が高い木に登って遊んでいた時、うっかり足を滑らせて落ちてしまったことがある。ドスンという音を聞き付けてすっ飛んできたばあちゃんは、額から血を流す科戸を見て怒った。
何やってんだい、危ないだろう!
この木に登っちゃいけないと何度も言ったろう!
ああ、ああ……こんなに血が出てるじゃないか……。
今科戸が触れているのは、あの時と同じ種類の怒りだ。怒りというか……心配?科戸を怒るほどに心配してくれる人なんて、ばあちゃんしかいない。
でも変だな。もうばあちゃんは死んでしまった。どこにもいないのに。
不意に、赦しを与えるように頭を撫でられた。
「……」
掌は何度か科戸の頭を往復し、それからそっと頬を撫でた。
安心感が胸に広がっていく。血を失って冷えきった心臓にやっと血が巡っていくようだった。
科戸は顔を傾けて、猫みたいにその手に頬を擦り付けた。
……馴染みのない、でもどこか懐かしい匂いがした。
『まだ心臓が冷たいな……』
ばあちゃんじゃない、誰かの声。
『ここから直接、力を注ぎたい。いい?』
ひんやりとした指先が唇をなぞる。
『頷いて』
支配。懇願。命令。
全てがごちゃまぜになった声だった。
こくりと頷くと、温かい何かが科戸の唇を塞いだ。
「……」
パチッと目が覚めた。
そのまま数回瞬きをする。窓の向こうはすっかり明るくなっていた。
ため息をついて身を起こそうとした瞬間、身体中が悲鳴を上げた。
背中から心臓を貫くような痛み。思わず息が止まるくらい痛かった。加えて全身筋肉痛のような。
「……っ、う」
それ以上身体を動かせず力が抜けた。硬めの枕がポスッと頭を抱きとめてくれる。
「……」
視線を動かして身体を見ると科戸の服は着ていたはずのワンピースではなく患者衣に変わっていた。シーツもパリッとしていて清潔で、染み一つ見当たらない。
深呼吸して、今度は慎重に身体を起こした。時折走る激痛を息を吐いてやり過ごし、何とか長座位をとることに成功する。これだけで息が上がるが、今度は立ち上がろうと左足を動かした所でハッとした。
「仕事!」
「行ける訳ねーだろ。位空が休みの連絡入れてるよ」
独り言に返事が返ってきた。
「起きたのか、爆弾娘」
「……ナキ様」
銀髪の美しい青年が入口近くの壁にもたれ掛かり科戸を見ていた。全てを見透かすさとりの眼差し。
科戸は首を傾げた。
「爆弾?」
「爆弾だろ。とんでもねぇな」
「えー……っと?」
「きっちり死んでたぞアンタ。心臓とまってたからな?」
ぶっきらぼうな物言いに科戸は微笑んだ。
「はい、そのようで。良かった。お陰様で無事呪いは解けたようです」
本心からそう思って言ったのだが、ナキはじっとこちらを見るだけだった。
「……」
(あれ?)
さとりではない科戸には視線に含まれた真意を解読することは難しい。難しいが……。
「……」
沈黙を重ねた末に科戸はようやく自分が叱られていることに気付いた。
「……。すみません」
「何に謝ってんだ」
「え、っと……色々とご迷惑をかけして。目の前で人が死ぬって嫌な気分だったでしょうし、ベッドとか部屋とかも汚してしまったと思うので」
「落第だなマジで」
「え」
ベッドサイドまで来たナキは不機嫌そうな顔でドカッとパイプ椅子に座った。
「何であんな真似した?」
「え?……あのお爺さんが『その身に受けた呪いは死ぬまでお前を苦しめる』と仰ったので、死んだら解ける呪いなんだなと思って……」
「……」
「よく末代まで祟る、なんて言いますけど、あれって凄い技術なんです。呪いが対象者の子供、またその子供を認識して呪うっていうことですから。そんな複雑な術式を組み込んで、更にそれは術者が死んだ後も有効でなければならない。素晴らしい技術ととんでもない術量です。だからそんな術者は滅多に御目にかかれません」
「あの百足野郎はそんな技量のないただの雑魚だって?」
「いや、そこまでは……。ただ言動から推察するにこちらのことを舐めてかかっているみたいだったので複雑な術式ではないだろうと思ったんです。あのおじいさんが雑魚かは知りませんが、今回の呪いに関しては三流です」
「随分呪いに詳しいんだな」
「昔、興味が沸いて調べたことがあります。……呪いを解いてしまえば、後の事は位空様に丸投げしたら大丈夫だって、あの時は思ったんですけど……とても迷惑だったでしょうね……。位空様は今はどちらに?」
「さっきまでアンタの傍についてたけど、昼前にどっかに出掛けた」
「そうですか……後で謝らないといけませんね」
ナキは腕を組んで聞いていたが、やがてため息をついた。
「例え吸血鬼の力であっても死者を蘇らせることはできない。呪いは解けても、そのまま死ぬ可能性だってあった」
「ここで死んだら位空様に大変なご迷惑をかけるところでした。けどあれが一番手っ取り早かったので……」
「馬鹿か!」
突然叱りつけられてびっくりした。
「何が手っ取り早いだ。呪いが無事に解けたからいいものの一歩間違えれば死ぬところだった。なにが迷惑だ。自分のこと蔑ろにするのもいい加減にしろ!」
ナキは怖い顔をしていた。昔、科戸を叱った時の祖母によく似た表情をしていた。
「すみません」
反射的に謝罪を口にする。
「俺に謝っても仕方ないだろ。それに何の意味もない謝罪だ、同じ状況になったらあんたは絶対また同じことをするんだからな」
「……」
「そうだろ」
真っ赤に燃えた言葉が直球で科戸の心にぶつかってくる。形式的な謝罪では見逃してもらえなかった。
「……すみません。でも私は人より丈夫ですし、それに身寄りもないから誰かに心配をかけることもないですし。だから……」
「だから?」
「だから、その……」
「別にどうなってもいいって?」
「……いえ、よくないです。すみません」
それ以上言葉を重ねる勇気はなく素直に謝った。
「自分のことを大切にできない人間が周りの人間を大切にできると思うか?それに結局あんたはこのかの気持ちも蔑ろにしてる。あともう少しで取り返しのつかない傷をつける所だったのに分からないのか?」
「え……」
「もしあんたが死んでたら深際このかがどう思うか、ちゃんと考えたか?あの娘は自分のわがままのせいで両親が死んだと考えてるんだろ。自分を庇って呪いを受けた友人まで死んだら、このかの心はどうなる。……もっと自分を大切に扱え。あんたが自分のことが嫌いで大切にできないって言うなら、このかの為に大切にしてやれ」
科戸は瞬きして、それから頷いた。
「……分かりました。このかさんが私に愛想を尽かす日まで、私の身体は丁寧に扱います」
「絶妙に分かってねぇな」
「……」
この人は……ちょっと寄りがたそうな雰囲気だけど、口調も優しいとは言い難いけれど、何だろう……柔らかい、温かいものを心の中に持っている人だろうな。そう思った。
科戸はあまり触れない方がいいかもしれない。
多分、触ると弱くなるから。
後ろに倒れこんで目を閉じる。寝たふりなんてバレているだろうに、今度は見逃してくれた。溜め息とともに布団をかけられた。
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